
2月のウクライナ訪問は、筆者にとって昨年9月以来5カ月ぶりである。この間に米国ではドナルド・トランプ(78)が大統領に就任し、世界情勢も大きな変化を被りつつあるが、それに比べるとウクライナ社会の変化は乏しいように見えた。確かに、ロシア軍の全面侵攻から3年が経ち、戦争疲れと戦争慣れ双方の側面がウクライナ社会には色濃い。占領された領土の回復が当面難しいことも認識されている。ただ、それは以前からうかがえた傾向であり、一方でロシアの侵略戦争や戦争犯罪に対して「正義」の回復を求める意識が弱まったようにも思えない。
筆者にとって前回訪問時との大きな違いは、これまでの定宿が使えなくなったことだった。ロシア軍全面侵攻が起きた2022年の間、キーウでは主に、文教地区にあるアルファヴィート・ホテルに滞在していた。しかし、その年の12月31日、ホテルはロシア軍の巡航ミサイルの直撃を受けて大破した。中にいた筆者は辛くも救出された。ホテルは閉鎖され、以後筆者はキーウを訪れる際、近くの「ホリデーイン・キーウ」を利用するようになっていた。
ところが、そのホリデーインが2024年12月20日に攻撃の被害を被ったのである。ロシア軍のミサイルが迎撃され、その破片が周囲に降り注いだ。ホテルやその周辺のビルの損壊は激しく、一部は炎上した。ホテルは窓ガラスが軒並み割れ、壁が大きくはがれた。隣接するレストラン群のテラスも一部が崩れ、向かいのカトリック教会「聖ミコラ教会」はステンドグラスが割れるなどした。1人が死亡、多数がけがを負い、周辺のビルに入っていたポルトガル、アルバニア、北マケドニア、モンテネグロ、アルゼンチン、パレスチナの各大使館も影響を受けた。


今回、別のホテルに滞在しつつ、その現場を訪ねた。ホテルは当然ながら閉鎖されている。テラスはキーウでもしゃれた一角として若者たちの人気を集めていたが、割れた窓ガラスを木質ボードで補修している姿が痛々しい。多くの店舗も閉鎖されてゴーストタウンとなり、人影は乏しい。ただ、イタリア料理店が1軒だけ再開していたのには驚いた。飲食店が被害に屈せず営業を続ける例は、ウクライナで時々見られる。


一方で、キーウの街自体は「正常化」が進み、ぱっと見だけだと戦争の影を感じない。時折は攻撃を知らせる警報サイレンが鳴り響き、深夜外出禁止に伴い夜が早く仕舞うのを除くと、ごく普通の街に見える。常に警戒が欠かせないハルキウとは大きく異なる。
キーウでは、復興のビジネスチャンスを見込んで、欧米の企業も入ってきているようである。「戦争が終わると復興が始まる」のではなく、戦争と同時に復興が進む。ウクライナは、やや特異な立場に置かれている。
「価値を守る戦い」
今回のウクライナ訪問の主目的は、侵攻3周年の2月24日にキーウで開かれる「ヤルタ欧州戦略会議」主催の会合「3周年――勝利の時」への出席だった。

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