
ドナルド・トランプ米大統領から発されるニュースが相次いでいる。もう少しで就任100日となるところで、日々の話題の背景にあるトランプ第二次政権の大きな傾向は、だいぶ見えてきたように思われる。私自身は、その傾向を体系的に言い表すために、「モンロー・ドクトリン」や「アメリカン・システム」といった概念を参照している。トランプ大統領が「かつてアメリカが偉大だった時代」と認識している19世紀アメリカの外交政策・経済政策に付されていた名称だ。
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トランプ政権の傾向を総称としてどう把握するかだけでなく、個々の政策領域への波及をどう捉えていくかも、引き続き大きな検討課題になる。幾つもの論点があるが、たとえばアメリカの欧州不関与の傾向は、一つの重大論点だ。
トランプ政権は、欧州諸国が心情的に深く関与している問題にも、冷淡な態度をとり、大きなショックを作り出した。まずはロシア・ウクライナ戦争の調停に乗り出し、ウラジーミル・プーチン露大統領とも対話を始めたことが、欧州人にとって衝撃であった。次に、J・D・バンス米副大統領が、欧州には親露的傾向がある人物を選挙などから排斥する傾向があると苦言を呈したことが、不興を買う出来事となった。もちろん欧州駐留の米軍の削減を進め、容赦なく高関税を導入する政策的な姿勢も、大きな論点だ。欧州では指導者層だけでなく一般の人々の間でも、嫌米の感情が広がっているという。
果たしてこうした動きは、どのような国際情勢の変化を導き出すのだろうか。本稿では、NATO(北大西洋条約機構)を中心にした欧州の安全保障システムに焦点をあて、歴史的視点をふまえて、変化の行方を探ってみたい。
初代事務総長が語ったNATOの本質
アメリカはNATOから脱退するとは言っていない。しかしアメリカに偏った負担があって不公平だと苦情を述べ、欧州の事柄は欧州諸国で扱うようにしてほしい、という趣旨の発言をしている。こうなると、NATOは今の形のまま、その意味を変質させていくことになるだろう。なぜならNATOは、本質的に、アメリカを欧州に関与させ続けるために、アメリカが盟主である仕組みを大前提にして、制度設計されたものだからだ。アメリカが欧州から撤退していけば、NATOは、同じNATOではありえない。
初代NATO事務総長ヘイスティングス・イスメイ(英)の言葉、「アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む」、は、NATOの設立趣旨の端的な要約として、広く知られる。まずは、アメリカが欧州に関与し続けるための仕組みとして機能するのが、NATOの第一の存在理由だ。
冷戦時代から今日にいたるまで、二番目の「ロシアを締め出す」点では一貫性があるように見えるかもしれない。しかし実際には、冷戦時代は二つの地域安全保障システム、つまりアメリカを盟主としたNATOとソ連を盟主としたWTO(ワルシャワ条約機構)が、二極分化体制で欧州の安定を保っていた。NATOはソ連を圧倒して駆逐するためではなく、ソ連陣営と相互抑止をかけて均衡状態を作るための組織体であった。現在の欧州諸国のように、ロシアと事実上の交戦状態に入るような事態は、NATOはこれまで一度も経験したことがない。大黒柱のアメリカが撤収していく図式の中、欧州諸国はNATOの枠外で新しい安全保障の仕組みを作る必要が出てきている。ただしそれが可能かどうかは未知数だ。
そしてイスメイの言葉の最後にあるように、欧州の安全保障システムは、1871年のプロイセンによるドイツ統一以降、「ドイツ問題」が最大の懸念となっていた。つまり欧州大陸の中央部に、最も人口が多く、最も豊かで、最も軍事的に強い国が生まれ、19世紀までの伝統的な勢力均衡政策が通用しなくなってしまったことが問題となった。20世紀前半の二つの世界大戦は、この「ドイツ問題」によって引き起こされた、と言っても過言ではない。アメリカを西欧陣営の盟主と仰ぎながら、二極分化体制で、中間勢力を抑え込む安全保障システムを採用したのは、「ドイツ問題」を封印するためでもあった。
もしアメリカが撤収して、欧州諸国だけの安全保障の仕組みが新たに樹立されていくとすれば、そこでドイツの役割が一層大きくなることは必至である。もちろん、たとえば停戦後のウクライナに欧州軍を派遣する計画では、イギリスとフランスが率先して派兵するがドイツは派兵しない、といった類の政策的な配慮はなされ続けていくだろう。だがイギリスとフランスだけで、ロシアを締め出しつつ、ドイツも抑え込む、という仕組みを作るのは、負担が大きい。
第二次世界大戦勃発時の1939年に、国際連盟に残存していた大国はイギリスとフランスだけであった。そのため国際連盟は、ソ連に対しても、ドイツに対しても、押さえが利かなくなった。当時と比べ現代のほうが、イギリスとフランスの国力が充実している、などと言える事情はない。
東欧諸国はアメリカなしに存在したことがない
地政学の理論家として有名なハルフォード・マッキンダーは、第二次世界大戦中に執筆した「球形の世界と平和の勝利」と題された1943年の論文で、大西洋同盟創設の意義を主張した。マッキンダーによれば、その大西洋同盟は、英仏をアメリカが支える形で維持され、ロシアを牽制しつつも、共同でドイツを抑え込む、という効果を狙うものとして構想された。戦後のNATO設立の趣旨を、地政学的な見取り図で説明した論文であった。そのときマッキンダーは、新しく誕生する東欧諸国は、スラブのロシアとゲルマンのドイツの間の中間地帯として機能しなければならない、と考えた。
そのマッキンダーは、第一次世界大戦終結直後の1919年の著作では、「東欧を制する者がハートランドを制し、ハートランドを制する者が世界島(ユーラシア大陸とアフリカ大陸)を制する」という有名な言葉を残していた。もし東欧に広がるユーラシア有数の平原地帯を単一勢力が制圧すれば、陸上勢力間の覇権が決まる。さらには欧州「半島」の付け根に位置する東欧の帰趨は、バルト海と黒海の制海権の行方も決定づけ、大陸と大洋との関係に大きな影響を与える。
マッキンダーの警告に忠実になるならば、島国と沿岸国からなる西欧の海洋勢力は、ロシアによる東欧の独占的支配も、ドイツによる東欧の独占的支配も、両方とも防がなければならない。だがいずれも強力な大国であるので、それは簡単ではない。そこで第一次世界大戦後に、アメリカの存在を前提にして国際連盟が設立された。ところが、アメリカは議会の反対で連盟に加盟しなかった。第二次世界大戦は、英仏だけが支えていた国際連盟が、ソ連とドイツの双方をにらみながら、明確な行動をとることができず、東欧が両国に完全分割されて支配されるようになったときに始まった。
第二次世界大戦の後は、アメリカの欧州への関与を確保するには、国際連合だけでは不足するため、地域的な仕組みとしてNATOが設立された。これによって有力国ドイツの分断を前提にした二極分化体制で東欧が管理され、米ソがにらみ合いながら、ドイツを抑え込む力ともなるシステムが作られた。
この時代の流れの中で、東欧の小国群の独立は、第一次世界大戦後に達成され、また失われてから、第二次世界大戦後の冷戦体制の中でようやく回復されて維持された。大国に併合され続けるだけの19世紀までの東欧の歴史から見れば、大変化であった。
20世紀に生まれた東欧の小国群は、アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領が欧州に持ち込んだ第一次世界大戦後の国際秩序の産物であった。ウィルソン大統領が提唱した、民族自決の原則や、秘密外交を駆使した勢力均衡政治の否定を通じて、東欧諸国は生まれた。しかし結局は、アメリカのNATOを通じた欧州への継続関与という力の裏付けがなければ、東欧の小国群の独立は維持されなかった。ウクライナなどは束の間の独立をしただけですぐにソ連に併合され、独立は冷戦終焉時まで回復されなかった。
NATO東方拡大論の時代区分
ロシアのウクライナ全面侵攻が開始されてから、NATO東方拡大の是非が、一層大きな注目を集めるようになった。私個人は、1990年代半ばにロンドンに留学していたので、議論が焦点化し始めた当時の雰囲気をよく覚えている。その経験をふまえて言えば、現在のNATO東方拡大をめぐる議論は、錯綜している。

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