提携団体スタッフに届いた召集令状――NGO見習い日記

執筆者:草生亜紀子 2024年4月11日
エリア: ヨーロッパ

キーウの独立広場には、戦死した兵士の冥福を祈る写真や国旗が立てられている(筆者撮影)

 一緒に活動する男性たちに、当然のように召集令状が届く。子供のころ、自分自身が紛争地で暮らした人もいる。時に過酷な国際人道支援の仕事に就く人たちが胸に抱く思いとは――。人道支援NGO「ピースウィンズ・ジャパン」のウクライナ支援チームの一員として目にする、平穏な日常と戦争の非日常が交錯する暮らしぶりを伝える。

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 あるウクライナ人スタッフの言葉が耳を離れない。

「提携団体のコーディネーターに軍のインヴィテーションが届いたので、代わりの人を探してもらわないといけません」

 ウクライナ人、日本人、国際スタッフがオンラインで集まって治安状況や事業の進捗など話し合う定例ミーティングでの発言だった。彼女は英語でそう言った。穏やかな響きのために一瞬、聞き流してしまった。召集令状だと気づくのに数秒かかったかもしれない。確かに、「召されて」いるのだから「インヴィテーション」の英語を当てるのは間違いではないかもしれない。だが、意味しているのは、「一緒に人道支援事業を行なっている提携団体のコーディネーターが従軍することになるので、交代要員を新たに採用してもらう」という剣呑な事実だ。

 長らくメディアで働いた後、1年前に国際人道支援NGOピースウィンズの手伝いを始めた「見習い」の私にとっては衝撃だったが、戦禍のウクライナで2年以上暮らす人々にとっては、知り合いが徴兵されたり戦死したりすることはもはや「日常」の一部となりつつある。

 冒頭のコメントの後も粛々とミーティングは続いた。

「最初の通知が来てから、(実際に入隊する詳細を知らせる)次の通知まで1カ月くらいあるので、その間に代わりの人を見つけないといけません」

「いや、早い時は2週間くらいで2通目がくるよ」

「でも、そもそも最初の通知の日付を1カ月くらい過ぎて届いているから、スケジュールはあまり当てにならない。ともあれ、急いで決めてもらわないといけません。コーディネーターは重要な仕事だから」

連携する地元NGOのメンバーに

 ピースウィンズがこの提携団体と一緒に手掛けているのは、ウクライナ北部で女性のための巡回医療を提供するという事業だ。2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻した直後、東部・南部とあわせて、ベラルーシ経由で入ってきたロシア軍がウクライナ北部を一時占領した(ロシア軍撤退後、残虐に殺された人々が数多く遺されたブチャなどの地域がこれに当たる)。この時、性的暴力に晒されるなどしてトラウマを抱える女性がこうした地域にはいる。

 巡回医療は、医師や検査技師を乗せた車がもともと病院のない、あるいは戦争で医療機関がなくなってしまった村々を回って、子宮癌検診など女性特有の病気の検診を行なって体の健康を保ってもらうと同時に、心のケアが必要な人を見つけ出し、適切な専門機関へと繋げていく。巡回医療は好評で、モバイルチームが訪問する村にはいつも女性たちが乗ってくる自転車の列ができる。

 事業は地元の産婦人科病院と地元NGOと連携して行なっているのだが、この地元NGOの男性担当者に召集令状が届いたのだった。

改めて突きつけられる事実

 ロシアによる侵攻後、ウクライナは18歳から60歳までの男性の出国を禁じ、25歳以上はいつでも召集できるようにしている。過去に、別の提携団体で働く男性に召集令状が届いたという話は耳にしたことがあったが、リアルタイムで私がその現実に触れるのは初めてのことで、想像していた以上の衝撃を受けた。こうして毎週オンラインで顔を合わせている男性ウクライナ人スタッフ(全員、徴兵対象年齢)に、いつ令状が届いてもおかしくないという事実を改めて突きつけられた気がしたのだ。

 昨年11月、ウクライナ出張をして、彼らとは直接の面識ができた。陽気に、前向きに人道支援の仕事の意義を語る彼らだったが、心境を聞いてみると「将来のことを何も決められない」もどかしさを抱えていた。数カ月後、自分がどこで何をしているかわからない。場合によっては家族を残して前線に向かい、そこで銃を手にしたり、塹壕を掘ったりしなければならないと思いながら日々暮らすとはどういうことなのか、想像も及ばない。

 まして、このところのウクライナは南東部ザポリージャで発電所が攻撃されて停電が広範に広がったり、ロシアが大量のドローンや極超音速ミサイルを多用することで防空態勢が追いつかず、ミサイルやその破片で死傷者が出たり建物が壊されるなど、大きな被害が相次いでいる。従軍していなくても命の危険はすぐ隣にある。

 ロシアによる侵攻から2年が過ぎ、イスラエルのガザ攻撃は半年になり、緊急事態が長期化することで、日々の報道は少なくなっていく。だが、現場にいる人にとって危機が去るわけではなく、むしろ状況はいっそう厳しくなっている。

 NGOの片隅に身を置いていると、ニュースで見るのとは違う危機の現場の実相に触れることがある。

国際スタッフが体現する現代史

 ウクライナに関わる仕事をしていると、記者・編集者として『フォーサイト』で扱ってきた時事ニュース、今となっては「現代史」の範疇に入る冷戦後の激動を「生きてきた」人たちと一緒に仕事をする場面がある。

 ピースウィンズのウクライナ事務所に駐在する北マケドニア人のラディスラブ・レシュニコフスキもその一人だ。ピースウィンズのウェブ連載のために取材した彼の話を引用する。

ラディスラブ・レシュニコフスキ氏(筆者撮影)

 彼は高校2年生と3年生の間の休暇に友達と鉄道旅に出てまもなく、ユーゴスラビア紛争が起きて、一時、帰国できなくなった。幸いマケドニア(後に北マケドニア)は戦闘なく独立することができたが、コソボやボスニア・ヘルツェゴビナでの紛争のために数十万人の難民が流入した。ユーゴスラビアはさほど豊かな国ではなかったけれど、生活するのに問題はなかった。そんな普通の暮らしが突如奪われた人たちを目の当たりにした。学生として、JICA(国際協力機構)やNGOで人道援助の仕事に関わったのち、東京外国語大学大学院で紛争予防を学んで母国に戻っていたが、ウクライナ紛争を受けて「他人事ではない」と感じて、ピースウィンズに入った(https://global.peace-winds.org/journal/49397)。

「世界はいったい何をしているのでしょう?」

 去年、「難民の日」の連載のために取材したベルマ・シシチも、旧ユーゴスラビアの出身だった。取材当時イラクに駐在して(https://global.peace-winds.org/journal/48720)、シリア難民の住居を改修する仕事をしていた。彼女が13歳の時にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発。ティーンエイジャーだった3年半、故郷は戦場だった。撃ち合いも見たし、手榴弾が爆発するのも見た。通学は、いつスナイパーに撃たれてもおかしくない状況で500メートル歩かなければならなかったと振り返る。

 ウクライナで戦争が始まった時、「ウクライナの友達にどう声をかけたらいいのだろう」と考えながらニュースを見ていると、テレビからキーウへの空爆を知らせるサイレンが鳴り響いた。その瞬間、「私の体の全細胞が叫び出した」と彼女は言う。「13歳の自分」に一気に引き戻されたのだ。当時、何度も考えた「(殺し合いを止められない)世界はいったい何をしているの?」という問いは、30年の時を経て、大人になった彼女を同じように苦しめる。ウクライナの現状を見ながら彼女は言った。「世界はいったい何をしているのでしょう?」。

ベルマ・シシチ氏(筆者撮影)

 ラディスラブもベルマも、自らの経験を踏まえて、世界情勢への大きな疑問を抱きながらも、今自分にできる目の前の支援活動を行なっている。NGOで働いたこの1年、私の仕事はそのほんの一部の手伝いでしかないが、時に過酷な国際人道支援の仕事に就くのはどんな人たちなのだろう? という問いがいつも頭にある。ここで発見したことを時折こうして伝えていければと思う。

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
草生亜紀子(くさおいあきこ) 翻訳・文筆業。NGO職員。産経新聞、The Japan Times記者を経て、新潮社入社。『フォーサイト』『考える人』編集部などを経て、現職。
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