「大争議」以来の危機「東芝」が引いたもう1つの「ババ」

執筆者:杜耕次 2017年3月6日
エリア: 北米 日本
ブランドの信用力も失墜してしまった(C)AFP=時事

 

 東芝が米原発子会社ウエスチングハウス(WH)に絡む巨額損失による債務超過転落を発表したのが2月14日。その後「東芝危機」を見出しにうたった記事や映像報道がメディアに噴出している。2年前の粉飾決算に続く「再度の危機」と言ったり、2000年以降の千億円単位の赤字転落を数えて「東芝4度目の危機」という連載が始まったり、さらには30年前の「東芝ココム事件」になぞらえ「当時と今は似たところがある」といった解説記事まであった。付け焼刃でピンボケの報道も少なくないが、評価は読者に託すとして、今回の「東芝危機」のマグニチュードに見合う前例を探すなら、敗戦後の「東芝大争議」しかない。

「東芝黄金時代」

 第2次世界大戦中に軍需物資の大増産体制を敷いてきた東芝は、国内43工場を擁し、一時期10万人を超す人員を抱えていたが、敗戦で最大の顧客だった軍が崩壊。進駐してきたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は財閥解体・公職追放と並行して巨大化していた軍需産業の民生転換を進め、その結果、東芝の人員は4分の1近くに縮小。中でも川崎や府中など主力工場が集中する京浜地区の労働組合の主導で、1945年末から泥沼の争議が始まった。

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