ガザ危機はどこに向かうか――非欧米に深く浸透する「占領者によるジェノサイド」論

執筆者:篠田英朗 2024年4月26日
タグ: 紛争 人権問題
エリア: 中東 その他
イスラエルはテロリストと戦っているのではなく、単に占領体制を強化するためにガザでジェノサイドを行っている、という見方が、世界のほとんどの地域で一般的になっている[米ジョージワシントン大学でイスラエルのパレスチナ自治区ガザ攻撃に抗議する学生たち=ワシントン、2024年0月25日](C)時事
戦闘の地理的範囲にかかわらず、ガザ危機はすでに国際社会の全体構造を揺るがせている。「対テロ戦争」瓦解が暴露した欧米諸国の影響力低下は、ガザ危機において「占領者によるジェノサイド」論と結び付きつつ、欧米諸国に対するシニカルな見方を急速に広げている。日本が同盟国・友好国との連携を重視するのは合理的だが、世界情勢の変移を簡単に覆すことは不可能だ。冷静で多角的な分析と判断に基づく外交政策が求められる。

 イスラエルとイランが、双方に対する報復攻撃を繰り返した。「第5次中東戦争が始まるのか」、「いや双方が抑制しあっていてそのような様子ではない」といった言説が飛び交った。実際には、お互いに全面戦争をする準備はないので、相手方の防空システムに撃墜されることを計算した範囲の攻撃だ。 

 つまり現時点では、中東全域で拡大戦争が始まる様子ではない。だがそれはイスラエルとイランの対立が、ガザ危機のサイドショーだからだ。両国の間で全面戦争が始まらないことは、事態を楽観視できる理由にはならない。ガザ危機そのものが、世界的規模で巨大な危機になっている。

 中東全域に戦争が起こらなければ、戦争はガザという小さい区域に押し込められたままだ、と考えるのは、間違いだろう。ガザ危機は、すでに国際社会の全体構造を揺るがせる大きな衝撃を放っている。

 五番目の中東戦争になるのか否か、といった尺度で、ガザ危機の衝撃を測定しようとするのは、的外れである。かつてない事態が起こっている。その衝撃の深さや広がりも、これまでに見ることができなかったものだと考えるべきである。

 本稿では、ガザ危機の衝撃を捉えるために、戦争の見通し、国際政治の構造転換、世界的な思想戦の三つの観点から、検討を加える。

戦争の見通しに関する三つのシナリオ

 私は、イスラエルによるガザ侵攻が始まってから間もない頃に、戦争がもたらす情勢について、三つのシナリオを提示したことがある。第1のシナリオは、いわばイスラエルの完全勝利である。イスラエルがハマスの殲滅という戦争目的を達成したうえで、ガザの占領体制を強化し、それを既成事実として「アブラハム合意」路線でアラブ諸国との国交回復を進めていく、というシナリオだ。

 イスラエルは、ハマスに対して圧倒的に優勢な軍事力を持っている。それを考えると、このシナリオにイスラエル政府が魅力を感じてしまった経緯は、わからないでもない。しかし奇襲攻撃に対する報復として開始したイスラエルの軍事作戦が、全く準備不足で戦略的視点を欠くものであったことは、当初から明白だった。人質の所在どころか、ハマス指導部の所在も把握できていないまま、シファ病院の地下にハマスの司令部があるといった類の自らのプロパガンダの内容にやみくもに固執するだけで、膨大な数の一般市民の殺戮を積み重ね続けている。

 仮にハマス指導部の殲滅を達成したとしても、ガザの統治は容易には達成されない。ガザ市民に投票権を与えるような完全併合は、イスラエルが絶対に受け入れない。ガザの人々をエジプトに追放してしまいたいとイスラエル政府は願っているだろうが、エジプトがそれを許すことはない。そこで何らかの間接統治体制をとることを、イスラエルは目論むはずだ。イスラエルに懐柔的なパレスチナ人を見つけ出して事実上の傀儡政府としたうえで、軍事占領体制を取り続けようとするだろう。しかしそのような傀儡政権が、安定した統治を実現できるはずがない。占領に対する抵抗運動は続き、イスラエル国家が内部に「内戦」の構図を抱えむことになる可能性が高い。

 第2のシナリオは、明確な勝者なき泥沼の消耗戦である。軍事力において劣っているハマス側が狙っているのは、このシナリオだ。長期に渡って「天井のない監獄」に押し込められていたガザの苦境は、向こう見ずなハマスの行動の要因となった。鬱積した不満と憎悪は、ガザがこれだけ徹底的に破壊されてもまだなお戦闘意欲を失っていないハマスの強靭性の基盤となっている。ガザ市民の被害を甘受してもなおイスラエル側の消耗と疲弊を狙うのは、弱者がとりうる唯一の戦術だ。

 過去半年余りの間、ガザにおける戦争は、この長期的な消耗戦のシナリオにそって進んでいるように見える。人口200万人の占領地ガザを軍事的に圧倒していると言っても、イスラエルは人口が1000万人弱の規模の国である。長期戦には向いていない。36万人規模で予備役を招集したとされるイスラエルだが、すでにこの態勢は解除せざるを得なくなっている。ラファ侵攻に向けた準備を改めて整えているとも言われるが、それにしてもイスラエル側も長期戦の構えに入っているのである。昨年10月以降、イスラエル経済は失速し、2023年第4四半期の経済成長率は、第3四半期と比して、20%の落ち込みであった。外交関係も冷え込み、アラブ諸国との国交回復の動きは頓挫している。

 イスラエルの国力不足を補っているのが、アメリカだ。イスラエルの最大の支援国であるアメリカは、イスラエルに対して約264億ドルの軍事支援を提供する見込みだ。ウクライナに約608億ドル、台湾にも約80億ドルの支援を提供する。ロシアの資産を差し押さえるという禁じ手も使う。ただし、アメリカ及び欧州諸国が、このようななりふり構わぬ巨額の軍事支援をいつまで続けられるかも、全く不透明だ。

 それでもハマス側の方が長期戦に耐えられるのかどうかについては、疑問の余地があるだろう。鍵を握るのは、ハマスを支援しているイランである。イランは、レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシー派も支援して、イスラエル及びその支援国に圧力を加えている。イランもまた、ハマスとともにイスラエルを長期の消耗戦に持ち込むことを狙っているはずだ。短期決戦で駆逐しようという意図はない。イランは、イラクとシリアに友好的な中央政権を持っており、イスラエル及びアブラハム合意に引き込まれているアラブ諸国を取り囲むような勢力図を形成している。しかも今回のガザ危機で、そのアブラハム合意に関わるアラブ諸国とイスラエルの間に溝ができた。またイランの背後に控えるロシアが、ガザ危機で威信が失墜している欧米諸国に追い打ちをかける図式で、イランに接近する姿勢を強めている。シリア情勢をめぐって対立しがちだったトルコとも、反イスラエルの立場では、同一歩調だ。ガザ危機の深刻度が増せば増すほど、イランの外交的立場は強まる。

 私自身は、イスラエルとハマス及び関係諸国の疲弊が高まったところで、国際介入による事態の打開の可能性が模索されることを第3のシナリオとして構想し、その実現に期待をしている。ただし残念ながら、現時点では、この第3のシナリオが実現する見通しは乏しい。第2のシナリオから第3のシナリオに展開させていくタイミングと調停方法を見極めるために、分析し続けなければならない要素にとどまっている。

ガザ危機は国際政治の構造転換を決定づける

 今回のガザ危機は、欧米諸国の影響力の低下と、それに伴う国際政治の構造転換を、決定づける事件になると思われる。今後の国際政治は、よりいっそう欧米諸国の地盤沈下をふまえた構造へと転換していくだろう。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
篠田英朗(しのだひであき) 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程、ロンドン大学(LSE)国際関係学部博士課程修了。国際関係学博士(Ph.D.)。国際政治学、平和構築論が専門。学生時代より難民救援活動に従事し、クルド難民(イラン)、ソマリア難民(ジブチ)への緊急援助のための短期ボランティアとして派遣された経験を持つ。日本政府から派遣されて、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)で投票所責任者として勤務。ロンドン大学およびキール大学非常勤講師、広島大学平和科学研究センター助手、助教授、准教授を経て、2013年から現職。2007年より外務省委託「平和構築人材育成事業」/「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」を、実施団体責任者として指揮。著書に『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)、『集団的自衛権の思想史―憲法九条と日米安保』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築入門』、『ほんとうの憲法』(いずれもちくま新書)、『憲法学の病』(新潮新書)など多数。
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