ウイグル人権問題に起因するドイツの対中戦略の転換は、EUにも影響必至だ。写真はドイツ・ヴォルフスブルクにあるVWの本社工場(nitpicker / Shutterstock.com)
独連邦政府はロシアのウクライナ侵攻開始以降、中国に対する態度も硬化させている。5月末には新疆ウイグル自治区の工場を理由にフォルクスワーゲンの対中投資保証を拒否、貿易相手国の国際法違反や人権侵害に目をつぶった長年の姿勢からの転換は急だ。

 5月27日、ドイツ連邦経済・気候保護省(BMWK)は「新疆ウイグル自治区に事業所を持つドイツ企業に対し、中国での投資プロジェクト4件の投資保証を延長しないことを決めた」と発表した。

 同省の広報官は企業名を公表しなかったが、ドイツのメディアはこの企業が欧州最大の自動車メーカー、フォルクスワーゲン(VW)であると指摘している。VWも、政府に対して投資保証の延長を申請したことを認めている。

 VWは2013年以来、中国の自動車メーカー上海汽車集団(SAIC)と共同で新疆ウイグル自治区に建設した工場で、自動車の組み立てを行っている。VWはSAICとともに上汽大衆汽車という合弁企業を設立している。外国の自動車メーカーの中で、新疆ウイグル自治区に工場を持っているのはVWだけだ。

 投資保証は、ドイツ企業が新興国などに投資する場合に、資産の国有化や没収、戦争、テロなどによる経済損害のリスクをドイツ政府が保証する制度。政府は2021年末の時点で、ドイツ企業の世界各地での投資について、合計約26億ユーロ(3640億円・1ユーロ=140円換算)相当の保証を与えている。

 BMWKは「この4件の投資プロジェクトは、新疆ウイグル自治区の工場と関連がある。我々が、人権上の理由から企業の投資保証の延長申請を却下したのは初めてのことだ」と説明している。BMWKは、このVWからの申請を除き、去年12月以来、複数のドイツ企業からの、中国に関連した投資保証申請を13件審査したが、これらのプロジェクトは新疆ウイグル自治区と関連がなかったので、政府は投資保証を与えた。

 新疆ウイグル自治区については、イスラム教徒などに対する人権侵害が相次いで報じられている。このためドイツ政府は新疆ウイグル自治区に関連した企業のプロジェクトを、ドイツ国民の税金で支援するべきではないと判断したのだ。

 将来VWは、新疆ウイグル自治区の工場と関連があるプロジェクトについては、政府の保証を受けられないので、投資リスクを自分で負わなくてはならない。

 VWは「我々は新疆ウイグル自治区の工場での状況を厳しく点検している。この工場で人権侵害や差別が行われたという事実はない。強制労働を命じられたイスラム教徒らが、そこで働いているという事実もない。この工場で働く従業員の採用基準は資格や技能だけで、出自や宗教、民族などは問われない」と説明している。

ドイツ政府、新疆ウイグル自治区での人権侵害を批判

 VWに対する投資保証拒否がドイツで大きく注目された理由は、このニュースが流れる3日前に、新疆ウイグル自治区に関する衝撃的な写真や文書が公表されたからだ。

 5月24日にドイツのシュピーゲル誌、バイエルン放送、英国のBBC、フランスのル・モンド紙、米国のUSAトゥデイ紙、日本のNHKや毎日新聞社など世界の14社の報道機関は、「新疆公安ファイルズ(XPF)」と名付けた調査報道において、多数の写真や文書を公開した。

 写真には、刑務所のように見える建物の廊下を、頭に黒い布をかぶせられ、手錠姿で警察官に付き添われて歩かされる人物や、頭を布で覆われたまま床にしゃがんでいる4人の人物が映っているものがある。

「虎の椅子」と呼ばれる拘束用の椅子に腕と脚を固定されて、複数の警察官によって尋問される男性を撮影した写真もある。廊下には、途中に鉄格子が取り付けられている。バットのような警棒や自動小銃、盾を構えた警察官も見える。

 シュピーゲル誌などは、「これらは、新疆ウイグル自治区に中国政府が設置した再教育収容施設の中で、2018年1~7月に警察が撮影した5704枚の写真の一部」と主張している。XPFには、収容施設に拘束されている約2800枚の男女の顔写真も含まれている。 拘束されていた市民の年齢は15歳から73歳。

 シュピーゲル誌などによると、これらの写真と資料は、何者かが中国の警察のコンピュータのサーバーをハッキングして盗み出し、米国のNPO「共産主義犠牲者記念財団」のドイツ人研究者アドリアン・ツェンツ氏に提供したもの。人類学者であるツェンツ氏は、これまでも新疆ウイグル自治区でのウイグル人弾圧や、チベットでの人権侵害について、主に欧米のメディアを通じて告発してきた。

 これらの写真に対するドイツ政府の反応は激しかった。アンナレーナ・ベアボック外務大臣(緑の党)は、「これらの写真は、新疆ウイグル自治区で重大な人権侵害が行われていることを示す証拠だ。見る者を戦慄させる写真ばかりだ。我々は、もはやこの問題について沈黙してはならない」と発言。

 同大臣は5月24日に中国の王毅国務委員兼外務大臣と行ったリモート会談でも、中国政府に対して、これらの写真や文書について説明するよう要求した。また「中国政府はこれらの写真や文書をどう見るのかを、説明するべきだ。さらに、なぜこれまで『新疆ウイグル自治区では人権侵害は行われていない』と主張してきたのかについて、はっきり説明する義務がある」と語っている。

 またクリスティアン・リントナー財務大臣(自由民主党)も 「私は、この映像に衝撃を受けた。ドイツ経済が中国に大きく依存していることを考えると、この映像は我々の心を苦しめる。我々は中国政府関係者と話す時には、常に人権問題を取り上げなくてはならない。中国が重要な貿易相手国だからという理由で、遠慮してこのテーマを避けてはならない」と述べている。

 さらにリントナー氏は、「米国やカナダなど普遍的な価値を共有する国々との貿易や投資を増やして、経済関係を多角化するべきだ」と述べ、中国経済への依存度を減らすよう訴えた。

 米国政府のリンダ・トーマス=グリーンフィールド国連大使も、同日にツイッターに、「新疆ポリス・ファイルズを見てゾッとした。これは中国が多数のウイグル人や他の宗教的マイノリティー(少数派)を拘束している実態に光を当てるものだ。国連人権委員会は、これらの資料を分析して、中国に対して強く説明を求めなくてはならない」と記している。

 これに対し中国外務省の汪文斌報道官は、同じ5月24日に「今回のリークは、中国の風評を貶めようとする、反中勢力の試みの一つにすぎない。噂や嘘を流布するという使い古されたトリックでは、世界各国の中国に対する見方を変えることはできない。これらのデマは、新疆ウイグル自治区が安定と繁栄を享受しており、住民たちが幸福で充実した生活を送っているという事実を糊塗することはできない」と反論している。

 中国の習近平国家主席も5月25日にミシェル・バチェレ国連人権高等弁務官とのリモート会議で、「人権問題を政治の道具として使ってはならない。人権についてダブルスタンダード(自国とは異なる標準を他国に適用すること)を使うことにも反対だ。人権は歴史的、実務的な文脈の中で規定される。中国の人権をめぐる対応は、我が国独自の条件に対応して決められる。人権問題で理想的な国家はない。我々は、人権について教えを垂れる『教師』を必要としない」と述べ、中国の人権問題に対する外国の批判を、「内政干渉」としてはねつけるこれまでの姿勢を繰り返した。

VWは新疆ウイグル自治区での事業継続を主張

 VWのヘルベルト・ディース最高経営責任者(CEO)は、5月30日にドイツの経済日刊紙ハンデルスブラットに対し、「我々が新疆ウイグル自治区に工場を持っていることは、市民の生活状態の改善に役立っている。もちろん我々は現地の状況を細かく観察し、問題があれば厳密に対処する」と述べ、新疆ウイグル自治区の工場を維持する方針を明らかにしている。

 ディースCEOは、「世界の様々な国での民主主義や人権についての状況は、欧州と同じではない。我々は、ビジネスの相手を民主主義国家だけに限ることはできない」と述べた。

 VWにとって、中国は世界で最も重要なマーケットだ。同社が2021年に世界で販売した車のうち、約44%(販売台数)が中国で売られた。ディース氏は「我々はこれからも中国にとどまらなくてはならない。同国は今後も成長するし、自動運転やコネクテッド・カー(インターネットへの常時接続機能を備えた自動車)に関する技術開発の上で重要な役割を果たす。将来も中国でビジネスを行うことは、我々にとって極めて重要だ」と語り、事業継続の姿勢を強調した。彼は「ウクライナ戦争で中国がロシア側につく可能性について心配していないか」という記者の問いに対して「地政学的な状況について、懸念はある。しかし中国は米国と並び、世界最大のモビリティ市場だ」と述べて、当面はビジネスを優先する態度を打ち出している。

 VWが新疆ウイグル自治区に進出した背景には、政治的な事情があったものと見られている。中国での自動車ビジネスに詳しいドイツの企業コンサルタント、ヨッヘン・ジーベルト氏はシュピーゲル誌に対して「新疆ウイグル自治区での工場建設は、VWが能動的に希望したことではなかった。2011年に同社は上海での生産設備の拡大を希望したが、中国政府は『新疆ウイグル自治区に工場を建設するならば、上海工場の拡張を許可する』という条件を出した。このため、VWは経済的に引き合わないにもかかわらず、新疆ウイグル自治区に工場を建てたのだ」と説明している。つまりVWが新疆ウイグル自治区の工場を閉鎖した場合、中国政府の機嫌を損ねる可能性がある。VWは、難しい判断を迫られている。

ドイツ政府が新しい対中戦略を公表へ

 しかしドイツの労働組合などからは、VWに対し新疆ウイグル自治区の工場の維持について、疑問を投げかける声が出ている。同国で最大の影響力を持つ金属産業労組(IGメタル)のイェルグ・ホフマン委員長は、6月17日付のドイツの日刊紙「ブラウンシュヴァイガー・ツァイトゥング」に対し「新疆ウイグル自治区でイスラム教徒らに対する弾圧が行われていることは、疑いようがない。VWの経営陣は、この問題に正面から取り組んで、社内で真剣な議論を行うべきだ」と指摘。

 ホフマン委員長は、「新疆ウイグル自治区に関わり続けるということは、VWの名誉にとって一体どういう意味があるのか、私は問わざるを得ない。自分の家の庭で何が起きているかだけを見るのではなく、自分の家がどのような場所にあるのかを見極めるべきだ。もしも左を見ても右を見ても人権侵害が行われていることがわかったら、私は行動を要求する」と 語っている。

 またドイツのニーダーザクセン州はVWの大株主だが、同社の監査役会のメンバーでもあるニーダーザクセン州のシュテファン・ヴァイル州首相も6月17日付のドイツの日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)に対し「VWの新疆ウイグル自治区の工場で差別や人権侵害が行われているという情報はない。しかし、今回公表された、同地域での人権侵害に関する写真や文書の内容は、衝撃的だ。VWの経営陣がこの問題に取り組み、現地の人権をめぐる状況を詳しく分析する義務があることは間違いない」と 述べている。

 第二次世界大戦後、ドイツの歴代政権は、ロシア(ソ連)から割安のエネルギーを輸入し、付加価値の高い製品を輸出して国富と雇用を増やす政策を続けてきた。だがロシアのウクライナ侵攻で、このビジネスモデルは破綻した。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ドイツ経済のロシア産エネルギーへの依存度を引き上げることで、同国の製造業界の生殺与奪の権を握った。ドイツは液化天然ガス(LNG)の陸揚げターミナルが完成する2024年までは、ロシア産ガスに依存せざるを得ない。ドイツは対ロシア政策の失敗を教訓として、貿易相手国の国際法違反や人権侵害には目をつぶり、投資や輸出入量の拡大だけに注力する「新・重商主義」を改めなくてはならない。

 また、これまでドイツ政府は似たような強権国家・中国に対しても政経分離主義を続けてきたが、今回は軌道修正をせざるを得ない。今年末までに、中国に関して新戦略を発表する予定だ。中国に対するドイツの外交、軍事、経済政策は大きく修正される。ドイツの新対中戦略の内容は、EU全体の対中政策にも大きな影響を与えるはずだ。

 オラフ・ショルツ(社会民主党)政権では、緑の党が中国に対して特に厳しい姿勢を取っている。同党のベアボック外相は、ショルツ政権で中国に対する姿勢が最も強硬な政治家 の一人である。今後ドイツの企業は、地政学的リスクとビジネスの間のバランスを再考する必要がある。ドイツの企業コンサルタントたちは、「中国の台湾侵攻のような『ブラック・スワン』に備えて、プランBを準備し、ビジネスの多角化を行うことが重要だ」と語っている。製造・販売を海外に大きく依存する日本企業にとっても、ドイツの苦悩は対岸の火事ではない。

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