中国京劇「名優の死」に思うこと

執筆者:樋泉克夫2021年5月16日
楊子栄を演じる譚元寿(右)と許雲峰を演じる譚正岩(筆者提供)
中国京劇界の名優が相次いで亡くなった。«政治»に翻弄された役者の軌跡を振り返る。

 

 中国京劇界は昨年10月9日に「老生(たちやく=成年男性役)」の譚元寿(1929年生まれ)を、次いで今年4月17日に「旦(おやま=女性役)」の杜近芳(1932年生まれ)を失った。

 共に将来を嘱望された「童伶(こどもやくしゃ)」として初舞台を踏み、建国前後からは若手花形として舞台を盛り上げ、《政治》の狭間で激しく揺れ動いた京劇界を牽引し、多くの後身を育てた。「京劇名家」と呼ばれるに相応しいヴェテラン役者である。

«政治»と深いかかわりを持った譚家

 中国の伝統芸能の世界では日本のように名跡継承制度はない。芸は一代限りで、役者は誰もが初代で末代。だから一族で血と芸を継承する例は皆無に近いのだが、唯一の例外が、譚元寿が受け継いで後代に伝えた譚家である。

 譚家の芸は一貫して《政治》と深いかかわりを持ち、清末から現在にまでつながる。これまた稀有な例だ。

 長江中流域の武昌(現在の武漢)から北京に上って一族を起こしたのは清末の譚志道で、志道を継いだ譚鑫培は現在に続く京劇の基礎を形作った。人気絶頂期の譚鑫培が有していた社会に対する影響力は、清朝末期の高位高官や名立たる軍閥を遥かに凌いだと言われるほどだ。

 その息子の譚小培は役者としては凡庸なレベルだが、京劇見巧者の一面を持つ毛沢東に対しても遠慮はなかったとの証言も残されている。

 次世代の譚富英は共産党員で、同世代の著名な京劇役者の多くが「民族の裏切り者」「京劇界の悪覇(ごくつぶし)」と批判され文化大革命の犠牲になったのとは違い、1977年3月には革命功労者だけに埋葬が許される北京八宝山革命公墓に共産党員として埋葬されている。

文革の宣伝マンだった譚元寿

 譚元寿はその富英の息子であり、曽祖父の譚鑫培以来の譚家伝承の老生(たちやく)で、50年代には古典演目の舞台を務め人気を博していた。

 60年代に入るや、毛沢東夫人の江青の音頭取りで始まった京劇改革の先頭に立つ。文革を大いに盛り上げる働きを担った革命現代京劇の『沙家浜』と『智擒慣匪座山彫』(後に『智取威虎山』に改編)では、共に主役である共産党軍人のスーパーヒーロー・楊子栄に扮し、文革の宣伝マンとして務めた。

 だが、文革が終息し対外開放の時代に入るや、革命現代京劇とはかかわりを絶った。豊かになった社会が“ほろ苦い思い出の象徴”として革命現代京劇の再演を望むようになっても、である。政治的に旗色を鮮明にすることが家芸の伝承を脅かしかねないと考えたのか。あるいは文革における江青との関係が必ずしも“本意”ではなかったことを、言外に伝えようとしたのか。

 晩年の譚元寿は、曽祖父以来の古典演目――譚家の当り芸――を息子の譚孝曽や孫の譚正岩と演じている。

 いま習近平一強体制下、譚正岩は建党99周年を記念して新作され習近平路線を讃える現代京劇『許雲峰』で、国共内戦時に自らを犠牲にして多くの同志を救った主人公の許雲峰を熱演し、喝采を浴びる。

杜近芳が形作った「戦う娘」の演技

 一方の杜近芳は10歳で初舞台を踏んだ後、梅蘭芳を筆頭に多くの名優に師事し、旦を主人公にする代表的伝統演目を演じ、すでに17歳の若さで座長として京劇一座を率いた。

 建国後、彼女は美貌と美声を引っ提げ、京劇の海外公演を数多くこなし、「人民中国」の海外におけるイメージアップに努めた。だが、彼女の死と共に中国で報じられる生前の「重要活動」を追ってみると、不思議なことに文革期の記録がスッポリと欠落している。

 彼女は師匠である梅蘭芳の「拿手戯(おはこ)」を多く演じているが、やはり注目すべきは、どうやら現代京劇における「戦う娘」の演技が、彼女によって形作られたと考えられることだ。

 地主の横暴に反抗する農民の姿を描いた『白毛女』で主役の喜児を演じ、共産党の指導を受けた海南島の農民が封建地主打倒の戦いに決起する『紅色娘子軍』では主役の農奴娘の呉清華を演じ、先にあげた『智擒慣匪座山彫』の種本となった『林海雪原』では、主役の楊子栄を助ける娘の小白鴿を演じている。喜児、呉清華、それに小白鴿もまた、習近平国家主席好みの「中華民族の偉大な復興の礎」と言えるだろう。

 あるいは、だからこその「京劇芸術家、国家級非物質文化遺産項目(京劇)代表性伝承人、国家京劇院による芸の品格の基礎造りの功労者の1人である」(「国家京劇院訃告」)でもあるのだろう。

京劇の政治性に思うこと

 建党百周年である2021年の今年を再出発の機と捉え、習近平政権が国民間に共産党の正統性を周知徹底しようとするなら、京劇に過度の政治性を求めることも否定できそうにない。

 京劇と京劇役者が文革期のように再び《政治》の荒波に呑み込まれないことを、異国の戯迷(京劇狂い)たる筆者は望みたい。とはいえ《政治》を芸の肥やしとして逞しく成長してきたことも、また京劇の強みではあるのだが。

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