【韓国】「均衡外交」への憧れと対中国リアリズム

執筆者:黒田勝弘 2012年11月21日
カテゴリ: 国際
不法操業後、韓国海洋警察に追われる中国漁船(c)AFP=時事
不法操業後、韓国海洋警察に追われる中国漁船(c)AFP=時事

 韓国を代表する映画賞「大鐘賞」の今年の最高受賞作に時代劇(韓国では史劇という)『光海、王になった男』が選ばれた。韓流スターのイ・ビョンホンが主演した観客動員1千万人突破の大ヒット作で、22部門のうち作品賞、監督賞、主演男優賞など15部門を席巻した。  映画の主人公「光海君」(1571-1641)は李朝中期の15代目の王。権力闘争で兄弟を殺害、義母を幽閉するなど暴君として知られたが、一方で対中外交で手腕を発揮した人物として歴史に残っている。

明と清の間で「中立外交」を展開した光海君

 時代は北方大陸に満州族の後金=清が勃興し、明を圧迫していたころ(明は1644年に滅亡)。李氏朝鮮は明を宗主国とし、その外交路線はいわゆる「大につかえる」という事大主義外交で常に明に従ってきた。
 明は中朝国境での清の反乱を討伐するため朝鮮に派兵を要請する。一方、新興勢力の清は国境を接する朝鮮に対する支配をうかがい圧力を加えている。朝鮮としては明の要請に従って派兵すれば清との衝突は不可避で、強兵の満州軍団・清にはとうてい勝てない。
 明につくか清につくか、悩ましい状況下で光海君は「中立外交」に出る。派兵はOKし明の顔を立てながら、現地では傍観姿勢を命令し清とは積極的には戦わなかった。明からの増援要請にものらりくらりで対処した。
 朝鮮にとって中華の盟主・明に従わない中立という選択は伝統的な事大主義に反する。光海君は親明派の事大主義勢力により追放され島流しになる。親明派にかつがれた16代の王・仁祖は当然、清の不興を買う。清は大軍で朝鮮半島に侵攻、国土は戦乱となり仁祖は無理やり君臣の誓いをさせられ屈服した(1636-37年、丙子胡乱、三田渡の誓い)。以降、朝鮮は清の属国となり、これは1894-95年の日清戦争で清が日本に敗れ朝鮮半島から手を引くまで続いた。
 映画は光海君の“影武者”が登場するなどエンターテインメント仕掛けになっていて、そんな外交問題が話の中心というわけではない。ただ光海君の異例の「中立外交」は権力闘争の1つの争点として描かれている。
 この地での「中立外交」というのは正確な表現ではないかもしれない。むしろ「両天秤外交」が適切かもしれない。映画『光海』人気の背景には、今また北方大陸からの圧力を前に、韓国がある種の外交的選択を迫られているという状況が反映しているという深読みも可能である。

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執筆者プロフィール
黒田勝弘 産経新聞ソウル駐在客員論説委員。1941年生れ。共同通信ソウル支局長、産経新聞ソウル支局長兼論説委員を経て現職。2005年度には日本記者クラブ賞、菊池寛賞を受賞。在韓30年。日本を代表するコリア・ウォッチャーで、韓国マスコミにも登場し意見を述べている。『“日本離れ”できない韓国』(文春新書)、『ソウル発 これが韓国主義』(阪急コミュニケーションズ)など著書多数。
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