第6回 「網野史学」が持つ二面性――天皇はなぜ滅びなかったのか
(前回はこちらから)
「日本史」を語る上野千鶴子
歴史を様々な「物語」のあいだの闘争として見る姿勢において、そしてその限りにおいてのみ、上野千鶴子と坂本多加雄は共通点を有しているのではないか。それが前章でわれわれが見てきたことである。
しかしそれならば上野千鶴子はどのような「物語」を語るのだろうか。そもそも語りうるのだろうか。坂本多加雄は国家の「物語」の必要を説き、自らそのアウトラインを示して見せた。だが、上野はまさにそうした「国家」単位の集合的ナラティブを否定する。そうであれば、結局のところ、日本や日本史というジャンルについて上野が語ることはそもそもないように見える。
だが、意外なことに、上野の論壇キャリアの初期である1980年代の著作のなかには、広義の「日本史」に関わるものが散見される。上野自身、80年代をマルクス主義フェミニズムとの出会いの時期として、しばしば回顧する。その結実が『家父長制と資本制——マルクス主義フェミニズムの地平』(1990年)であり、同書のテーマであった家族と市場(資本主義)に欠けていた要素——国家とナショナリズム——の前景化が、自身にとっての90年代の意味であるという説明がしばしばともなう。だがその際に見落とされがちなのは、それ以前の著作群である。岩波現代文庫に収録された上野の論壇デビュー作である『セクシィ・ギャルの大研究:女の読み方・読まれ方・読ませ方』(光文社、1982年)はともかく、上野の修士論文——上野は博士号取得を持たずに大学教員として就職した。博士号の取得は2013年、東京大学を辞めた後である——が収録された『構造主義の冒険』(勁草書房、1985年)は、現在比較的言及されることの少ない著作と言えるだろう。
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