AI鑑定では「別人」の可能性――ロシアでも広がるプーチン「影武者」説

執筆者:名越健郎 2023年5月31日
タグ: プーチン AI
エリア: その他
3月19日にウクライナのマリウポリを視察したプーチン氏は本物か、それとも……!? (C)AFP=時事
前線視察など戦意高揚に「顔」を出す必要性が高まる中で、かねて囁かれるプーチンの影武者説が改めてクローズアップされている。昨年7月に画像・映像修正技術も駆使して替え玉使用が決定したと、謎のブロガー「SVR将軍」は指摘。同年12月のクリミア大橋復旧を視察したプーチンの映像には多くの違和感が伝えられ、ロシア国内でも疑惑が膨らむきっかけとなった。

 

 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が自らの安全を確保するため、「影武者」を使っているとの憶測がロシア内外で広がっている。健康不安がささやかれる大統領が、あちこち出没するのは不自然で、表情や動作も微妙に異なるという疑惑だ。

 ドミトリー・ペスコフ大統領報道官は4月24日、「大統領が塹壕に閉じこもっているという噂は嘘であり、替え玉の噂も嘘だ。大統領の健康とエネルギーはうらやましいほどだ」と影武者説を全面否定した。

 とはいえ、影武者説はロシアの独立系メディアやSNSでも広範に報じられている。その実態を探った。

昨年7月に影武者利用を決定か

 影武者説は、プーチン氏が昨年12月5日、ロシア本土とクリミアを結ぶクリミア大橋を訪れた頃から流れ始めた。プーチン氏は10月に爆破された橋の復旧工事完了を視察。マラト・フスヌリン副首相を隣に乗せ、メルセデス・ベンツを自ら運転し、後部座席で撮影した動画が大統領府HPで公開された。

 反プーチンの女性ジャーナリスト、ユリア・ラティニナ氏は反政府系メディア「ノバヤ・ガゼータ」(4月23日)で、「替え玉が出張に登場した最初の本格的ケースだ。臆病なプーチンは閣僚を遠ざけて座らせるが、勇敢なプーチンは市民と無作為に握手する。われわれは二人の異なるプーチンを見ている」と指摘した。

 クレムリンの内部情報に詳しい謎のブロガー、「SVR(対外情報庁)将軍」は、SNS「テレグラム」で、「プーチンの健康悪化を受けて、大統領の参加が必要なイベントでは、必要に応じて替え玉を使い、画像・映像修正技術を駆使することが2022年7月に決まった」「クリミア橋を運転したのは、大統領の影武者だ。プーチンはこのようなイベントに参加できないほど臆病なのだ」と指摘した。

 有力紙「コメルサント」のクレムリン担当記者、アンドレイ・コレスニコフ氏も新興メディア「フェデラル・プレス」(5月25日)で、「昨年12月のクリミア橋視察と同じ日、モスクワのマネジ広場で開かれた式典にも大統領が参列していた。あんなに早く往来はできない」と皮肉った。ただし、同記者はコメルサント紙には影武者説を書いていない。

 ロシア国営テレビや主要紙は決して報道しないが、ロシア語のネット空間には関連情報があふれている。

両腕を自在に動かすプーチン

 今年3月14日、大統領が東シベリア・ブリヤート共和国の首都ウランウデにある軍用ヘリコプター工場を視察した時の映像も奇妙だった。

 プーチン氏は工場内で労働者らと約30分間立ち話したが、やや高揚した様子で早口で会話し、両腕を自在に動かした。プーチン氏はふだん右腕をあまり動かさないことが知られているが、この時は頻繁に動かし、両腕を後ろに組む珍しいポーズも見せた。

「SVR将軍」は、「この時、大統領に似た男は、プーチンらしからぬ表情をあらわにした。30分近くも感情のこもった手の振り方で替え玉であることを見破られた」と指摘した。

 ウランウデ訪問にはモスクワから往復10時間以上かかるが、プーチン氏は工場でヘリのシミュレーション操縦室にも1時間近く入った。ウクライナ侵攻を指揮する最高司令官としては余裕がある。

習近平の訪露前日までウクライナ視察

 神出鬼没のプーチン氏は3月18、19日、クリミアとウクライナ南東部のマリウポリ、南部軍管区司令部のあるロストフナドヌーを視察した。ロシア軍が昨年制圧したドネツク州の港町マリウポリでは夜間、飛行場から自らクルマを運転して市内に入り、住民と話す約30分の動画が大統領府HPで公開された。

 この時はトヨタのランドクルーザーを運転。やはりフスヌリン副首相を隣に乗せ、話しながら夜道を運転している。プーチン氏がモスクワで移動する際、道路は封鎖され、車列が猛スピードで飛ばすが、この時は対向車も行き交った。警備の車列も少なく、信号待ちでブレーキを踏んだ。

 ウクライナのパルチザンを警戒し、あえて通常の移動を装った可能性もある。プーチン氏は市内で住民と近距離で会話し、狭いアパートの一室に入るなど、コロナ禍の隔離が嘘のような密の交流だった。遠方から、「パカズーハ」(見せかけだ)という女性の高い声が聞こえたが、HPの動画からは後に削除された。

 ラティニナ記者は「2日間の旅で、プーチンは誰もいない大学や幼稚園を訪れ、無人の街を夜ドライブし、エキストラの一団と会話した。ゼレンスキー(ウクライナ大統領)の前線視察も唐突に行われるが、民衆は驚嘆し、多くの人がスマホで写真を撮り、握手攻めにする。プーチンが写真を撮られることはない」とし、プーチン氏を「泥棒のように夜な夜な忍び寄る男」と皮肉った。

 「SVR将軍」は、「ビデオ撮影のためだけの訪問だった。影武者は実質的な会話をすることを禁じられている。滞在時間も短く、前線に足を踏み入れた実績だけがほしかった」と指摘した。

 マリウポリなどの訪問終了の翌20日、中国の習近平国家主席が3日間の公式訪問のため、モスクワに到着した。孤立するロシアにとって、中国は最大の後ろ盾であり、中露首脳会談はプーチン氏にとって最も重要なイベントのはずである。前線を視察したプーチン氏が“本物”だったとすれば、前日まで2日間も旅を続けて、首脳会談の準備は大丈夫だったのだろうか。

KGB元同僚も影武者説を支持

 「SVR将軍」はこれ以外にも、昨年7月31日のサンクトペテルブルクでの海上軍事パレード、10月20日の西部軍管区軍事演習場視察、今年2月22日のモスクワでの軍支援コンサート、4月17日のウクライナ南部ヘルソン、東部ルハンシク州視察などでも影武者が利用されたとしている。

 プーチン氏の影武者説は、ウクライナや英国のメディアが好んで報道し、識者の間でも広がっている。KGB(ソ連国家保安委員会)でのプーチン氏の同僚で、フランスに亡命したセルゲイ・ジルノフ氏はウクライナのテレビで、「私は以前、影武者説を陰謀論と退けたが、考えを変えた。全く違うプーチンが現れ、偽物は本物より顔が広くなっている。整形を施したようだが、頭の形も、皺も声も違う」「2月21日に議会で演説したプーチンは痩せていて何度も咳込んだが、翌日コンサートに現れたプーチンは太って健康そうだった」と話した。

 米国に亡命した政治学者のアンドレイ・ピオントコフスキー氏は、「プーチンは小規模な会合や式典では替え玉を使っているが、各国首脳との会談や重要演説では本人が現れる。習近平との会談に影武者を送り込んで、習に恥をかかせることはしない」と述べた。

 ロシアの政治評論家、イリヤ・グラシチェンコフ地域政策開発センター所長は、「フェデラル・プレス」に対し、「影武者がイベントに参加し、何かに署名した場合、署名行為の権限はどうなるのか。これは重大な法的問題を惹起する」と語った。

AI鑑定で低い一致率

 プーチン氏の影武者説については、BS-TBSの「報道1930」が5月22日に独自検証して反響を呼んだ。

 番組がAIによる顔認証システムを開発する民間企業「トリプルアイズ」に委託し、目、鼻、口の形や輪郭など500以上の特徴をAIで解析した結果、本人との一致率は低いことが分かった。

 それによると、5月9日の対独戦勝記念日で演説したプーチン氏を本物とみなしてAIが比較したところ、昨年12月のクリミア大橋視察時の一致率は53%、今年4月のヘルソン州視察時は40%だった。一致率が高いほど本人で、ヘルソンに現れたプーチン氏は「そっくりさんレベル」だったとされる。

 今後、AIを使った顔認証や声紋鑑定が進むとみられる。米英両国や、顔認証技術の先進国、中国の情報機関は、独自に実施しているはずだ。

ロシアの政治文化?

 ロシアでは、政敵のテロを極度に恐れた独裁者ヨシフ・スターリンも複数の影武者を使っていたことが知られる。ゴルバチョフ時代末期にソ連紙が調査報道をしており、最初の影武者は1930年代、爆弾テロに遭遇して負傷。二人目は大戦前後に活動し、簡単な演説もこなし、赤の広場のパレード視察にも動員されたという。

 二人ともイスラム圏の北カフカス地方出身で、スターリンの死後、ひっそり暮らし、長生きしたという。

 長期政権を維持したレオニード・ブレジネフ共産党書記長にも影武者がいたとの説がある。帝政ロシアの一部皇帝も影武者を利用していたとされ、流血の歴史が長いロシアでは、独裁者の影武者使用は政治文化のようだ。

 プーチン氏は2020年2月、タス通信とのインタビューで影武者説について、「政権発足当初、安全のため、ダブルを使うよう提案を受けたが、断った」と述べていた。第二次チェチェン戦争の最中で、テロとの戦いが最も厳しい時期だったという。

 コロナ禍が始まるタイミングでのインタビューも思わせぶりだが、会見したタスのアンドレイ・バンデンコ記者は他のメディアで、「会見では、いきなり『あなたは本物なのか』と尋ね、大統領は『ダー』(イエス)と答えた。“Putin's double” は今や、プーチン関係で最も検索されるキーワードの一つだ」と自慢している。

FSOが運営、最高機密

 スターリンの影武者を操ったのは、KGBの前身、内務人民委員部(NKVD)の要人警護部門だった。要人警護部門はKGBの分裂時に連邦警護庁(FSO)として独立。推定2万人の要員を抱え、米国のシークレットサービス(約6000人)より多いという。

 「SVR将軍」によれば、プーチン氏の影武者を操るのもFSOで、影武者は元海軍海兵隊員だった可能性があるという。しかし、最高機密事項であり、真相は不明だ。昨年秋に亡命したFSOの通信将校も西側メディアで、影武者説には触れていなかった。

 一方で、これほど影武者説が広がると、政権として使いにくいことも事実だ。プーチン氏は5月25日、クレムリンで旧ソ連圏経済ブロックの「ユーラシア経済同盟」首脳会議を主催。26日には、クレムリンに企業トップらを集めて約3時間対面で会見し、健在を誇示した。

 これらのイベントに出席したのは本人のはずで、発言や動作に特に異常はみられなかった。

 プーチン氏の退陣が終戦の突破口となり得るだけに、「健康」と「影武者」に世界の関心が引き続き集まるだろう。

 

カテゴリ: 政治 IT・メディア
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執筆者プロフィール
名越健郎(なごしけんろう) 1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長、編集局次長、仙台支社長を歴任。2011年、同社退社。拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学特任教授を経て、2022年から拓殖大学特任教授。著書に、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『ジョークで読む世界ウラ事情』(日経プレミアシリーズ)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
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