日本史はどのように物語られてきたか
日本史はどのように物語られてきたか (16)

第15回 「獄中非転向の大インテリ」羽仁五郎が夢見た「市民が集うアゴラ」

執筆者:河野有理 2025年8月31日
タグ: 日本
『日本人民の歴史』の中で羽仁五郎は、これまでの日本では「人民の立場」からの歴史が描かれていなかったとして、「人民の立場」からの歴史や「人民」史観の必要を強調した(写真はWikimedia Commonsから)

(前回はこちらから)

資本主義と対決した男

 ガンダムだかなんだかぼくはよく知らないが、戦争をかっこいいと考える子どもだって、いるだろう。こんなときの彼らの心は、どうなっているのか。本当に彼らの心なんだろうか。何かが、入りこんでしまっているんじゃないだろうか。

 1982年に光文社からカッパ・ブックスの一冊として刊行された『君の心が戦争を起こす』の冒頭近くの一節である(7頁)。著者は歴史学者の羽仁五郎。1901年生まれの羽仁は翌1983年に82歳で亡くなるので、これが遺作ということになった。1979年の放映開始当初は不評だったという機動戦士ガンダムシリーズの人気が沸騰していくのが81年から82年にかけてなので、その頃、羽仁の耳にもその評判が届いたのだろう。

 「ガンダム」を、戦争を美化するアニメと捉えるのは今から見るといかにもナイーブな見方にも思える。だが、羽仁はいたって真面目である。「沢田研二のナチス」(1978年発売のシングル「サムライ」の衣装における鉤十字の意匠が物議を醸した)はもちろん、田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』(1981年)に端を発する「「クリスタル」とかいう現象」の流行に対しても、羽仁は不満を隠さない。「ぼくはまったく知らないが、ラコステのテニスウェアを着てナイキのジョギングシューズをはき、エルメスのバッグを持ってたりする、とかいう。何のことだかぜんぜんわからない」(9頁)。分からないなら、どうでもいいようなものだが、そうではない。羽仁はこの言葉から1938年のナチスによるユダヤ人迫害「クリスタル・ナハト(水晶の夜)」を連想し、「クリスタルとかいう種類のかっこいい言葉、名前がつけられる現象の背後には、熱狂的な方向に向かう怪物性がひそんでいる」(10頁)というのである。

 ブランドに浮かれ、流される若者たちは、「個性」や「自分らしさ」を追求しているようでいて、実際は資本の論理に忠実で、それとは知らずに画一的な行動のなかにはめ込まれている。そうした「心」のありようとそれを操作しようとする動きを敏感に察知し、その背後に資本主義とその帰結としてのファシズムを見出そうとする。その是非はともかく、羽仁の言わんとするところを取り出せばそのようになる。流行のサブカルチャーに対する言及も、言うなればそうした話の本線へ誘導するためのフックに違いない。

 資本主義制度とそれがもたらす悪、軍国主義の復活やファシズムの浸透への警鐘を主旋律としつつ、自伝的回顧や現代の若者風俗への放言を織り交ぜる。ときおり、唐突に当時のソ連や東欧への(実態とはかけ離れた)礼賛が混じる。

 「戦後は昭和54年(1979年:河野注)12月27日で終わった」とは谷沢永一の言であるが(『古典の読み方』、祥伝社、1981年、31頁)、1979年12月27日のソ連のアフガニスタン侵攻によって「社会主義の神話」(35頁)が今度こそ決定的に崩壊したと感じる論者も当時いたわけである。そうした論者から見れば、羽仁の立場は異様に古めかしいものにみえただろう。

 もっとも、10年あまり後に訪れるソ連崩壊を予想する人は当時ほとんどおらず、「現存する社会主義」としてのソ連の威信はなお高かった。そうしたなかで、アフガン侵攻の直接の帰結は東西「新冷戦」の緊張の高まり――日本も米国とともに1980年のモスクワ五輪をボイコットしている――であった。「新冷戦」のなかで、旗色の思わしくない社会主義陣営の擁護者を一手に引き受ける老人という趣である。

 もっとも、やや散漫な饒舌体とも言うべきこの文体自体は、おそらくインタビューを下敷きにしてライターが構成したせいもあるのだろう、晩年の著書である本書『君の心が戦争を起こす』の他、『羽仁五郎の大予言 いかにして21世紀に生き残るか』(1979年)、『自伝的戦後史』(1976年)にも共通する特徴である。それぞれの著書では重複するエピソードも多い。

カテゴリ: カルチャー
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
河野有理(こうのゆうり) 1979年生まれ。東京大学法学部卒業、同大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。日本政治思想史専攻。首都大学東京法学部(当時)教授を経て、現在、法政大学法学部教授。主な著書に『明六雑誌の政治思想』(東京大学出版会、2011年)、『田口卯吉の夢』(慶應義塾大学出版会、2013年)、『近代日本政治思想史』(編、ナカニシヤ出版、2014年)、『偽史の政治学』(白水社、2016年)、『日本の夜の公共圏:スナック研究序説』(共著、白水社、2017年)がある。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top