プーチンの友、シュレーダーの孤独な誕生日

執筆者:熊谷徹 2024年4月19日
エリア: ヨーロッパ
シュレーダー氏はウクライナのブチャで約400人の市民が虐殺された事件についても、「プーチン大統領が命じたものではない」と語っている[首相在任時のシュレーダー氏=2005年](C)360b / Shutterstock.com

 ドイツのゲアハルト・シュレーダー元首相は4月7日、80歳の誕生日を迎えた。ロシアのロビイストになったシュレーダー氏は、古巣の社会民主党(SPD)で村八分にされ、多くのドイツ国民に嫌われ、いまやプーチン露大統領からも見放されたことが窺える。しかし、未だに「政商」としての活動は継続中だ。

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 ドイツの公共放送・北ドイツ放送協会(NDR)は4月8日、『引退した? ゲアハルト・シュレーダーと歩く(Ausser Dienst? Unterwegs mit Gerhard Schröder)』という45分のドキュメンタリー番組を放映した。NDRのルーカス・シュトラトマン記者は数カ月にわたり、シュレーダー氏を密着取材した。同氏のハノーバーの事務所で長時間インタビューしただけではなく、ハンブルクでの東西ドイツ統一記念式典や、居酒屋での友人たちとの会合、教会でのミサから、中国への出張にも同行した。中国出張は、あるドイツ企業のために行ったものだ。韓国人の若い妻とゴルフを楽しむシュレーダー氏は、年齢を感じさせない。ロシア・ウクライナ戦争勃発後、シュレーダー氏がメディアにこれだけ長時間の取材を許したのは初めてだ。

 ドイツの保守系日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)は4月6日付紙面で、シュレーダー氏を「ドイツの歴代の首相の中で、最も大きく転落した人物」と評した。その理由は、彼が首相辞任後ロシアのロビイストになったからだ。彼はロシアのウクライナ侵攻を批判しているが、ウラジーミル・プーチン大統領については非難していない。

 彼はSPDの幹部たちを「みじめな人々」とか「小僧」と呼び、執行部とは絶縁状態にある。SPDの公式ウェブサイトの「偉大な社民党員」のリストの中には、ヘルムート・シュミットやヴィリー・ブラントなどSPDの首相・大統領経験者の写真と名前が並んでいるが、シュレーダー氏の名前はない。シュトラトマン記者の「さびしいと思うことがあるか」という質問に対し、シュレーダー氏は「全然さびしくない。私は子どもの頃から、他人と違う道を歩むことに慣れているんだ」と答えた。

プーチンの刎頸の友

 彼は現職時代からプーチン大統領と親交を重ねた。刎頸の友と言うべき間柄だった。シュレーダー氏は、1998年から2005年まで首相を務めた後、ロシアとドイツを直接結ぶ天然ガス海底パイプライン・ノルドストリーム1(NS1)の運営企業の監査役会長に就任した。NS1の運営企業は、ロシアの国営企業ガスプロムの子会社である。

 シュレーダー氏は、首相だった2005年に、ロシアからドイツへ天然ガスを直接送るNS1の建設プロジェクトをスタートさせた。プロジェクト合意調印式には、シュレーダー首相(当時)とプーチン大統領が出席した。

 西ドイツが1973年にソ連の天然ガスを輸入し始めた時、ソ連への依存度は約5%だった。だがNS1の完成によって、ドイツが2021年に輸入した天然ガスの内、約60%がロシア産ガスだった。これほど対露依存度を高めた責任者の一人は、シュレーダー氏である。だが彼はNDRとのインタビューの中で「私はやましいことは何一つしていない。NS1の建設は、ドイツへのエネルギーの安定供給を確保するために正しい選択だった」と自己の決断を正当化した。この番組からは、シュレーダー氏が外界から遮断された、一種のエコー・チェンバーもしくはフィルターバブルの中に生きていることを浮き彫りにした。

 シュレーダー氏は、プーチン大統領をハノーバーの自宅に招待したり、プーチン大統領のソチの別荘に行って一緒にサウナでビールを飲んだりするほど親しい仲だった。文字通り裸の付き合いである。

 シュレーダー氏は、プーチン大統領の出身地サンクトペテルブルクのロシア人孤児を2人、養子に迎え入れた。シュレーダーとプーチンの両氏が、ともに貧しい家庭に生まれたことも親しくなった理由の一つだ。

 シュレーダー氏の父親は、第二次世界大戦末期に、ルーマニアで戦死した。このためシュレーダー氏は、掃除婦として働く母親の薄給だけに支えられ、赤貧洗うがごとき幼年時代を送った。彼が子どもの時に一時住んでいた家には、屋内トイレすらなかった。「二度と欧州で大戦争を起こしてはならない。特にドイツとロシアは、二度と戦ってはならない」。この決意も、彼がロシアとの関係強化を目指した理由の一つだった。

 シュレーダーを始めとするSPDの親ロシア派の基本原則は、「欧州での新しい安全保障体制を構築する際には、ロシアをつまはじきにしてはならない。欧州の平和保障は、ロシアを参加させなくては確保できない」という路線だった。「ポルトガルからウラジオストックまでを包含する『欧州共同の家』をロシアとともに築き上げよう」というのが、彼らの理想だった。

 プーチン大統領は東ドイツでKGB(ソ連国家保安委員会)の将校として5年間働いたので、ドイツ語に堪能である。彼はロシアの大統領の座に就いた後、2001年9月にドイツ連邦議会に招かれた。彼はドイツ語で演説し「冷戦は終わった。ドイツとロシアは協力して、欧州共通の家を作ろう」と訴えた。彼の宥和的な口調には、21年後に東西対立を再び激化させるという意図は感じられなかった。

 ロシアの大統領がしかもドイツ語を使って、連邦議会で演説したのは、初めてだった。彼は演説の中でゲーテやシラーにも触れ、ドイツ文化に対する尊敬の念を表した。この演説は多くのドイツ人に感銘を与えた。当時、プーチン大統領の経歴や背景を知るドイツ人は少なかった。プーチン大統領がKGBを退職してサンクトペテルブルク市当局で働いていた頃、地元の暴力組織と繋がりを持っていたことを知る者はいなかった。

 一部の政治家は、プーチン大統領について「ロシアに新風を吹き込む改革者」という楽観的なイメージを抱いた。特にシュレーダー氏は、「プーチン大統領は、虫眼鏡で見ても傷一つない、正真正銘の民主主義者だ」と太鼓判を押した。当時のニュース映像を見ると、シュレーダー氏はプーチン大統領と一緒にいる時には満面の笑みを絶やさず、「べた惚れ」という印象を与える。

 シュレーダー氏は、プーチン氏と親しくなった理由の一つとして、「プーチン大統領がドイツ語に堪能なので、通訳抜きで腹を割って話せること」を挙げた。

ドイツの元首相がロシア企業に天下り

 やがてシュレーダー氏は、プーチン大統領に金銭面でも完全に取り込まれる。彼は2005年の連邦議会選挙で敗北して首相の座から降り、議員も辞職した。その後プーチン大統領から直々に電話で要請されて、NS1の運営企業の監査役会長に天下りした。この企業はガスプロムがスイスの租税回避地ツークに持っていた子会社である。元首相が、現役時代に始めたプロジェクトを運営する会社の重役になった。天下りはドイツの法律に違反する行為ではなかったものの、これが腐敗でなかったら、何が腐敗だろうか。

 NS1は、2011年にドイツに天然ガスを送り始めた。21世紀の初めに、ウクライナが自国を通過するガスパイプラインの使用料をめぐってロシアと対立し、ウクライナを通って東欧や西欧に送られるロシアのガスを、一時的に止めたことがあった。これに懲りたロシアは、ウクライナやポーランドなど、ロシアに対して批判的な国の領土を通さずに、バルト海を通じてドイツに直接ガスを送るパイプラインを建設した。こうすれば、ポーランドやウクライナによって西欧とのガス貿易を邪魔される危険が減る。ドイツはロシアの割安なエネルギーを輸入して、付加価値の高い製品を輸出するというビジネスモデルにより、国富と雇用を増やしてきた。

 

 

ロシア企業から年1億円を超える報酬

 シュレーダー元首相は、ロシア政府のロビイスト、プーチン大統領の子飼いの部下になった。NS1に並行するパイプラインNS2を建設し、ドイツへのガス供給量を倍増させようとして、メルケル政権(2005~2021年)に働きかけた。同じSPDに属しシュレーダー氏の派閥に属したフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー氏(現大統領)も、親ロシア派だった。彼はシュレーダー政権で連邦首相府長官を務めた。さらに、SPDとCDU・CSU(キリスト教民主・社会同盟)による大連立政権(第1次および第3次メルケル政権)では、外務大臣を務め、ロシアからのエネルギー輸入量の増加に尽力した。ちなみに2017年から約1年間外務大臣を務めたジグマー・ガブリエル氏や、2021年にドイツの首相に就任したオラフ・ショルツ氏も、SPDのシュレーダー派に属した。つまり21世紀に入ってからSPDの指導層は、シュレーダー氏の息のかかった、親ロシア派の政治家たちによって占められていた。プーチン大統領の思う壺である。

 シュレーダー氏は、ロシアの金によって雁字搦めにされた。彼はNS1とNS2の運営会社だけではなく、ロシアの石油会社ロスネフチの監査役会長も務めた。このため彼の年収は、一時総額100万ドル(1億6000万円・1ユーロ=160円換算)に達したと推定されている。ガスプロムは2022年にシュレーダー氏を自社の監査役会長に推薦しようとしていた。しかしウクライナ戦争のために、ガスプロムの監査役会長への就任は実現しなかった。

 2014年にシュレーダー氏は、サンクトペテルブルクで、70歳の誕生日を祝った。この時、プーチン大統領はモスクワからわざわざ飛行機でサンクトペテルブルクに駆け付け、本社前でシュレーダー氏を固く抱擁した。その写真は、2人の関係の深さを強く印象付けた。

 ちなみにシュレーダー氏は首相経験者として、ドイツ政府からの恩給(年間7万7000ユーロ=1232万円)の他、連邦議会の中にオフィスと事務職員、ボディーガードも与えられていた。彼が2017年にオフィスと職員のために国から受け取った経費は、56万ユーロ(8960万円)に達した。当時野党だった緑の党からは、「ロシアから多額の報酬をもらっている元首相に、ドイツ政府がオフィスの経費を国民の税金から払う必要があるのか」という批判も出た。

 私がこの元首相の堕落を特に強く感じたのは、彼がロシアを弁護する発言をしばしば行ったからだ。シュレーダー元首相は、ロシアのクリミア半島併合など国際法に違反する行為について、プーチン大統領を擁護した。まるで、ロシア政府のスポークスマンのような態度だった。

 彼はロシア軍がウクライナ侵攻後に一時占領したブチャで、約400人の市民が虐殺された事件についても、「プーチン大統領が命じたものではない」と語っている。

ウクライナ侵攻後もプーチンに面会

 彼はロシア・ウクライナ戦争勃発後も、プーチン大統領と面会できる、西側では数少ない人物の一人だ。2022年3月には、スイスの実業家から「ウクライナ政府のために、停戦条件についてプーチン大統領の見解を聞いてほしい」という依頼を受けた。シュレーダー氏が携帯電話でベルリンのロシア大使館に「プーチン大統領に会いたいので、アポイントメントを取ってほしい」と要請したところ、大使館から「明日ならば面談できる」という返事が来た。EU(欧州連合)の経済制裁措置のために、ドイツからロシアに飛行機で直接行くことは不可能なので、シュレーダー氏はトルコ経由でモスクワへ飛び、実際にプーチン大統領と面談した。だが停戦工作は全く実を結ばなかった。彼はNDRの番組の中でもプーチン氏との会談内容については語らなかった。

 シュレーダー氏がプーチン大統領との間で、個人的に親しい関係を築いていたことは事実だが、ウクライナ侵略という欧州の安全保障の行方を左右する大事件については、影響力を行使することはできなかった。このことから、「自分たちは親友だ」と考えていたのはシュレーダー氏だけで、現在のプーチン大統領はシュレーダー氏を「ドイツの政界で影響力を失った、利用価値のない人物」と見ていることが窺われる。

 NDRとのインタビューの中で、シュレーダー氏が一度だけ気色ばんだことがある。彼はシュトラトマン記者から、ロシアを擁護することの道義性について問われて、「道義性? きみ何を言っているんだ。私は戦争をやめさせる道があるかどうかについて、交渉するためにモスクワでプーチン大統領と会ったのだ。そういう交渉は、道義性について語る場ではない」と反発したのだ。

 ドイツでは「シュトラトマン記者は、突っ込み方が足りない」という批判が出ている。たとえばシュトラトマン記者は、「あなたは首相だった時、同盟国・米国のイラク侵攻を批判し、戦争への協力を拒否しました。それなのに、なぜあなたは今世界の多くの国から戦争犯罪人と見られている人物に仕えているのですか?」というような質問をしていない。取材対象者に対する遠慮が感じられた。

 結局シュレーダー氏は、プーチン大統領によって利用された。秘密警察や諜報機関は、自分の掌中に収めたいと考えた人間と長年にわたって親交を結び、協力者に仕立て上げる。KGBでも伝統的な手法である。秘密警察や諜報機関で働いた者にとって、本音を隠して嘘をつくことは日常茶飯事である。秘密警察出身の人間と付き合う際の鉄則は、「この人は嘘をつくことが、当たり前と考えている」と意識することだ。シュレーダー氏を始めとするドイツの多くの政治家は、この鉄則を守らず、プーチン大統領に取り込まれた。プーチン大統領は、KGBで学んだ手法を使って、ドイツの元首相を金で篭絡し、欧州最大の経済パワーが長年にわたってロシアからの安い化石燃料という「甘い毒」に依存するように仕向けた。

 シュレーダー氏は、2022年4月に米ニューヨーク・タイムズの記者に対して行ったインタビューで、「私は私腹を肥やすためにロシアとの間でガス貿易を拡大したのではない。エネルギーを通じてドイツとロシアの間の結びつきを深め、欧州の安全保障を強化することが目的だった」と語っている。しかし彼の刎頸の友がウクライナ文化の消滅をめざして、第二次世界大戦以来最悪の侵略戦争を続けている今、シュレーダー氏の理想論は空しく響く。

 今やシュレーダー氏は、ドイツで軽蔑され、蛇蝎のように嫌われている。SPDの複数の地方支部は、執行部に対し彼を党から除名するよう求める申請を提出した(SPDは、シュレーダー氏の除名は断念した)。シュレーダー氏は、ロシアを擁護する言動のために、居住地ハノーバーの名誉市民や地元サッカーチームの名誉会員の座も追われた。シュレーダー氏はプーチン大統領が仕掛けた落とし穴にはまり、政治家としての晩節を汚した。

 シュレーダー氏はニューヨーク・タイムズとのインタビューの中で、「もしもガスプロムがドイツへの天然ガスの供給を止めたら、私はNS1運営会社の監査役会長を辞任する」と語った。シュレーダー氏は、2022年8月31日にガスプロムが天然ガスの供給を止めてからも、監査役会長の座から辞任していない。この一点からも、彼が道義心に欠ける人物であることがわかる。同時に、100人が「黒」と言っても、自分だけは「白」と言って我が道を行く頑固さには、極めてドイツ的なものを感じる。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
熊谷徹(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
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