インドネシアで影絵芝居になった桃太郎(後編)

執筆者:徳永勇樹 2024年3月3日
タグ: インドネシア
エリア: アジア
観席からは歓声や笑い声が飛んだ(「Culpedia」HPより)

「日本インドネシア国交樹立65周年記念事業」「日本ASEAN友好協力50周年記念事業」にも選ばれた「Momotaro Wayang」プロジェクトを終えて、インドネシアの若者たちは何を感じたのか。“面倒くさい”異文化交流を通して、筆者はグローバル化の中で多様性を確保する難しさに思いをはせる。

前編からつづく)

日本人とインドネシア人の助け合いを描きたい

 物語の3分の2で桃太郎が不在、代わりに「農水省の山田さん」が登場する台本を読んで、その日はプロジェクトの先行きが不安で眠れなかった。しかし、一晩おいて考えてみると、徐々に考えも変わってきた。もしかしたら、意外に面白いかもしれない。

 そもそも、筆者はワヤンという伝統芸能の自由さ、宗教から日常生活まで様々なテーマを主題にできる面白さ、に惚れたはずである。なのに、その可能性を狭めてしまうのは勿体ない。インドネシア人が桃太郎の物語を引用する形で、正義のヒーローを日本のイメージ(新しい技術やノウハウを持参する)と重ねてくるとは思わなかった。

 それに今回、現地の人々のやることにあまり口を出さない、と決めていた。自分のアイディアがどう育っていくかに関心があったというのもあるが、日本人の感性で「あれはだめ、これはだめ」とやってしまうと、文化交流の趣旨に合わないし、何よりそれをやっても現地で定着することはない。

 桃太郎の物語自体も時代によって解釈が変わっている。特に顕著なのは戦前で、大東亜共栄圏構想を進める日本が、お供の動物たち(他のアジア諸国)と鬼畜米英を倒す物語にすり替わっている。最近は、鬼を懲らしめないという風に変わっているものもある。物語の内容も絶対的に決まっているものはない。

 文化交流の最大の落とし穴は、相手を信用できなくなることだと思う。もちろん良い作品を作りたい、という気持ちはあるが、このプロジェクトについては、現地の人々に台本作りを任せた時点で、既に筆者の手を離れている。今の時代のものを最良として、それをそのまま残そうと努力しても、受け取るのは次の世代の人々である。文化は人から人に伝えられているうちに、伝言ゲームのように少しずつ変わる。そうして継承に失敗して消えていった有形無形の文化も多いことだろう。

 それは、海外への文化展開も一緒だ。祖父から父、父から子でさえ継承が難しいのだから、日本人からインドネシア人ならなおのこと。背景が異なる国に文化が伝播すると、そこで何が起きるのか。それを具(つぶさ)に観察することが、プロジェクトの趣旨だ。だから、今回の場合、私と彼らのセンスのどちらが大事かといえば、現地のセンスであろう。「これを自分たちの意のままにやってほしい」というのは傲慢ですらある。

 筆者の感覚に合わなくても、現地の人が面白がってくれるなら、それでいいのではないか。喉元まで出かかった「これはちょっと違うので書き直してほしい」という言葉をすんでのところで押しとどめ、ひとまずストーリーの担当者に話を聞くことにした。

 結論を言えば、頭ごなしに否定しなくてよかった。話を聞くに従って、一見、荒唐無稽に思えた物語展開も、実は非常に計算しつくされていることに気づいた。エコ氏によれば、桃太郎の話の本質は「善が悪に必ず勝つ」というものだが、悪であっても改心の余地があるならば殺したくない。だから、戦いに敗れた鬼を、僧侶が聖水をかけて、人間の姿に戻した。悪い結末を作らずに、人助けを描くストーリー展開にした、という。

 なぜ山田さんという農水省の役人を登場させたのか、という問いに対しては、昔からコメや農産品を輸出してきたインドネシアにとって、害虫との闘いは国の富を左右する重大な問題だった。そこに、日本人が自らの技術でインドネシア人を助ける。その過程で思うように技術を導入できず困っている日本人を現地のインドネシア人が助けることで、日本人とインドネシア人がお互いを助け合う姿を描きたい、とのことだった。

「ジャワの文化を見直した」という現地の声

プロジェクトの打ち合わせ風景(筆者提供)

 桃ではなくかぼちゃにしたのも、今回の農業をテーマにした物語に合わせるため、ジャワには生えていない桃の代用として選んだという。他にも、筆者からの質問に対して明確に、かつ熱をもって回答をしてくれた。そこまでの思い入れをもってこのプロジェクトに参加してくれたとは思わなかったし、ちょっと想定通りに進まなかっただけで彼らの思いを汲み取れなかった自分が情けなかった。

 若いメンバーも、確かに現地にはあまりないストーリー展開ではあるが、非常に面白いと言ってくれた。彼らがつまらないと言うならば話は別だが、面白いと言ってくれるならば自分が反対することは何もない。結局、台本には一切の変更を加えずに、このままやることにした。

 こうして、冒頭の12月24日を迎えた。インドネシアの若者たちの気合の入れようは格別で、全員が伝統衣装であるバティックを着て登場した。ワヤンの上映前には、ジョグジャカルタ州の伝統音楽のパフォーマンス、日本の茶道と現地のジャワ王室茶道の交流や、筆者も話す機会を頂いたトークショーも行われた。会場前には出店も並び、1日で2000人近くの来場者があったようである。

 メインであるワヤンのパフォーマンスは、非常に素晴らしいものだった。ジャワ語によるパフォーマンスなので、筆者は台詞をほとんど理解することができなかったが、エコ氏の人形捌きはもちろんのこと、ガムランの奏者もぴったりの息遣いで必要な音を届けている。準備していた200席は満員で、現地人の観覧者からは、時折笑いや掛け声が上がっていた。昔、インドの映画館で映画を見たことがあるが、面白いシーンでは歓声が上がるなど、おとなしく静かに見る日本のスタイルとはかけ離れていたのを思い出した。

 終了後のアンケートを見てみると、日本の文化に興味が出た、日本の物語は面白かった、という感想の中に、ジャワの文化を見直すきっかけになった、ジャワの文化を好きになれた、といったコメントもあったのが嬉しかった。日本の物語をどう海外に伝えるかというテーマを超えて、普段は伝統文化なんて素通りしてしまう地元の人たちが、ワヤンに代表されるジャワ文化のすばらしさに気づいてくれたのかもしれない。色々と苦労はあったが、本当にやってよかった。

違いをどう考えるか

ワヤンの上映前に伝統楽器を演奏する人々(筆者提供)

 今回のプロジェクトを通じて、改めて自国の文化、ひいては自分自身について考える機会になった。2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降、イスラエル・パレスチナ問題の再燃など、世界中で起きている紛争問題を見るにつけても、欧米諸国などの先進国と、いわゆるグローバルサウスと呼ばれる国々の間で分断が進行しているように感じる。皆が共通の方向性を目指す身内だという幻想は崩れ、グローバル化という名の標準化に異を唱える人も増えてきた。

 個々のアイデンティティを無視したグローバル化には、必ず無理が来る。今は、将来への幻想を重視するあまり疎かにしてきた、自分の足元を再度照らしなおす時代ではないだろうか。そうした時代に、改めて自分のルーツについて学ぶこと、全く異なるバックグラウンドを持つ人との交流を通じて互いを知ることは、益々重要であると思う。

 ただし、実際に文化的な違いを持つ人との交流は楽しいだけではない。このプロジェクトの期間中だけで、文化の違いに閉口することは何度もあった。参加してくれたインドネシア側のチームの人々は、全体的にのんびりしていて、楽観的な人が多かったこともあるせいか、イベントの直前までありとあらゆるトラブルが立て続けに発生した。それに対して現地側のリーダーが会議の場で「自分たちの信仰心が足りないからだ」と言って、突然皆でお祈りを始め(なぜか筆者も参加させられた)、文字通りの神頼み状態に思わず苦笑いするしかなかった。

 しかし、その過程でインドネシア人だからという色眼鏡を捨てることも多かった。例えば、失礼ながらインドネシア人に勤勉というイメージはこれまでなかった。それが、時間をかけて一緒に仕事をしていると、毎日夜通し準備に勤しむインドネシアの若者たちを見て自分の認識を改める機会になったし、逆に筆者がオンラインの会議に数分遅刻した際には、メンバーが冗談めかして「日本人なのに時間に遅れている」と言うのを聞いて赤面したこともあった。また、「日本人は縦社会が厳しいイメージ。年上の人には気を遣わないといけないと思っていたが、私たちの接し方は勇樹にとって失礼ではないか?」と言われることもあった。筆者からは「全然気にしていないから、むしろもっとフランクに話しかけてほしい」と伝えたが、確かに、それまでは相手側もどことなく遠慮している様子だった。

 そうして、はじめこそ自分は日本人、自分はインドネシア人という建前で接していたものの、互いの仮面がはがれ始めると、徐々に相手との交流が深まっていく。イベントの前日深夜まで準備が終わらず、準備の合間の息抜きに皆で日本とインドネシアのお菓子を交換したときには、当初感じていたような違いや距離感を乗り越えたような気もした。改めて、遠くの人にこそ類似点を、近くの人にこそ相違点を探す努力が必要だと実感した。

 人種的・言語的に均質性の高い日本においては、違い・多様性という言葉に鈍感なことが多い。言葉には表れなくても「日本人なら当たり前」「日本人なのにできないのはおかしい」という無言の非難が行間に含まれる。その裏返しか、日本では海外・外国人というものが、即、異文化・異質なものとして捉えられる傾向がある。

 大企業のHPを見ると、外国人社員を紹介しながら、多様性・インクルージョンという言葉を多用しているきらいがあるが、実際には日本で教育を受けた“日本的”な外国人を好んで採用しているケースも多い。見かけで違う人たちを形だけ集めて、多様性など生まれるはずがない。逆に、均質的に見える日本人社員であっても、一人一人が違う生き方をしている中にこそ、丁寧に多様性を見出すこともできる。

面倒くささを乗り越えて感じる一体感

 多様性の確保というのは、それぞれの人間が人生をかけた真剣勝負である。それは決して楽なことではない。自分とは違う存在との対話やコミュニケーションは正直面倒である。ストレスになるし、時間がかかることもある。時には、自分の価値観や存在を脅かすようにすら思うこともある。しかし、こうしたプロセスを経てこそ人間性は磨かれると思う。筆者の考える日本社会の課題は、こうした「面倒くさい」作業の手間を惜しみ、お互いの本質的な違いの部分の議論を避け、物わかりの良い大人のふりをして、心は未成熟のまま成長していないことに起因しているように思える。

 あくまで独自の定義ではあるが、筆者は、自分と異質なものに出会う状況を「グローバル」、異質なものと距離を取り同質なもの同士で完結する状況を「ローカル」と認識している。外国で仕事をしていても、日本人同士でつるんでゴルフばかり行っていればローカルだし、逆に、日本人だけのコミュニティでも違った考えを纏めながら進めていく姿は十分にグローバルだ。当然、どちらが良いというわけではなく、両方のバランスが大事だと思う。安心を感じられる内輪の仲間も大事だし、馴染みのない人とうまく付き合うのも大事だ。

 これから日本社会は様々な違いと遭遇しながら、ますます「グローバル化」していくだろう。言語・人種・宗教といったわかりやすい違いだけでなく、考え方や価値観の違い、性別や世代の違い、他にもたくさんの違いが、「多様性の時代」には急増していく。その時、違いを正面から受け止めて、受け入れることができるのか。社会だけでなく各個人の器が試されるが、「イツメン」とばかりつるんでいては、残念ながらそうした器は磨かれない。

 もちろんこれは日本だけの問題ではない。様々な人種が集まる米国ですら、肌の色が違うだけで、皆が英語を話し、アメリカ文化という一つの文化に染まっていると主張する人もいるだろう。また、面倒だけど大事な作業を乗り越えると何が待っているかは、筆者もまだわからない。ダイバーシティを確保したらどうなるのか? 何か意味があるのか? 儲かるのか? そうした問いにも、今の時点で筆者は明確に答えることはできない。しかし、ひとつだけ印象に残ったことがある。

 イベントが終わった最終日に反省会という名のもと、メンバーの一部で集まった。ほとんどが徹夜明けで、気力体力共に限界を迎えている。片付けもあるのであまり長く話せない。その中で、さりげなく桃太郎ワヤンの感想を彼らに聞いてみた。インドネシアの人、特に若い人は、この取り組みをどう思ったのだろうか。プロジェクト全体の意義を問われそうで、聞きたいようで聞きたくないような質問だ。

プロジェクトに参加したボランティアメンバーたち(最後列右から2人目が筆者)

 嬉しかったことに、皆笑顔で「楽しかった」と言ってくれた。「桃太郎の鬼退治の場面、日本では鬼はどう描かれるのか?」「桃太郎って本当はどんな話なの?」そんな質問も出てきた。筆者もわかる限りで、桃太郎の話や背景を説明した。人生でこれほど桃太郎について熱く語ったことはないだろう。

 その瞬間、不思議な一体感を感じることができた。祭りの後の高揚感のせいでもあるが、目の前にいる若者たちとの距離がぐっと近づいた感覚を覚えた。それまで、オンラインで毎週のように顔を合わせてきたはずだが、ややおじさん臭い表現を使うと、「やっぱり、会って話さないと!」というのを実感できた瞬間である。そして、媒介となってくれたのは、桃太郎という物語であり、それはもはや一つの共通言語であった。

 数カ月間もの間、直接会ったことがない若者たちと、途中トラブルや意思疎通の難しさを感じながら、お互いを理解してプロジェクトを前に進めていく大変さや面倒くささ。それを乗り越えた先に感じた充実感や一体感は、現代のありとあらゆる娯楽をもってしても代えることはできないだろう。

 

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
徳永勇樹(とくながゆうき) 総合商社在職中。東京大学先端研創発戦略研究オープンラボ(ROLES)連携研究員。1990年7月生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本語、英語、ロシア語に堪能。ロシア語通訳、ロシア国営ラジオ放送局「スプートニク」アナウンサーを経て総合商社に入社。在職中に担当した中東地域に魅せられ、会社を休職してイスラエル国立ヘブライ大学大学院に留学(中退)。また、G7及びG20首脳会議の公式付属会議であるY7/Y20にも参加。2016年Y7伊勢志摩サミット日本代表、2019年Y20大阪サミット議長(議題: 環境と経済)を務め、現在は運営団体G7/G20 Youth Japan共同代表。さらに、2023年、言語通訳者に留まらず、異文化間の交流を実現する「価値観の通訳者」になるべくNGO団体Culpediaを立ち上げた。
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