
南コーカサス情勢にかかわる人にとって、「ラチン」はなじみが深い地名である。アルメニア本土とナゴルノ・カラバフを結ぶ山岳道路がかつてこの街を経由し、「ラチン回廊」と呼ばれていたからである1。
ラチンはソ連時代、旧ナゴルノ・カラバフ自治州には含まれず、自治州とアルメニア本土との狭間に位置していた。回廊の沿道では唯一かつ最大の街であり、ソ連時代には6000人の人口を抱えたこともあった。1990年代の第1次ナゴルノ・カラバフ紛争で旧自治州とともにアルメニア支配下に入ったことから、住民の多数を占めたアゼルバイジャン人2は国内避難民(IDP)となって流出した。2020年の第2次ナゴルノ・カラバフ紛争後はしばらく係争状態に陥ったが、2022年にアゼルバイジャン側が事実上制圧した。アルメニア人住民は本土に避難し、アゼルバイジャン人国内避難民の帰還が始まった。
ラチンへの訪問は筆者からの要請でなく、アゼルバイジャン当局からの提案である。恐らく、その復興ぶりを見せたかったのだろう。実際、住民の帰還が始まっていないアグダム、帰還は進んでいるものの雇用が限られるシュシャに比べ、ラチンには企業が立地し、雇用機会も創出されているからである。
その前の訪問地であるナゴルノ・カラバフの古都シュシャから、車でラチンに向かった。


ラチン回廊を南下
シュシャの岩山を下ると十字路に差し掛かり、脇に歩哨が立っている。ここはもともと三叉路だったが、第2次紛争後にアゼルバイジャンがフュズリからの道路を建設してここで合流させ、4方向の道路が交わる場所となった。シュシャ、フュズリ、ハンケンディ(アルメニア名:ステパナケルト)、ラチンへの道である。

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