日本史はどのように物語られてきたか
日本史はどのように物語られてきたか (15)

第14回 「教科書裁判の闘士」家永三郎における史観の転回

執筆者:河野有理 2025年7月31日
タグ: 日本
家永三郎が書いたものを通時的に見ていくと、そこにはある「思想の変化」が露呈している (C)時事

(前回はこちらから)

清張が描いた「歴史教科書の利権」

 松本清張に「カルネアデスの舟板」という短編がある。『文学界』1957年8月号に掲載されたこの作品は二人の歴史学者の葛藤がテーマである。主人公格の玖村は新進気鋭の「進歩的」歴史学者。対する大鶴は玖村の師匠で戦前には大変な権勢をふるっていたものの、その「国家主義」的言動がたたり戦後には公職追放の憂き目にあった人物。二人のあいだの葛藤といっても、そこにあるのは思想的なものではない。いかにも清張らしく、その葛藤は金と女と名誉という欲望をめぐるそれであり、とりわけ教科書執筆をめぐる利権がテーマなのである。

 玖村は、もともと大鶴恵之輔の弟子として国家主義的な歴史学者であった。戦時中は言論報国会に加わったくらいである。彼が敗戦後、マルクス主義の理論を適用し、唯物史観に走ったのは、学生の人気を得、著書をかいて、世間に名前を知られたかったのである。進歩的なことを云えば、学生の人気が集まり、著書が売れると思った……それはある程度成功したが、もっと予期しない成功は、教科書を執筆するようになってからであった。思いもよらぬ収入があった。それから、もっと分がいいのは参考書だった……教科書と合わせれば莫大な収入となった。家も、蔵書も、預金も、女も、悉くそれが基盤だった。(「カルネアデスの舟板」)

 一方、玖村の尽力で大学に復帰した大鶴も、恥じも外聞もなく「進歩」的論調に転向し、さらには教科書利権を自分の方にも回すように厚かましくも懇願してくる。そうしたかつての「師」のさもしい姿を見下し、優越感に浸る玖村の心理描写がしばらく続いた後、物語に転調をもたらすのは、政治の動きである。

 1955年8月に日本民主党(同年11月に自由党と合同して自由民主党に)から出された『うれうべき教科書の問題』(全3集)が作中にも登場する。いわば教科書版「逆コース」というべきこのパンフレットの出現により、教科書検定はにわかに厳しくなり、政治に忖度した教科書会社はそれまでの「進歩」色一辺倒の執筆陣の見直しを画策する。突如、教科書利権から締め出されることになった玖村の人生の暗転は思いもかけぬ方向に彼を突き動かすことになる。

 清張の小説の特色は、『うれうべき教科書の問題』をめぐる争いを、国家による思想統制の強化というアングルからではなく、教科書利権からの「進歩派」の締め出しという下部構造(?)的なアングルから描き出したことにある。この点、同じテーマを扱った阿部知二『白い塔』(雑誌『世界』に連載、1963年刊行)とはそのアングルがまさに対照的であり、清張の性格がよく出ていると言えよう。

 もちろん、小説ではある。だが確かに日本民主党の『うれうべき教科書の問題』でも、教科書の内容の「偏向」についてだけではなく、その価格決定や流通過程に不透明性が存在することを指摘し、そうした「利権」が文部省(当時)と教科書会社の癒着をもたらし、さらに日教組の資金源にさえなっているのではないかという指摘が大きな部分を占めている。この問題がこの時期に提起されたのは、保守党系の政治家が多く関与した造船疑獄から世間の目をそらすためのカモフラージュという側面は否めない(佐藤健太郎「五五年体制成立期の教科書問題:『うれうべき教科書の問題』と「共通の広場」」『自民党政権の内政と外交』、ミネルヴァ書房、2023年)。また、こうした「逆コース」の動きに対する進歩派からの反発も当然に大きいものだった。だが、そうした反論の多くは教科書への内容的な介入を国定教科書復活への動きと捉えて批判するものがもっぱらだった。当時有償で相当に高価だった教科書代が家計の負担になっているという認識は世間に広く浸透しており、日教組の政治活動の資金源という指摘はともかく、歴史教科書の執筆および販売がある種の進歩派利権なのではないかという疑問を完全に払しょくすることは難しかった。清張の筆はその意味で進歩派にとっても嫌なところをついていたのである。

清張が「モデル」にしたのは誰か

 清張によれば、この小説に特定のモデルはいないという。たしかに描写される特徴に完全に合致する歴史学者は見出しがたい。おそらく様々な歴史学者をいわばモンタージュしたものであろう。だが、読者の脳裏には様々な実在の歴史学者の名前が去来したはずである。大鶴については、たとえば言論報国会の理事で戦後は公職追放になった秋山謙蔵(作中には大鶴が言論報国会に関係した旨の記述がある)、あるいはもちろん平泉澄の名前を想起したはずである。秋山は戦後に大学に復帰したが、「大鶴」とは専門分野が異なり、平泉の方が専門は近いが戦後に大学に復帰はしていない。やはり何人かのモデルの「合成」なのであろう。

 問題は玖村である。実際の『うれうべき教科書の問題』が集中的にやり玉に挙げたのは社会科教書『あかるい社会』であった。その主要執筆者は宮原誠一、日高六郎、長洲一二、高橋磌一。そのうち唯一の歴史学者だった高橋の名が思い浮かんだ読者もいただろう。あるいは、家永三郎の名が想起された可能性もある。戦後に出され、最後の国定教科書となった『くにのあゆみ』の執筆者の一人だった家永は、すでに歴史教科書の書き手として知られた存在だった。家永が一人で書き上げた通史教科書『新日本史』は、1953年以来、検定教科書(高等学校用)として版を重ね多くの生徒の手に届いていたのである。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
河野有理(こうのゆうり) 1979年生まれ。東京大学法学部卒業、同大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。日本政治思想史専攻。首都大学東京法学部(当時)教授を経て、現在、法政大学法学部教授。主な著書に『明六雑誌の政治思想』(東京大学出版会、2011年)、『田口卯吉の夢』(慶應義塾大学出版会、2013年)、『近代日本政治思想史』(編、ナカニシヤ出版、2014年)、『偽史の政治学』(白水社、2016年)、『日本の夜の公共圏:スナック研究序説』(共著、白水社、2017年)がある。
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