医療崩壊 (85)

新薬が手に入らない「ドラッグ・ラグ」解消は、極言すれば役人たちの仕事ではない

執筆者:上昌広 2024年4月4日
タグ: 日本
メガファーマがブロックバスター(大型医薬品)で巨額の利益を独占する業界の構図は変わりつつある[京都大学医学部附属病院の分子細胞治療センター(CCMT)で行われたデモンストレーション=2022年2月25日、京都市左京区](C)時事
ゲノム医学や情報工学などの進展で世界の医薬品開発は一変した。いま存在感を増すのは、CAR-T療法、遺伝子治療、細胞治療など個別化医療向けの創薬を手掛けるバイオベンチャーだが、彼らは市場の伸びしろが小さく非関税障壁も多い日本を素通りする。海外で使われている薬が日本で手に入らない「ドラッグ・ラグ」解消には規制緩和が不可避だが、その実現には後発医薬品にまで個別包装を求めるような、合理性を欠いた私たちの意識を変えなければならない。

 後発医薬品の欠品が続いている。咳止めや解熱剤の不足が顕在化して1年以上が経つ。クリニックで診察していると、毎日のように調剤薬局から「カロナールの500 mg錠は欠品中なので、200 mg錠2つで代用していいですか」のような問い合わせの電話がかかってくる。

 私は平成5(1993)年に医学部を卒業し、内科医となった。バブル経済が崩壊していたとはいえ、日本は一流国家だった。医師が必要と判断した薬は、ほぼ処方することができた。先輩医師からは「患者さんの命が最優先だ。医師は金銭のことなど考える必要はない」と指導された。将来、風邪薬が足りなくなるなど想像もしていなかった。

 なぜ、こんなことになったのか。私は「日本人が12歳」だからだと思う。自らが世界の常識とかけ離れたことをやっていても、気づかない。そのために、日本の社会システムが不安定になっても、一向に改めようとしない。

 外資系製薬企業に勤務する知人は、「日本の後発医薬品はオーバースペックだ」という。「海外では後発医薬品は、サプリメントのように瓶に入れてまとめて売られるのが普通で、一錠ずつ個別に包装し、表裏に薬の名前を印刷しているなどあり得ない」。

 そうだ。こんなことに海外の企業は付き合わない。このオーバースペックが、外資系企業の参入障壁として国内企業を守ってきた。

スギ花粉症治療薬「シダキュア」に集まる期待

 常識的に考えれば、後発医薬品は安売り競争をすべきだ。薄利多売なので、企業は合併を繰り返し巨大化せざるをえない。こうやって安定供給を維持する。なぜ、我が国の後発品メーカーは中小企業でやっていけるのか。それは不適切な規制で守られているからだ。このような規制は利権へつながり、社会を停滞させる。我々は、世界情勢を踏まえ、もっと自分の頭で考えるべきだ。ところが、「安定供給」と呪文のように唱えるだけで、冷静に考えることができない。これは子どもの所業だ。

 このような事例は枚挙に暇がない。最近、このことを痛感したのは、スギ花粉症治療薬「シダキュア」の扱いだ。

 シダキュアとは、鳥居薬品が販売しているアレルゲン免疫療法薬だ。現状ではスギ花粉症を治す唯一の治療法である。スギ花粉が飛散していない6〜12月に治療を開始し、毎日1錠服用を3〜5年間継続する。服用した患者の約2割が治癒し、約3割が大きく改善する。

 治療への反応には個人差があるが、私の外来でも「シダキュアをやってから、花粉症が随分と軽くなりました」という患者が大勢いる。

 販売元の鳥居薬品の業績は好調だ。2023年12月期の売上は546億円で、前年比11.7%増だった。牽引したのはシダキュアで、前年比18.2%増の114億円を売り上げている。

 シダキュアに対する期待は高い。政府は「花粉症に関する関係閣僚会議」を立ち上げ、昨年5月には鳥居薬品に、年間の供給量を今後5年間で現状の4倍である100万人分に増やすように要請した。鳥居薬品も「真摯に対応させていただく」と表明している。

 シダキュアはスギ花粉エキス原末製剤で、原料は森林組合から調達する。製薬企業が扱い慣れている低分子化合物と異なり、製造から製品管理まで手間がかかる。鳥居薬品は専門部署を設置し、政府の要請に懸命に応えている。

「売れたら強制値下げ」の日本市場

 ところが、その前途は多難だ。それは厚生労働省が梯子を外す可能性が高いからだ。問題は、当初の予想を超え大量に売れた薬は、その効果がどうであろうが、大幅に値下げするという「市場拡大再算定制度」の存在だ。

 この制度は、薬の年間売上額やそれが当初予想の何倍になったかによって計算方法が変わり複雑だが、下げ幅は最大で半額になる(年間売上が1500億円以上で、基準年間販売額の1.3倍を超える場合)。シダキュアが該当すると考えられるのは、年間売上が150億円以上で、当初予想の2倍以上となる場合だ。薬価は最大15%引き下げられる。これでは鳥居薬品は利益が出ない。同社は、昨年8月の決算説明会で、このリスクに言及している。

 残念なのは、この問題にマスコミはもちろん、業界誌や医薬専門家がほとんど言及しないことだ。こんな対応をすれば、世界から日本がどう見られるかは自明だ。私が「日本人は12歳」というのもおわかり頂けるだろう。

 製薬企業が営利企業である以上、利益を追求するのは当然だ。新薬が当初の予想以上に売れたら薬価を下げるようでは、外資系製薬企業は日本市場を後回しにする。これこそ、我が国のドラッグ・ラグの真相だ。

存在感増すバイオベンチャーが日本素通りをする理由

 政府はドラッグ・ラグ解消に懸命だ。だが、様々な対策を講じてきたにもかかわらず、効果を上げているとは言い難い。東京大学薬学系研究科の小野俊介准教授の研究チームの報告によれば、2008〜2020年に日米で763の医薬品が承認されたが、米国では、審査対象のうち86%が承認されていたのに対し、日本では61%に過ぎなかったという。その差25%は、1999年〜2007年の28%と変わらない。

 厚労省は様々な規制を廃止し、医薬品医療機器総合機構(PMDA)での審査時間も短くなった。それなのに、なぜ、ドラッグ・ラグは改善しないのか。それは、この間に世界の医薬品開発の仕組みが変わってしまったのに、日本が対応できていないからだ。

 2022年、米食品医薬品局(FDA)が承認した医薬品のうち、67%はベンチャー企業が開発しているし、世界の製薬企業間の契約(買収や導出)の57%がベンチャー同士で行われている。そして、ベンチャーが開発した医薬品の約7割をベンチャー自身が販売している。

 なぜ、こんなことになったのか。それは、ゲノム医学や情報工学などの研究が進み、世界の医薬品開発を取り囲む環境が一変したからだ。かつて、降圧剤や高脂血症治療薬がブロックバスター(大型医薬品)として巨額の利益をメガファーマにもたらした時代は終わり、創薬の主体はバイオベンチャーによるCAR-T療法(悪性腫瘍に対する遺伝子免疫療法)、遺伝子治療、細胞治療などの個別化医療へと移った。癌や希少疾患、先天疾患などを対象としているため、承認のハードルは低く、大規模な臨床試験を求められないため、ベンチャーでも開発できる。臨床試験の結果は一流医学誌に掲載されるため、降圧剤や高脂血症治療薬で必要だった大規模な販促活動は要しない。有効な薬なら、患者は放っておいてもやってくる。もはや、メガファーマに頼る必要はないというわけだ。

 この構造的変化こそが、日本のドラッグ・ラグの本質的な理由だ。米国のバイオベンチャーには、市場の伸びがあまり期待できず、言語障壁や様々な非関税障壁がある日本まで構っている余裕はない。

第1相臨床試験の規制緩和は評価できるが……

 もちろん、厚労省も無策ではない。非関税障壁の解消などに努力を続けている。

 従来、日本をグローバルな第3相試験に組み入れるためには、国内での独自の第1相臨床試験が求められた。これが、米国のバイオベンチャーにとって大きな障壁となっていた。ところが、昨年末、この規制が緩和され、日本での第1相臨床試験を必ずしも求めないようになった。これで、一気に日本での医薬品開発のハードルが下がった。

 今後、米国のバイオベンチャーの「代理店」として、日本企業と契約し、臨床開発を推し進めてくれる人物や企業の需要が高まるはずだ。成長率が低いとは言え、日本の市場は大きいし、薬事承認されれば、ほぼ全て保険償還され、医師が自由に処方できる。このあたり米国とは違う。この規制緩和は、厚労省で薬事行政を司る薬系技官の大きな功績だと思う。規制緩和には、様々な抵抗勢力がいただろうが、うまく調整したのだろう。

 ただ、役人任せでは、日本のドラッグ・ラグは改善しない。国民が「12歳」のままでは、有効な規制緩和が続けられないからだ。コロナワクチンにおける国産信仰など、根拠のない風説が罷りとおれば、科学的には合理的でない規制を求める勢力が勢いづく。ドラッグ・ラグにまつわるこのような勢力とは、新薬開発力がない医薬品メーカーだ。海外から新薬が導入されなければ、古い薬を延々と販売できる。国産ワクチンメーカーなど、その典型だ。

 繰り返すが、我々はもっと大人になるべきだ。製薬企業は、世界の資本主義市場で鎬を削っている。有効な薬は世界中が欲しがるわけだから、日本が確保したければ、相応の金を払わないといけない。一方、財源には限りがある。新薬に金を払えば、他の何かを捨てざるを得ない。それは後発医薬品のオーバースペックかもしれないし、風邪薬などの保険償還かもしれない。何を優先するか決めるのは役人の仕事ではない。我々国民の理性に係っている。

カテゴリ: 医療・サイエンス
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執筆者プロフィール
上昌広(かみまさひろ) 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。
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