「中印国境紛争」狭間の小国「ブータン」微笑みの陰の「苦闘」

執筆者:樋泉克夫 2017年9月29日
エリア: アジア
ブータン国民が感じる幸福度の陰では統治者である国王の苦悩が……(C)Foresight

 

 1960年代初頭、ブータンに「ひとりの背の高い快活な人物」がいた。ロプサンと名乗るその男はブータン人ではなく、「共産中国によるチベット制圧とダライ・ラマのラサ脱出の後、チベットから逃れてきた中国人技師」とはいうものの、じつは満州人だった。そんな人物が、なぜブータンで暮らしていたのか。

 大連の裕福な実業家の家に生まれたロプサンは、東京大学機械工学科に学び、1940年から3年ほどは「日本の首都にある学生寮で暮らし、日本人学生と一緒に生活した」。その後は「シベリアでロシア軍の捕虜として二年間を過ごした日本陸軍航空隊の中尉だったり、毛沢東が創設した最初の戦車部隊の隊長だったり、チベット人が仏の化身と崇め祭った女性の愛人だったり、ラサでは一流の機械技師として慕われたかと思うとその一年後にはゲリラの土地をさまよいながら逃亡する文無しになっていたり、そしてついには、ブータン国王のお気に入りとなった後、鼠がはびこる地下牢で鉄のカセをはめられていた囚人だった」のである。

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執筆者プロフィール
樋泉克夫(ひいずみかつお) 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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