シリコンの盾」で中台戦争阻止を考える、半導体製造最大手TSMCの創業者、張忠謀氏 (C)glen photo / shutterstock.com
台湾からの半導体輸入に依存している、中国経済を支える電子機器生産。半導体が「台湾有事」を思い止まらせる「盾」となるか――米中台の駆引きの実態。

「台湾有事」が起きたら?

 中国の台湾侵攻で中台が交戦、台湾の半導体工場が破壊されれば、台湾からの半導体輸出がストップする――。そんな不安が電子機器メーカーなどの間で高まっている。

 こうした想定に対して、台湾内部から、「半導体を『盾』にして戦争を防ぐ」という主張が発信され、一定の共感を集めている。

 その背景に、台湾製半導体の供給が止まれば、中国経済が空転してしまう、という現実がある。中国が世界に誇る電子機器の大量生産に必要な半導体の約70%は、世界最大の半導体受託生産メーカー(ファウンドリー)である「台湾積体電路製造(TSMC)」から輸入しているからだ。

中国の半導体輸入額が石油を上回る

 今や中国の半導体輸入額(2021年約4300億ドル)は、石油(同約2570億ドル)を大きく上回っている。その36%は台湾からの輸入だ。

 TSMCの創業者で91歳の張忠謀(モリス・チャン)氏は10月9日、米『CBSテレビ』の報道番組「60ミニッツ」で、「シリコン(半導体の主要素材)の盾」について質問され、習近平中国国家主席の名指しを避けながらも、「経済の安定を優先する人なら攻撃を控える」と発言し、注目された。「シリコンの盾」とは、中国に半導体の重要性を再認識させ、台湾攻撃を思い止まらせる、という意味だろう。目標はあくまで「戦争阻止」なのだ。

 張氏はバンコクでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に台湾代表として出席、11月18日に習主席と面談して「うれしいやりとりだった」と述べた。「シリコンの盾」には言及しなかったようだが、その思いをにじませたに違いない。

 中国浙江省に生まれた若き張氏は、国共内戦に人生を翻弄された。香港を経て1949年に渡米し、スタンフォード大学で博士号を取得。大手電機会社テキサス・インスツルメンツで半導体担当副社長まで務め、台湾に招聘されて1985年から2年間台湾工業技術院長。1987年にTSMCを設立して、大企業に育て上げた。

 彼の際立った業績は、組み立て設備(fabrication)を持たない(less)米国の「ファブレス(fabless)企業」から注文を受けて、心臓部の半導体を生産、それが中国の安い労働力によりIT機器に組み立てられる――という水平分業化を確立したことだという。

 しかし米中両大国は、両国の対立深刻化で、このシステムの将来を懸念し、台湾に依存しない高性能の半導体生産の自立を目指してきた。ただ現状では実現まで何年もかかりそうだ。

 20世紀の「石油」の後、21世紀の「戦略商品」は半導体になる。「台湾有事」や米中の秘密工作にも触れながら、事態の推移を追っていく。

最先端の半導体はTSMCが世界の92%

「産業のコメ」と呼ばれた半導体。人工知能(AI)や量子力学など次世代の技術開発には半導体の高度化が必須、とされている。

 まず認識すべきは、TSMCの技術が世界で突出しているという現実だ。世界の半導体生産のうち最先端の半導体だけを見ると、TSMCの市場占有率(シェア)は92%に達し、ほぼ独占状態だ。

 最先端の半導体とは、1辺1センチの集積回路(IC)の回線幅が10億分の1(nm=ナノメートル)の単位で、10ナノ以下のものとされている。TSMCはすでに3ナノの製品を製造している。ただ、中国国内の上海や南京でTSMCが操業している工場では、最先端の半導体生産は禁止されている。

 TSMCは受託生産の会社で、大半が米国の電子機器・半導体企業の6社、アップル、グーグル、インテル、AMD、クアルコム、エヌビディアなどが企画・設計した注文を受けて、カスタムメイドの半導体を製造している。

半導体製造装置トップはASML

 半導体の製造には、半導体製造装置が必要だ。その装置は別の企業が生産している。回線幅10ナノ以下の最先端の半導体は、オランダのASMLの驚くほど超精密な製造装置でしか製造することができない。

 この装置では、「極端紫外線(EUV)」による露光装置(リソグラフィ)という技術が使われている。『ニューヨーク・タイムズ』によると、ASMLの年間生産可能台数は45~55台という。輸出する際、その輸送にはコンテナ40個、トラック20台、ボーイング747の輸送機3機が必要なほど、大きい装置なのだ。

 製造装置を稼働させて半導体を製造するのは、病院の手術室より1万倍もクリーンな窒素室が必要、とやたら条件が厳しい。

 米シンクタンク「スティムソン・センター」の東アジア研究者リチャード・クローニン氏によると、TSMCはこの種の製造装置を約100台所有している。次いで、韓国のサムスン電子が約30台、米インテルが約20台持っているという。この事実から、サムスンとインテルの2社がTSMCを追う図式が見える。

中国の製造装置発注を米情報機関が探知

 2018年、中国がASMLに、EUVを使った製造装置を発注したことが、当時のドナルド・トランプ米政権に探知されて、ASMLは取引停止に追い込まれる事件があった。

 マイク・ポンペオ国務長官がオランダ政府に働きかけて、「インテリジェンス報告書」を見せ、中国への輸出停止を求めたのを受けて、オランダ政府は輸出許可を出さなかったという。恐らく、米中央情報局(CIA)が対中輸出の計画を探知して、輸出を止めることに成功したとみられている。

 中国はすでに一部の前払い金を支払っており、危うく最先端の半導体製造装置を手にするところだった。

台湾から技術者を引き抜く中国

 中国当局は半導体の最先端技術を入手しようと、他にもさまざまな工作を行っている。

 1つは、台湾の半導体エンジニアの引き抜き工作だ。『ニューヨーク・タイムズ』によると、2019年の時点で、中国国内で働く台湾人の半導体エンジニアは約3000人に上った。恐らく、組織的にTSMCなどの優秀な現役エンジニアを探し出し、高給を約束して移籍させたとみられる。台湾経済研究所の統計では、台湾からの移籍者はその分野の中国人エンジニア約4万人の10%弱とみられる。

 最もよく知られた引き抜きのケースは、中国最大の国有半導体メーカー「中芯国際集成電路製造」(SMIC)の共同CEO(最高経営責任者)になった梁孟松氏だ。SMICは中国軍との関係が緊密と言われる。

 梁氏は1952年台湾生まれ。米カリフォルニア大バークレー校で電子工学の博士号を得た後、米AMDの技師を経てTSMC研究開発部長を務めた。

 その後韓国のサムスンを経て、技術者チームを引き連れて2017年にSMIC入りし、回線幅7ナノの最先端半導体を開発したとされている。

 ただ、米政府がその7ナノ回線幅の半導体を「リバース・エンジニアリング」で分析したところ、回路設計図を使って作製したことが分かったという。その半導体は米情報機関が入手したとみられる。2020年の段階では、中国はまだ40ナノの半導体作成でさえ苦労していたとも言われる。そもそも中国は最先端の半導体製造装置を持っておらず、SMICが7ナノの半導体生産ラインまで完成させた可能性は小さいとみられる。

 台湾当局は、半導体技師の引き抜き工作を阻止するため特別チームを結成し、台湾にある中国系の偽装会社を強制捜索。約40件の違法なケースを摘発、起訴したという。

 また、米政府は米国の市民権か永住権を持つ中国人・台湾人技師が中国の半導体工場で働くこと禁止した。これにより、約200人が中国の工場を去るか、米国市民権・永住権を放棄するか、の選択を迫られる。

対中規制のハードル上げた米政府

 ジョー・バイデン米政権の半導体政策は、(1)米国内で最先端半導体の開発・生産を推進する(2)中国による最先端半導体の開発と生産能力の取得を規制するための輸出管理の強化――という両面から進めている。

(1)では、今年8月に成立した「CHIPS・科学法」が柱となっており、予算総額2800億ドル(約39兆円)。米国内での半導体工場の新設・拡充に補助金を充てる。すでにインテルは昨年着工したアリゾナ州の工場に加え、オハイオ州に200億ドルで新たな受託生産工場を建設。3ナノの最先端半導体も開発する。TSMCはアリゾナ州で数十億ドル規模の2プロジェクト、サムスンは170億ドルの予算で最先端半導体製造工場を建設する。

 しかし、この政策が質量両面で成果を出すまでには一定の期間が必要となる。

 また(2)をめぐっては、米国が規制対象のハードルを上げたため、オランダなどとの交渉が難航していると言われる。

 先述のようにオランダ政府は、ASMLが10ナノ以下の微細な半導体を製造するのに必要なEUVの製造装置を、中国に輸出することを禁止した。しかし2022年になって、米国は14ナノ以下の半導体の製造装置を規制対象に引き上げたというのだ。

半導体自給率が停滞する中国

 習主席は、「中国製造2025」に加え、建国100年の2049年に「製造強国」のトップを目指し、半導体の自給率向上を目標にしている。その目標は2020年に49%、2030年には75%とされている。AIや量子コンピューター、さらに高性能武器の開発を狙っているようだ。しかし現実には、自給率は2021年で16.7%にとどまっている。SMICのような国有企業では、目標達成は困難だろう。

 中国は「台湾統一」の軍事行動に踏み切る前にどんな経済政策をとるのか。米シンクタンク「戦略国際問題研究所」は、第1項に「対外依存からの脱却」を挙げている。

 その基準から判断すると、半導体の台湾依存が続く限り、「台湾有事」の機はなかなか熟しそうにない、ということになる。

 しかし、習主席が台湾統一を断念することはないだろう。半導体については、たとえば台湾のTSMC工場を何らかの形で掌握することも考えるだろう。秘密工作、あるいは何らかの奇策に出るかもしれない。

 米国が懸念しているのは「中国が台湾の半導体生産能力を中国のコントロール下に置くことだ」と元CIA分析官で現在シンクタンクの「新米国安全保障センター」研究員のマーティン・ラッサー氏は指摘している。

日本は最先端半導体の国産化に集中すべき

「台湾有事シフト」一本槍で防衛力強化、防衛予算大幅増に取り組む日本は、台湾有事に半導体が絡んだ、以上のような複雑な情勢をどう判断するのだろうか。有事に備えるだけではなく、張氏が求めるように、台湾の武力統一に反対し、平和外交も積極化すべきだ。

最先端の次世代半導体生産をめぐっては、日本でも、トヨタ自動車や半導体メーカー、大手電機などが、国内生産を目指す新会社「Rapidus(ラピダス)」の設立を発表した。政府は700億円の補助金を出してプロジェクトに参加するという。

 しかし、最先端2ナノの量産目標は2020年代後半を目標にしており、TSMCなどが量産を計画する2025年から数年遅れる。そもそも補助金の額が米国とはけたが違う。

 今年7月に初めて開いた日米の外務・経済閣僚協議「経済版2プラス2」に向けて、日本政府は2ナノ半導体の日米共同研究や米国の国立半導体技術センター(NSTC)の協力を求める構えだったようだ。しかし、協議後に発表された共同声明や行動計画では、具体的な計画は盛り込まれなかった。米国頼みの計画では確実な技術開発は難しいだろう。

 

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