スーダン「最後のアラブの春」の挫折と南スーダン「独裁下の小康」が投げかける問い

執筆者:篠田英朗 2024年1月15日
タグ: 紛争 気候変動
エリア: アフリカ
南スーダンは世界最貧国の一つだが、人口増大による活気にあふれた国でもある
スーダンでは2019年の軍によるクーデターで独裁政権が倒れ、「遅れてきた最後のアラブの春」とも呼ばれたが、わずか4年で全面的な内戦に突入した。そのスーダンから2011年に独立した南スーダンでは、強権的な独裁体制が続くものの、国内武力勢力との和平合意により小康状態が保たれている。この「グローバルな対テロ戦争」の矛盾が集約されたような地域に、日本はUNMISS(国連南スーダン・ミッション)を通じて貴重なコミットメントを維持している。国際職員間のネットワークだけでなく、アフリカ人との広範なネットワークを持つ人材を育成するためにも意味のある現場だ。

 日本の自衛隊は2011年から2017年まで、南スーダンに展開した国連PKOのUNMISS(国連南スーダン・ミッション)に、施設大隊を中心とした400人規模の部隊を派遣していた。しかし最後には、南スーダンの厳しい治安環境で必要となる活動の準備が、日本の法制度あるいは国会の文化に合致せず、撤収した。2015年に平和安全法制が導入され、自衛隊は国連PKOでいわゆる「駆けつけ警護」が可能となったとされた。だがそれでも結局は、現場との乖離は解決できなかった。そもそも「駆けつけ警護」というのは、日本社会が独自に開発した概念で、国際的な法制度との整合性がなく、国連PKOについて言えば、平和安保法制の効果は、不明瞭なものでしかなかった。

 そういった経緯があり、過去6年間、国際平和活動への自衛隊の部隊派遣はなされていない。派遣の検討も具体的には何もなされていない。自衛隊の海外派遣そのものに反対していた左派系の人々だけが、「政府はすぐにまたどこかに自衛隊を送るに決まっている」と息巻いていた。しかし、われわれ事情を知る者は、かなり絶望的な気持ちだった。少なくとも近い将来に、自衛隊の国際平和活動への部隊派遣はない、と言える。

 それでも南スーダンのUNMISS司令部には4人程度の自衛官の派遣を続けている。その後の新規の活動としては、シナイ半島のMFO(多国籍軍・監視団)に、やはり数名を派遣している。もはや部隊派遣が現実的には見込めない中、個人派遣の意義をなるべく大きく見出して、継続していくしかない。

 その意味では、FOIP(自由で開かれたインド太平洋)の観点から、南スーダンは、実は無視できない意味を持っている。インド洋に面しているのはアフリカの東沿岸部であり、内陸国の南スーダンは、最も直接的にFOIPに関連する国だとまでは言えない。しかし、南スーダンは、東沿岸部の諸国のすぐ西に隣接しており、実際には関連度は高い。過去20年以上にわたる日本の貴重な南スーダンとの人的関与を、日本の国益に沿った戦略的資産としていくための見取り図が求められている。本稿では、危機にあるスーダン情勢とあわせて、南スーダンの現況分析を行う。

再び「振り出し」に近いスーダンの和平

 2023年12月1日、国連安全保障理事会は、失意の中で、14票の賛成票と1票の棄権票で、決議2715を採択した。これによってUNITAMS(国連スーダン統合移行支援ミッション)が活動を終え、2024年2月末日までに消滅することになった。

 ペンホルダー(担当)国であったイギリスの代表は、採決後に、「望んだ結果ではない」、と述べた。スーダンの主権評議会を代表することになっている軍指導者が、UNITAMSの撤退を求めたため、他に選択肢がなかった。

 4月に勃発したスーダン軍と準軍事組織RSF(迅速支援部隊)の間の軍事衝突による内戦は、UNITAMSの失敗によるものだ、とスーダン軍指導者は、断じていた。いかに正当性が疑わしいとしても、現地政府から明確に撤退要求を出されてしまっては、ミッション(派遣団)を維持することはできない。苦渋のミッション活動終了決定であった。

国内避難民キャンプには、ジャパン・プラットフォームを通じた日本の支援も入っていた

 国連事務総長が新たに任命したスーダン担当特使が、今後のスーダンの情勢を見守っていくことになる。しかしスーダン和平に向けた国連の努力は、ほとんど振り出しに戻ったかのようだ。過去半年余りで約6000人が犠牲になり、数百万人が難民・国内避難民となる惨事になっているスーダン軍とRSFの間の戦闘には、終息の兆しが見られない。

 日本国内でも大きなニュースになったスーダンからの外国人の撤退劇の後、国際機関の職員の多くはケニアのナイロビで勤務を続けている。筆者も、ナイロビからスーダンのための仕事をしているUNITAMS、あるいは人道援助機関のWFP(世界食糧計画)の職員らと話をする機会があったが、皆が忸怩たる思いで情勢を見ている。それでも状況に打ち負かされることなく、前を向いて進んでいくための糸口を探している。

 スーダンでは、かつて2005年に成立したCPA(包括的和平合意)に基づいてUNMIS(国連スーダン・ミッション)という巨大ミッションが存在していた。その後ダルフール地方での住民の大量殺害が広がると、併存する形でUNAMID(国連アフリカ連合ダルフール・ミッション)が設立された。UNMISは、2011年に南スーダンが独立した際に、南スーダンにUNMISSが設立されたのに伴って活動を終了させた。現在でもスーダンと南スーダンの国境付近の係争地域のアビエイに、UNISFA(国連アビエイ暫定治安部隊)が存在しているが、過去20年近くにわたる国連PKOのスーダンへの関与の大きさを考えると、UNITAMSの残念な形での活動終了は、大きな事件だ。

 UNAMIDは、国連PKOの予算・人員の大幅削減の流れの中で、2020年に活動を終了させて、軍事部隊を持たない特別政治ミッションであるUNITAMSに権限を委譲した。建前としては、スーダンは、治安部隊を中心とする活動ではなく、政治プロセスを促進することを主眼とするミッションを受け入れるべき段階に移行した、という理解が、UNAMIDの活動終了とUNITAMSへの移行の前提であった。しかしUNAMIDの撤退は、条件がそろっていない状況での時期尚早な判断だ、という批判の声は、国際NGOや研究者層からはあがっていた。

 UNAMIDが残存していたら、2023年4月の武力衝突は発生しなかったのか。それは誰にも答えられない問いだが、そのような問いを発せざるを得ない流れになってしまっていることは、間違いない。

独裁国家から破綻国家へ

 2005年にUNMISが成立し、和平合意のプロセスが進み始めてから、筆者は何度かスーダンに足を運んだ。2019年までの間、スーダンでは1989年に成立したオマル・アル=バシールの独裁政権が続いていた。筆者は、他機関の依頼で仕事をしたり、調査出張をしたりするが、その際に独裁政権の政治体制そのものを調査対象にするわけではない。だが独裁体制が、大規模な国際平和活動の受け入れを決定したスーダンのような事例の場合には、独裁体制にも関心を深めていかざるをえなくなる。

 独裁体制とは、空間軸で見る際には、逃げ場のない閉鎖された空間であり、統治の安定性という観点からは、完成された政治体制だと言うことすらできる。他方、その政治体制の脆弱性は、時間軸にある。一人の人間の物理的存在に、政治体制の存続の可否がかかっているので、その人間の存在を超えた政治体制の安定と発展を構想することが難しい。

 人類の歴史の中では、この独裁体制の二面性を克服するために、世襲制による統治という仕組みが導入された。独裁制による空間統治を完成させながら、時間軸の脆弱性を、世襲による統治者の連続性の確保によって補うのである。現代においても、独裁体制を世襲で継続させている国は少なくない。特にアジアでは多い。

 スーダンでは、イスラム原理主義のイデオロギーを掲げながらクーデターで政権を奪ったバシールの後継は、不透明だった。アメリカからテロ国家指定されて過酷な経済制裁を受け、アメリカが軍事介入を繰り返した「グローバルな対テロ戦争」の時代の強烈な政治圧力により、2005年に独立以来続いていた内戦で南部スーダンのSPLM(スーダン人民解放運動)との和平合意と国連PKOの展開を受け入れた。バシールは意外な開明性を見せたわけだが、独裁者としては不本意な決断であり、過激派勢力の不満を高める判断ですらあった。体制は変化するのか、終わるのか、いつか必ず終わるとすればどのように終わるのか、不透明だった。

 こうした状態において人々が考えるのは、「いざという時の用意」である。率先してバシール体制と距離を取る姿勢などを見せてしまったら、潰されてしまう。ところが本気で忠誠を誓い過ぎてしまうと、巻き込まれて追い落とされる側になってしまう。どうしようもなくなれば、とにかく早く逃げ出さなければならない。

 時折、バシール重病説のような噂が流れる。それに誰もが強い関心を抱きながら、その関心を周囲に気づかれることはないようには心がける。そんな状態が、何年も続いた。2011年に南スーダンが独立し、南部スーダンの油田の利権がバシール政権から引きはがされた後も、なお数年続いた。皆が、「この体制は一体いつまで続くのか」という気持ちで顔を見合わせながら、「続いているうちは、潰されないようにしなければ」と考えていたはずだ。

なすすべがなかったUNITAMS

 だが生活がどんどん悪化していくのに、いっこうにバシール政権は倒れないどころか、変化すらしない。遂に待ちきれなくなった人々が燃料の価格高騰などを理由にして暴動を起こし始めたのが、2019年であった。「まだまだこれは『いざという時』ではない』という様子見が、次第に「ひょっとしたら、『いざという時』が来るのでは」という雰囲気に変わり始めたとき、スーダン軍のトップであったアブドルファタハ・ブルハン(Abdel Fattah al-Burhan)国軍最高司令官が、別の軍事組織で隠然たる勢力を持っていたヘメティ(ムハンマド・ハムダン・ダガロ[Mohamed Hamdan Dagalo])RSF司令官と示し合わせて、先手を打つかのようにバシール大統領を幽閉してしまった。あっけないクーデター劇の展開に、肩透かしを食らった形の民衆は、軍に対する抗議を続けた。民衆の独裁政権に対する怒りをクーデター正当化の理由にしていたブルハンは、民衆の叫びを無視するわけにもいかず、軍人・文民がともに「主権評議会」を形成するという仕組みを作り出した。ブルハンが議長、ヘメティが副議長を務める代わりに、行政機構を動かす首相職には文民が就くことになった。

 バシール長期独裁政権の崩壊に接して、国際メディアは「遅れてきた最後のアラブの春」だと描写した。スーダン人は、「ブラック・アラブ」と自らを称するが、黒人であると同時に、アラビア語を話すアラブ人だというアイデンティティを持っている。大英帝国の支配に服する前は、エジプトに支配されていた。エジプトの「アラブの春」は、ムスリム同胞団の統治から、軍事クーデターへと展開していった。それに対して、スーダンでは、軍と協力した民衆主導の革命へと成就するのか、と国際メディアは期待した。

 しかし2021年、ブルハンは二度目のクーデターを起こして、文民を主権評議会から追い払い、首相を解任してしまった。「遅れてきた最後のアラブの春」のあっけない終焉であった。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
篠田英朗(しのだひであき) 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程、ロンドン大学(LSE)国際関係学部博士課程修了。国際関係学博士(Ph.D.)。国際政治学、平和構築論が専門。学生時代より難民救援活動に従事し、クルド難民(イラン)、ソマリア難民(ジブチ)への緊急援助のための短期ボランティアとして派遣された経験を持つ。日本政府から派遣されて、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)で投票所責任者として勤務。ロンドン大学およびキール大学非常勤講師、広島大学平和科学研究センター助手、助教授、准教授を経て、2013年から現職。2007年より外務省委託「平和構築人材育成事業」/「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」を、実施団体責任者として指揮。著書に『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)、『集団的自衛権の思想史―憲法九条と日米安保』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築入門』、『ほんとうの憲法』(いずれもちくま新書)、『憲法学の病』(新潮新書)など多数。
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