ジョージアから「連れ去られた人々」を追って――イラン・フーゼスターン紀行(3)
2020年6月12日

尖塔が特徴的な伝ヤアクーブ廟(筆者提供、以下同)
前回はイラン南西部「フーゼスターン紀行」の番外編として、コロナ禍に見舞われる直前の米プリンストン大学における「イラン体験」について記した(2020年5月21日『米プリンストン大学での「イラン」体験――イラン・フーゼスターン紀行(番外編)』)。同じ年にイランとアメリカを訪れることが出来るのは、日本人研究者の1つの特権とも言えよう。
時間が経ってしまったが、今回はフーゼスターン紀行の続編をお届けしたい。
前2回は、こちらをご参照。
ジョージアから「連れ去られた人々」を追って――イラン・フーゼスターン紀行(1)(2019年6月3日)
ジョージアから「連れ去られた人々」を追って――イラン・フーゼスターン紀行(2)(2019年6月19日)
「宗派の坩堝」である中東の縮図
(1)では、フーゼスターンの州都アフヴァーズについて紹介した。

フーゼスターン地方の地図
フーゼスターンはイランの原油生産の中心地であり、イラクとの境にあるためにイラン・イラク戦争では甚大な被害を受けた。現代イラン史を考える上で極めて重要な地域である。テヘランからの直行便も数多く飛んでいる。
記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。