『日本人民の歴史』の中で羽仁五郎は、これまでの日本では「人民の立場」からの歴史が描かれていなかったとして、「人民の立場」からの歴史や「人民」史観の必要を強調した(写真はWikimedia Commonsから)

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資本主義と対決した男

 ガンダムだかなんだかぼくはよく知らないが、戦争をかっこいいと考える子どもだって、いるだろう。こんなときの彼らの心は、どうなっているのか。本当に彼らの心なんだろうか。何かが、入りこんでしまっているんじゃないだろうか。

 1982年に光文社からカッパ・ブックスの一冊として刊行された『君の心が戦争を起こす』の冒頭近くの一節である(7頁)。著者は歴史学者の羽仁五郎。1901年生まれの羽仁は翌1983年に82歳で亡くなるので、これが遺作ということになった。1979年の放映開始当初は不評だったという機動戦士ガンダムシリーズの人気が沸騰していくのが81年から82年にかけてなので、その頃、羽仁の耳にもその評判が届いたのだろう。

 「ガンダム」を、戦争を美化するアニメと捉えるのは今から見るといかにもナイーブな見方にも思える。だが、羽仁はいたって真面目である。「沢田研二のナチス」(1978年発売のシングル「サムライ」の衣装における鉤十字の意匠が物議を醸した)はもちろん、田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』(1981年)に端を発する「「クリスタル」とかいう現象」の流行に対しても、羽仁は不満を隠さない。「ぼくはまったく知らないが、ラコステのテニスウェアを着てナイキのジョギングシューズをはき、エルメスのバッグを持ってたりする、とかいう。何のことだかぜんぜんわからない」(9頁)。分からないなら、どうでもいいようなものだが、そうではない。羽仁はこの言葉から1938年のナチスによるユダヤ人迫害「クリスタル・ナハト(水晶の夜)」を連想し、「クリスタルとかいう種類のかっこいい言葉、名前がつけられる現象の背後には、熱狂的な方向に向かう怪物性がひそんでいる」(10頁)というのである。

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