国際人のための日本古代史 (38)

「富士山」が日本書紀に無視された深いワケ

執筆者:関裕二 2013年5月13日
タグ: 日本
エリア: アジア

 富士山(富士山と信仰・芸術の関連遺跡群)が、ユネスコの世界遺産に登録される運びとなった。

 自然遺産ではなく文化遺産としての登録とは、うまい手を考えたものだ。たしかに、日本人にとって富士山は特別な存在だった。古い時代から、愛されてきたし、大自然を神と崇める多神教的な発想の象徴的な存在が富士山だった。

 

最古の登山者は「役小角」

 富士山本宮浅間大社と富士山[静岡県提供](C)時事
富士山本宮浅間大社と富士山[静岡県提供](C)時事

 富士山が現在のような形状になったのは縄文時代のことで、縄文人は、畏敬の念を抱いて見上げていたようだ。富士山本宮浅間大社のある静岡県富士宮市の台地に、縄文中期の環状列石が見つかっていて(千居=せんご=遺跡)、中央部に富士山をかたどった石が祀られている。他にも、山梨県都留市の牛石遺跡など、富士山周辺には複数の縄文遺跡が存在し、富士山を意識していたことが、遺物から読み取れる。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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