ナゴルノ・カラバフ「統一」後の現在(4) バクー:アルメニア非難とロシアへの配慮
2025年2月11日

バクー市内のパブ。アゼルバイジャンの住人の多くはイスラム教徒だが、社会主義を経験していることもあり、飲酒はごく普通(筆者撮影、以下すべて)
南コーカサス地方――コーカサス山脈の南側に位置するジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンの3カ国とその周辺――は古来、多くの民族が混在する地域だった。なかでも主要な勢力であるアゼルバイジャン人とアルメニア人は、曲がりなりに共存してきたものの、ソ連時代末期から対立を深めた。それは、1991年の各国独立後、アゼルバイジャン領内でアルメニア人住民が多数を占めるナゴルノ・カラバフの実効支配と領有を巡る戦争に発展した。
現代に至る主な動きを振り返ると、特にここ数年の間に事態が急速に進展し、長年の対立構造が大きく変化したとわかる。
1988年 アゼルバイジャン人とアルメニア人の衝突や虐殺事件が相次ぎ、緊張が高まる。双方の避難や移住が本格化。
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