独ショルツ政権を悩ます「農民一揆」、背後に見える極右の影

執筆者:熊谷徹 2024年1月18日
タグ: ドイツ
エリア: ヨーロッパ
ドイツ・バイエルン州郊外で標識にぶら下げられた長靴。農民の抗議活動の象徴だ(leopictures / Shutterstock)

 「予算措置」に違憲判決が下ったショルツ政権は、穴埋めに農家向け補助金の廃止を打ち出した。しかし農民たちはデモで抗議、各地で交通が麻痺状態に陥っている。相次ぐ政策ミスで政権支持率はさらに低下し、デモを利用した右翼政党の躍進も予想される。

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 1月8日、ミュンヘン、エアフルト、ハレなどドイツ各地の幹線道路、高速道路は、数千台の大型トラクターが引き起こした渋滞のために、通行できなくなった。ショルツ政権の歳出削減策に抗議するために、ドイツ農民連盟(DBV)が組織したデモである。農民たちが運転するトラクターには、「我々が農作物を作らなければ、市民は空腹になる」、「政府は我々の仕事の価値を認めてくれないのか?」などのプラカードが取り付けられている。

 去年12月中旬から、ドイツのあちこちの市町村の道標に、ゴム長靴がぶら下げられるようになった。これは政府に対する農民たちの抗議のシンボルだ。「私たち農民が長靴を脱いで仕事をやめると、食料が足りなくなるぞ」という警告だ。

農業に歳出削減の白羽の矢

 抗議デモのきっかけは、去年11月15日の連邦憲法裁判所による違憲判決だ。ショルツ政権は2022年に、コロナ・パンデミック対策向けの予算の内、使われずに残っていた600億ユーロ(9兆6000億円・1ユーロ=160円換算)の国債発行権を、経済の脱炭素化やデジタル化のための基金に流用した。連邦憲法裁判所は、この予算措置を違憲と断定した。判決によって、2024年度予算に170億ユーロ(2兆7200億円)の不足分が生じた。

 このためショルツ政権は170億ユーロの穴埋めをするために、農家向け補助金に白羽の矢を立てた。ドイツ政府は農家を支援するために、1992年以来農業向けトラクターについて車両税を免除してきた。また、農業用ディーゼル燃料にかかるエネルギー税についても、税制上の優遇措置を実施してきた。

 だがショルツ政権は12月13日に、予算不足を解消するために、これらの農業補助金を突然「二酸化炭素削減に逆行する補助金」と見なして、2024年から廃止する方針を発表した。これによって農家全体の税負担は9億ユーロ(1440億円)増えることになった。事前の周知や準備期間は一切なかった。

 DBVはこの措置に抗議するために、12月18日にベルリンで抗議デモを実施。約1700台の大型トラクターが、ベルリンの主要道路で大渋滞を引き起こし、一時交通を麻痺させた。この廃止措置は、オラフ・ショルツ首相、クリスティアン・リントナー財務大臣、ロベルト・ハーベック経済気候保護大臣が3人で決めたもので、ツェム・エズデミール農業大臣にとっては寝耳に水だった。エズデミール大臣は、「私は、農民たちの税負担を大幅に引き上げることには反対だ。もしもショルツ首相が私を廃止措置に関する話し合いに参加させていたら、このような発表は行われなかったはずだ」と述べ、農民たちの怒りに対して理解を示した。この発言には、ショルツ政権内で根回し、省庁間の調整がスムーズに行われていない実態が表れている。

 ショルツ政権は、違憲判決後も、化学メーカーや製鉄所 の生産プロセスで使われる化石燃料を水素に切り替えるための補助金や、外国の半導体メーカーの工場をドイツに誘致するための補助金を温存することを目指している。そのしわ寄せが、農民たちの可処分所得の減少という形で現れることになった。農民たちが「政府は我々のことを軽視しているのではないか」と怒りを爆発させるのも、無理はない。農民たちからは、「ベルリンの政治家や官僚たちは、現実世界から切り離された『バブル』の中で、畑で汗水垂らして働いたことのないコンサルタントやアドバイザーの意見だけを聞いて、政策を決めている」という強い不満の声が聞かれた。

政策を一部撤回し、政権の弱腰を露呈

 農民たちの抗議デモに恐れをなしたショルツ政権は、1月4日に農業用トラクターへの車両税導入を撤回した。同時に政府は、農業用ディーゼル燃料への税制上の優遇措置を一度に撤廃するのではなく、2026年までに三段階に分けて撤廃すると発表した。ただしDBVはこの措置に満足していない。DBVは、農業用ディーゼル燃料への税制上の優遇措置の廃止も撤回させることを求めて、1月8日から5日間にわたって全国各地で抗議デモを繰り広げた。

 この一部始終から見て取れるのは、ショルツ政権が政策を実施した際の反動を十分に考えずに発表し、市民らから批判されると政策を修正または撤回するという「行動パターン」だ。

 このパターンは、去年繰り広げられた暖房の脱炭素化をめぐる議論でもはっきり表れた。2023年にハーベック経済気候保護大臣は、建物からの二酸化炭素(CO2)の排出量を減らすために、「2024年1月1日以降、エネルギー源の65%が再生可能エネルギーではない暖房器具の新設を禁止する」という法律を制定しようとした。だが、市民やメディアが激しく反対したため、ハーベック大臣は法律の内容を大幅に緩和し、暖房の脱炭素化を4年間延期した。

 またハーベック大臣は2022年に、ロシアのウクライナ侵攻後に天然ガスの仕入れ価格が急騰し、経営破綻の瀬戸際に追い込まれたエネルギー企業を救済するために、全ての消費者から天然ガス賦課金を徴収すると発表した。しかし天然ガスを多く消費する産業界などが「エネルギー費用が倍増する」と強く反対したために、実施の直前にこの計画を撤回した。これらの事例には、ショルツ政権が、政策が及ぼす影響や、経済界、市民からの反発について事前に熟考せずに一方的に政策を打ち出すというパターンが示されている。しかも一度発表した政策をすぐに撤回することは、市民の政府に対する不信感を一段と強める。私は1990年からドイツに住んで定点観測を続けているが、これほど激しく右往左往する政権を見たことは、一度もない。

極右が農民デモを悪用する危険

 今回の農民デモは、ドイツで行われた農民の抗議行動の中でも最も規模が大きいものの一つであり、農民デモが頻発する西隣のフランスの影響を感じる。もう一つ、今回のデモが過去の抗議行動と違う点は、右翼勢力の関与である。

 1月4日に、ハーベック経済気候保護大臣が北海のホーゲ島でクリスマス休暇を過ごした後、フェリーに乗って、本土に向かい、シュレスビヒ・ホルシュタイン州のシュリュットズィール港で船から降りようとしたところ、港で待ち構えていた約250人の農民たちに下船を阻まれた。一部の農民たちは、フェリーに突入しようとしたが、護衛の警察官たちがスクラムを組んで阻止した。だがこの抗議行動のために大臣は、フェリーでホーゲ島に戻らざるを得なかった。

 農民たちは、「政治家たちの失策のつけを私たちに払わせようというのか? 三党連立政権は退陣せよ」と書かれた横断幕を掲げていた。ドイツでは政府に対して抗議する権利は認められているが、大臣のプライベートな時間の行動を、市民が実力で制限しようとするのは違法行為だ。政策に対する抗議がこのような「脱線」につながったのは異例である。ハーベック大臣は、「農民たちの代表にフェリーに乗るように呼びかけ、対話しようと申し出たが、彼らは聞く耳を持たなかった」と語っている。

 ドイツでは、大臣のプライベートな行動予定は、通常公表されない。したがって、250人の農民たちがこの日ハーベック大臣の旅行スケジュールを知ったのは、不思議である。この点についてドイツの週刊新聞ツァイトは、「右翼政党・ドイツのための選択肢(AfD)に近い男女2人がハーベック大臣の旅程を探り出し、農民たちをシュリュットズィール港に集結させた」と報じている。フレンスブルク地方検察庁は、脅迫と秩序攪乱の疑いで捜査を始めている。

 また内務省の捜査機関・連邦憲法擁護庁は、「帝国臣民(ライヒスビュルガー)や常識とは異なる考え方をする者たち(クヴェアデンカー)などの極右勢力が、農民の抗議デモを利用して、現政権への不満を煽ろうとする傾向が見られる」と警告している。バーデン・ヴュルテンベルク州の憲法擁護庁は、「同州のAfD青年部は、党員たちに対して農民デモに加わるように呼びかけている」と発表した。

 1月8日には、バーデン・ヴュルテンベルク州のウルム・ヴィブリンゲンという町で、何者かが、路上に材木を組み合わせた絞首台の模型を設置していたのが見つかった。絞首台には、「No farmers, no food(農民がいなくなったら、食料がなくなる)」というスローガンを書いた板が取り付けられている。絞首台の縄の先には、ボール紙で作られた信号機がぶら下げられていた。ショルツ政権を構成する連立与党は、しばしば信号機(ドイツ語でアンペル)と呼ばれる。三党のシンボルカラーは社会民主党(SPD)が赤、緑の党が緑、自由民主党(FDP)が黄色だからだ。「ショルツ政権の退陣を求める」というメッセージだ。

 誰がロータリーにこの絞首台の模型を設置したのかはわかっていない。しかし絞首台の模型は、旧東ドイツの極右勢力が政府に抗議するためのデモの際に時々使われており、農民デモと極右勢力の接近を示唆しているのかもしれない。ドイツの治安当局は、「農民デモが現体制の転覆を狙う極右勢力によって悪用される可能性がある」という懸念を強めている。

農民デモが右翼政党に追い風?

 元々農村では、前のメルケル政権や緑の党のリベラルな政策に対する批判が強かった。アンゲラ・メルケル前首相はキリスト教民主同盟(CDU)に属していたが、その政策は緑の党に近かった。寛容な難民政策や、脱原子力政策、女性の社会進出を促進する政策はその例である。

 私は2015年9月に、当時のメルケル政権がシリアからの約100万人の難民たちに対し、ドイツでの亡命申請を特別に許可した直後に、ミュンヘンから約100キロ北東のメッテンハイムという村で、バイエルン州政府が農民たちのために開いた説明会に出席したことがある。マイクを握った農民たちが、「難民の増加によって、治安が悪化した」「憲法が認める亡命申請権を廃止するべきだ」と発言すると、会場のレストランを埋めた聴衆たちからは、万雷の拍手が沸き起こった。バイエルン州政府の代表たちが、返答に窮する場面もあった。農民たちの間では、メルケル氏の難民に寛容な政策が不評であることがはっきり表れていた。この2年後の2017年の連邦議会選挙では、AfDがこうした市民の不満を追い風として、初めて連邦議会に議席を獲得した。

2015年9月にミュンヘン郊外のメッテンハイムで開かれた難民問題に関する説明会。当時のメルケル政権のリベラルな難民政策に対する批判の声が強かった(筆者撮影)

 今年はドイツで、重要な選挙が目白押しだ。6月には欧州議会選挙が実施される他、9月にはザクセン州、テューリンゲン州、ブランデンブルク州で州議会選挙が行われる。世論調査によると、AfDの支持率はキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)に次いで第二位だ。これに対し連立与党の支持率は一年前に比べて大幅に下落している。たとえばアレンスバッハ人口動態研究所の世論調査によると、2022年12月にはSPDの支持率は22%だったが去年12月には17%に5ポイント減少。緑の党も同時期に支持率を18%から15%、FDPも7.5%から5%に減らした。

 ザクセン州などの三州の大半では、AfDが首位を占めており、9月の州議会選挙で勝利する可能性が強まっている。去年は旧東ドイツの一部の地方自治体で、AfDの党員が初めて郡長や市長に当選した。AfDは地方自治体で着々と外堀を埋めつつある。旧東ドイツでは、AfDの政治的影響力が無視できなくなっているのだ。

 ナチスドイツが約600万人のユダヤ人を虐殺したという事実に対する反省から、1990年代にはあまり公に口にできなかった「右翼政党への投票」が、一部の市民の間では、もはやタブーではなくなりつつある。しかもメディアやリベラル勢力は、AfDの伸長をどう防ぐかについて、有効な対策を提示していない。「フランスやオランダ、イタリアでも右翼政党が勢力を伸ばしているのだから、この流れには逆らえない」という諦めきったような論調すら見られる。今回の未曽有の農民一揆が、ドイツ社会で進みつつある右傾化に拍車をかけることが懸念される。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
熊谷徹(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
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