極右政党躍進の背景に、「西側による差別」への旧東ドイツ人の根深い怒り

執筆者:熊谷徹 2024年3月28日
タグ: ドイツ
エリア: ヨーロッパ
1989年11月、壁が崩壊した直後のベルリン。今ではこれらの壁は跡形もない(筆者撮影)

  「ドイツ統一から30年以上経った今も、旧東ドイツ人は旧西ドイツ人から軽蔑され、差別されている。旧東ドイツは、ドイツの全ての悪の根源とされている」。こう告発する一冊の本が昨年、東西ドイツ間の関係をめぐり大きな議論を巻き起こした。旧東ドイツで極右政党の人気が高い背景にも、この深い怒りがある。

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 ライプチヒ大学の言語学者ディルク・オシュマン氏は、2023年に出版した『西ドイツがでっち上げた東ドイツ(Der Osten: eine westdeutsche Erfindung)』の中で旧東ドイツ人に対する差別を糾弾した。同書は強い反響を呼び、去年5月に週刊誌「シュピーゲル」のベストセラーリストで、一時ノンフィクション部門の首位に立った。

「侮蔑と辱めの30年間」

 オシュマン氏は、1967年に、東ドイツのゴータ(今日のテューリンゲン州)で生まれた。父親は金属加工企業で働く労働者だった。オシュマン氏は、社会主義時代には、米国のロック音楽やジーンズに憧れる多くの若者の一人だった。1986年から1992年までイエナ・フリードリヒ・シラー大学で英文学やドイツ文学を学んだ後、1992年から1年間にわたり米国バッファローのニューヨーク州立大学に留学した。

 オシュマン氏は2011年に、ライプチヒ大学のドイツ文学研究所で、現代ドイツ文学課程の教授職を得た。

 この書は、社会主義時代の東ドイツを経験した後、統一後のドイツの変化に深く失望した一市民の怒りと絶望、告発の記録である。ドイツに住む一市民である私には、心が寒くなるような本だ。オシュマン氏は、「統一以来我々旧東ドイツ人が経験してきたのは、旧西ドイツ人による個人的、集合的な侮蔑と辱めの30年間だった。ドイツのメディアは旧西ドイツ人によって完全に支配されており、旧東ドイツについては悪いことばかり報道するか、我々を笑いものにしている。旧東ドイツ人は過小評価されているばかりではなく、ドイツ社会から完全に締め出されている。旧東ドイツは、悪性腫瘍のように、ドイツの中の異常でみっともない悪の部分として烙印を押されている」と批判する。「旧東ドイツに派遣された役人たちは、植民地に送られてきたかのように振舞った」とまで書いている。

 彼は西側による侮蔑の典型的な例として、シュピーゲル誌の2019年8月23日号の旧東ドイツ特集を挙げる。同誌は、「旧東ドイツ人とは、こんな人たち。偏見と現実。彼らはなぜこのように行動し、旧西ドイツ人とは違った投票行動を見せるのか」という標題のカバーストーリーを掲載した。オシュマン氏は、「この記事は、ドイツの人口の18%にあたる旧東ドイツ人に対する誹謗中傷であり、旧西ドイツ人の旧東ドイツ人に対する偏見を増幅するものだ」と厳しく批判した。彼によると、シュピーゲル誌は旧東ドイツ人について「弱虫で醜く、愚かで、怠惰で、能力がなく、悪趣味で、奇妙な振舞いをし、外国人を嫌い、国粋主義的でナチスの思想を信奉する人々」というイメージを与えている。彼は、「ドイツでの善悪の基準は全て旧西ドイツが決めており、それに照らすと旧東ドイツ人たちは問題児として見なされている」という。オシュマン氏によると、旧西ドイツ人の約17%は、旧東ドイツに行ったことが一度もない。ミュンヘンの私の知人の中にも、「仕事も含めて、旧東ドイツには絶対に行かない」という人がいる。

 オシュマン氏の本は、ドイツで大きな論争を引き起こした。彼に送られてきたメールの内3分の2は、「よく言ってくれた」と賛意を示すものだった。だが旧西ドイツ人からは「言葉遣いが乱暴すぎる」とか、「我々は多額の金を注ぎ込んで、あなたたちのために色々やってあげたのに、このような本を出すとはけしからん」と批判するメールも送られてきた。

メルケル前首相も差別されていた

 オシュマン氏によると、西側が主導権を握るドイツでは東を見下す考えが一般化しているので、責任が重い地位にある旧東ドイツ人は、自分が旧東ドイツ出身であることを隠す。彼は、「アンゲラ・メルケル前首相ですら、現役時代には、自分が社会主義時代の東ドイツで育ち、働いたことについて沈黙した。そのことを強調したのは、首相を辞任する直前の演説だった」と指摘している。

 確かに現役時代のメルケル氏は、自分が東で育ったことを強調しなかった。それが政治的に不利益をもたらすことを知っていたからだ。彼女はヘルムート・コール氏に閣僚として抜擢された時、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)のベテラン政治家たちから「Zonenwachtel(東ドイツから来たウズラ)」と揶揄された。ゾーンを意味するZoneという言葉からして、東西冷戦時代の、東ドイツに対する西側の蔑称だった。東からの女性にも配慮していることを示すために、コール氏から数合わせのために抜擢されたメルケル氏は、西側の政治家たちに最初から見下されていた。

 オシュマン氏が「メルケル氏の辞任直前の演説」として言及しているのは、メルケル氏が2021年10月3日の統一記念日に行なった、首相としての最後の演説である。メルケル氏によると、CDUの研究機関コンラート・アデナウアー財団は、2020年に出版した本の中で、「社会主義時代のバラスト(重荷)を持って、35歳でCDUに入党したメルケル氏は、もちろん旧西ドイツでゼロから始めた職業政治家とは違っていた」と書いた。メルケル氏は演説の中で「ドイツで権威ある辞書ドゥーデンによると、バラストとは重量のバランスを取るために使われる、価値の低い物であり、必要がなくなれば捨てても良いものと定義されている。私が東ドイツで過ごした35年間は、捨てても良い無価値なものだったというのか?」と述べ、旧西ドイツ人たちの見方に反発した。

 さらにメルケル氏は、「2015年の難民危機の際に、一部の人々は、私を『ドイツ連邦共和国に生まれたのではなく、ドイツ市民になることを後から学んだ人物』と呼んだ。ドイツには、生まれながらのドイツ人と、後から学んだドイツ人の2種類のドイツ市民がいるというのだろうか? 後から学んだドイツ人は、毎日試験に落第する危険にさらされているのだろうか?」と述べ、旧東ドイツ人差別を批判した。メルケル氏が16年の首相としてのキャリアの中で、旧東ドイツ人に対する差別を糾弾したのは、この時が初めてである。

 ちなみにメルケル氏は、現在CDUとほぼ絶縁状態にある。現党首のフリードリヒ・メルツ氏から会合などに招かれても、一切出席しない。旧東ドイツ人・メルケル氏は現在のCDUの舵を取っている保守本流からは、脱原子力やシリア難民の受け入れなどをめぐり国の政策を誤った「異端」と見なされている。

東西統一で貧乏くじを引いた旧東ドイツ人

 オシュマン氏によると、ドイツ統一後、多くの東ドイツ人が役所、企業、大学などの責任ある地位から一掃された。その後には旧西ドイツ人が採用された。この結果、ドイツの大学の学長や企業の社長など、責任が重い役職についている旧東ドイツ人の数は少ない。先述の通りオシュマン氏は2011年に、ライプチヒ大学のドイツ文学研究所で、現代ドイツ文学課程の教授職を得たが、旧東ドイツ人としては初だった。彼はその理由を、「私は1990年代に米国に留学したので、社会主義時代のイデオロギーに汚染されておらず、西側に順応した旧東ドイツ人と判断されたためだろう」と推測している。

 1990年にドイツ統一を実現したコール首相(当時)は、旧東ドイツは、「花咲く土地になるだろう」と述べ、この地域が経済的に繁栄すると予言した。

 だが統一が大半の旧東ドイツ人たちにもたらしたのは、花咲く土地ではなく、絶望と不安だった。「ドイツ信託公社」の指揮の下に、旧東ドイツの国営企業は解体、縮小され、産業基盤が破壊された。社会主義時代には東ドイツの失業率は、事実上ゼロだったが、ドイツ連邦労働局によると、統一から最初の2年間に約100万人が失業した。1997年から2006年までの9年間には、旧東ドイツの就業可能者の約20%が失業した。

 ミュンヘンなど旧西ドイツの企業では、旧東ドイツから移住してきた優秀な若者たちが働いている。特に東ドイツでは数学教育に力を入れていたので、その知識を生かして保険会社などで成功した人もいる。つまり能力がある人、やる気がある若者などは、旧西ドイツに移住した。1991年から2022年までに旧東ドイツから旧西ドイツに移り住んだ市民の数は120万人にのぼる。旧東ドイツでは経済状態の回復が遅れたからだ。今でも旧東ドイツに本社を持つ大企業の数は少ない。

 若者の西側への移住の結果、旧東ドイツ市民の平均年齢は1990年の37.9歳から2017年には46.3歳に上昇した。旧西ドイツの平均年齢(44.1歳)を上回っている。

 オシュマン氏は、本の終章で、「現状を改善するには、旧東ドイツ人と旧西ドイツ人が胸襟を開いて率直に語り合い、お互いを理解するように努めるべきだ」と語っている。やや常識的すぎる締めくくりだが、統一から34年も経っているのに、このような常識的かつ基本的な処方箋を提案せざるを得ないということが、逆に東西間の心の分断の深さを浮き彫りにしている。

 私はこの本を読んで、1989年の11月に経験した出来事を思い出した。当時私はNHKのワシントン特派員だった。私はベルリンの壁崩壊の10日後、ワシントンからベルリンに派遣された。NHKにはドイツ語で取材できる記者が少なかったからである。私はある晩、取材を終えてホテルに戻るためにタクシーに乗った。運転手は西ドイツ人だった。私は「壁が崩壊してよかったですね」と言った。すると運転手は、「私は全く嬉しくない。やつら(東ドイツ人)は、ドイツ人ではないんだから」と言った。壁によって28年間分断されていたとはいえ、ドイツ人はドイツ人じゃないか……。当時の私には、この運転手の考え方が理解できなかった。強い偏見と差別意識にゾッとした。だがオシュマン氏の本を読んで、1989年に私が耳にした差別的感情が、一部の旧西ドイツ人の心に巣食っていることを感じた。

給与や年金でも差別

 私自身、ドイツに住んできた過去34年間に、「旧東ドイツ人は、旧西ドイツ人に差別されている」と思うことがあった。たとえば連邦労働局など、公的機関の統計では、旧東ドイツはしばしば「参入した地域(Beitrittsgebiet)」と呼ばれている。これは政府の役人たちが、東西ドイツが対等な国同士の統一ではなく、旧東ドイツがドイツに加わったと見なしていることを示す。多くの企業合併が対等合併ではないのと同じで、ドイツ統一も、東が西に吸収されたのだという考え方だ。オシュマン氏も著書の中でこの言葉を批判している。

 旧東ドイツ人たちは、給料の面でも差をつけられてきた。1990年代に、ドイツ人の外交官から、「公務員の給料には、旧東ドイツ出身者向けの低い給与体系(オストタリフ)がある」と聞かされてびっくりした。この差別は2020年にも存在した。ドイツ公務員連盟(dbb)によると、2020年10月3日に旧東ドイツの都市で公務員たちが東西間の給与の差別の撤廃を求めて、デモを行った。

 ドイツ連邦統計局によると、2021年の旧西ドイツの製造業・サービス業で働く人の平均年収は約5万6000ユーロ(896万円・1ユーロ=160円換算)だったが、旧東ドイツでは21.4%少ない約4万4000ユーロ(704万円)だった。また、旧西ドイツ市民が所有する、不動産など平均資産額も、旧東ドイツの約2倍だった。

 統一後、旧東ドイツのお年寄りに支給された公的年金の支給額は、旧西ドイツよりも少なかった。支給額の差は、ドイツ統一から33年経った2023年7月まで解消されなかった。

西に対するアンチテーゼとしてAfDを支持

 旧東ドイツの特異性の一つは、幹部がネオナチまがいの発言を繰り返す極右政党への支持率の高さだ。

 政党支持率に関するウエブサイトDAWUMによると、今年3月の時点で旧西ドイツでは「ドイツのための選択肢(AfD)」への支持率は15.5%だったが、旧東ドイツでは26.5%と11ポイントも高かった。ザクセン州では32.6%、テューリンゲン州での支持率は30%、ブランデンブルク州では29.8%でいずれも首位である。これらの州では今年9月の州議会選挙で、初めてAfDの首相が誕生する可能性がある。 

 旧西ドイツ・アウグスブルクに住むある年金生活者は、「ドイツ統一後、旧東ドイツの若者たちも、ナチスが第二次世界大戦中に犯した犯罪について、学校での歴史の時間に学んでいるはずだ。それなのに、若者までAfDを支持するというのは理解できない」と語った。AfDの中には、ナチスの犯罪を矮小化する発言を行う者がいる。内務省の捜査機関・憲法擁護庁は、AfDのテューリンゲン州支部や、ブランデンブルク州のAfD青年部を「ナチスに近い思想を持つ、極右団体」と断定している。

 しかもAfDの幹部の大半は、旧西ドイツ出身である。アリス・ヴァイデル共同党首、AfDテューリンゲン州支部のビョルン・ヘッケ支部長らは西側出身だ。それにもかかわらず、多くの旧東ドイツ市民がこの党を支持するのは、不可解である。

 AfDへの支持率が特に旧東ドイツで高い理由について、現政権に対する不満だけではなく、過去30年間解消されなかった東西間の格差への怒りもあるという見方がある。実際、ある世論調査によるとAfD支持者の約60%はこの党の政策が優れているから支持しているわけではない。彼らは、旧西ドイツ人が主導権を握る伝統的な政党に対して抗議するために、多くの旧西ドイツ人が嫌うAfDをあえて支持している。確かにAfDは、ユーロ圏やEU(欧州連合)からの脱退など、経済的に合理性を欠く政策を提案しているが、彼らは現政権に反抗するために正反対の政策を主張しているのだ。

 この点についてオシュマン氏は、旧東ドイツ人が社会主義時代に身につけた防御本能によって説明を試みている。つまり社会主義時代の東ドイツでは、市民は「国の支配体制(システム)」を敵と見なし、距離を置きながら生活することを学んだ。政府が社会の隅々に秘密警察の監視網を張り巡らせた社会では、体制と協力することは、腐敗すること、つまり体制に取り込まれることを意味したからだ。オシュマン氏は、「この姿勢は、今もなお旧東ドイツ人の心の中で生きている。したがって統一後の今日も、旧東ドイツ人の多くは旧西ドイツ人が牛耳っている政府やメディアを『体制』と見なして、距離を置きながら生きている」と指摘する。したがって旧東ドイツは、体制のアンチテーゼであるAfDを支持するというわけだ。

 そう考えると、多くの旧東ドイツ人たちは、過去34年間にたまった怒りを表現するためにも、6月の欧州議会選挙、9月の三つの旧東ドイツの州での州議会選挙でAfDを勝たせようとする恐れがある。

 オシュマン氏が提唱する東西間の対話だけでは、もはや解決できないほど溝が深まったと言うべきかもしれない。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
熊谷徹(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
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