復興遅れに抗い「蒸しホヤ」に懸ける:東日本大震災から4年半

執筆者:寺島英弥 2015年9月7日
タグ: 台湾 韓国 日本
エリア: アジア

「ホヤ(海鞘)」をご存じだろうか。三陸の珍味とされる海産物だ。2011年3月11日の津波で産地の養殖ホヤは全滅し、昨年ようやく復活したものの、大消費地・韓国の輸入規制の壁で販路は失われた。復興も遅れる中、若い漁業者はある挑戦に懸けた。9月11日で東日本大震災から4年半を迎える被災地の現状とともに報告する。
                 

韓国の輸入規制

 石巻市の牡鹿半島の先端近くに、太平洋に面した鮫浦(さめのうら)湾というリアス海岸の入り江がある。全国でも希少なホヤの天然種苗産地で、湾内の多くの漁業者がホヤ養殖に携わってきた。しかし、2011年3月11日の津波による被災と、福島第1原発事故後から韓国が実施している東日本の水産物輸入規制で、二重の打撃を受けた。鮫浦漁港から阿部誠二さん(32)、父の忠雄さん(65)の船・栄漁丸に同乗し、震災後の初水揚げを取材したのは昨年6月下旬の早朝だった。
 湾内の養殖ホヤは津波で全滅した。湾内の一漁港である鮫浦では、28世帯あった集落が跡形もなく流された後、なお海で生きようとする漁業者は11世帯に減った。ボランティアの支援を得て、採苗の受け皿になるカキ殻を集め、養殖いかだを作り直し、11年末に採苗と養殖を再開した。ホタテは稚貝から1年、カキは種苗から2年で育ち、全域が被災した牡鹿半島でも既に12年から水揚げ、出荷を再開したが、ホヤの場合は3、4年も掛かる。だが、復興の頼みの綱がホヤしかない漁業者たちは、ひたすら待つほかなかった。

カテゴリ: 社会 政治
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執筆者プロフィール
寺島英弥(てらしまひでや) ローカルジャーナリスト、尚絅学院大客員教授。1957年福島県相馬市生れ。早稲田大学法学部卒。『河北新報』で「こころの伏流水 北の祈り」(新聞協会賞)、「オリザの環」(同)などの連載に携わり、東日本大震災、福島第1原発事故を取材。フルブライト奨学生として米デューク大に留学。主著に『シビック・ジャーナリズムの挑戦 コミュニティとつながる米国の地方紙』(日本評論社)、『海よ里よ、いつの日に還る』(明石書店)『東日本大震災 何も終わらない福島の5年 飯舘・南相馬から』『福島第1原発事故7年 避難指示解除後を生きる』(同)、『二・二六事件 引き裂かれた刻を越えて――青年将校・対馬勝雄と妹たま 単行本 – 2021/10/12』(ヘウレーカ)、『東日本大震災 遺族たちの終わらぬ旅 亡きわが子よ 悲傷もまた愛』(荒蝦夷)、3.11以降、被災地で「人間」の記録を綴ったブログ「余震の中で新聞を作る」を書き続けた。ホームページ「人と人をつなぐラボ」http://terashimahideya.com/
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