インドネシアで影絵芝居になった桃太郎(前編)

執筆者:徳永勇樹 2024年3月3日
タグ: インドネシア
エリア: アジア
インドネシアの伝統的な影絵芝居で「桃太郎」を上演してみると……(「Culpedia」HPより)

 外国の画家たちに桃太郎の絵を描いてもらう「Momotaro Project」から派生したのが、インドネシアの伝統的な影絵芝居(ワヤン)で桃太郎を演じる新プロジェクトだった。現地の若者たちの協力を得て、日本インドネシア国交樹立65周年記念事業にも選ばれるなど、準備は順調に思えたが――。

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 昨年12月、気温は30度を超えて、真夏のクリスマスイブを迎えたインドネシアのジャワ島。夜の帳も下りて、かがり火がゆらゆらとゆらめく中、弦楽器や銅鑼が置かれる傍に、伝統衣装を纏った人々が目を閉じて座している。彼らの中心には大きなライトと白いスクリーンが鎮座し、その前には大男が胡坐をかいている。

 合図とともにガムラン奏者達が演奏を開始し、中央の大男が手元の人形を手にした。そして、その人形を音楽に合わせてゆっくりと動かし始めた。人形は小刻みに揺れ、光の当たった部分は影となってスクリーンに反射したが、その動きに合わせて影は人形から解放されるがごとく、新しい生命を宿して自由に動き始める。これが、インドネシアの伝統芸能である影絵芝居「ワヤン」である。

 作家の谷崎潤一郎は、著書『陰翳礼賛』の中で「われわれ東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造する」と述べた。

「『掻き寄せて結べば柴の庵なり解くればもとの野原なりけり』と云う古歌があるが、われわれの思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う」

 ワヤンを初めて見た時に、谷崎のこの一節を思い出したものだ。

絵画でできるなら影絵芝居でも

 2023年12月24日、筆者はインドネシア共和国のジャワ島中部に位置するジョグジャカルタ州にて、ある催し物を主催した。その名も、「Momotaro Wayang」である。ワヤン(Wayang、ワヤン・クリとも言う)に馴染みのない人もいるかとは思うが、ガムランという音楽(インドネシア版のオーケストラ)とともに人形師が演じる影絵芝居のことで、インドネシアのみならず東南アジア諸国の伝統芸能として根強い人気がある。

どんぶらこ、海を渡る――外国の画家が「桃太郎」を描いてみたら』で紹介した通り、筆者は2022年7月から、世界各国の伝統絵画の画家たちに日本の昔話「桃太郎」を描いてもらう「Momotaro project」を進めてきたが、その最中、2022年12月に訪問したインドネシアでワヤンを鑑賞する機会があった。プロのダラン(人形遣い)が、光の強さを調整しながら手元の人形を駆使してゆらゆらとした影を作る職人技などに目を奪われた。

現地の博物館に展示されているキリスト教布教用のワヤンの人形(筆者提供)

 ワヤンは2003年にユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、まさにインドネシアを代表する伝統文化であるが、一貫して一般庶民に近い芸能でもある。例えば1960年代には、宣教師が、地元住民にキリスト教を布教するために、イエス・キリストやマリア様を模った人形を作り、オリジナルの演劇を作ったという記録がある。オランダそして日本の植民地時代には、反植民地抵抗運動の活動家が地元住民の間に独立機運を醸成する目的でワヤンを利用したという。最近では、ワヤンと現代アートを組み合わせたパフォーマンスを行う団体もある。インドネシア人にとって、ワヤンは娯楽であり、教育であり、そして思想だ。

「Momotaro project」の経験を通じて、筆者にとって芸術とは、もはや遠くから鑑賞するものではなくなっていた。不器用ながら自分の手で触れて、関わり、そして、創作の一部になることだった。ワヤンで日本の物語を演じることができれば、面白いのではないか。特に、桃太郎であれば既にインドネシア語版も手元にあるし、絵画で出来るならばワヤンでもできるのではないか。こうして、展覧会の絵もまだ完成していない2022年12月にMomotaro Wayangプロジェクトを発足させてしまった。

 ただ、実際にはそう簡単ではない。絵画に比べて、関係者が増えるからだ。ワヤンの構成要素は大きく分けて3つある。1つ目は人形。2つ目は、ガムラン。そして、3つ目が人形遣い(ダラン)である。

一般的な人形の製造工程(筆者提供)

 1つ目の人形作りは、牛皮(違う材料のものもある)を薄く延ばしたものに下絵を施し、そして色付けを行う。筆者も工房を訪問し、制作現場を見学する機会を得たが、職人による細かな線使いや彩色に魅了された。2つ目のガムランは、インドネシアのオーケストラと呼べるもので、金属製、木製、竹製の打楽器を用いて合奏する民俗音楽である。独特の旋律やボーンという音に馴染みのある方もいるかもしれない。そして、3つ目の人形遣いこそが、個人的にはワヤンにおいて最も重要だと考える。一般的なワヤンは、この人形遣いが全体を支配し、ある意味で、指揮者兼歌手とも言える。時には即興で愉快なジョークを飛ばし、時には悲しげな口調で観客の涙を誘う。

 インドネシアではワヤンの演目はマハーバーラタやラーマヤナを使用することが多いが、前述のとおり、必ずしもこれらの物語に限らないのがインドネシアの文化の懐の深さである。筆者はインドネシアを数回訪れて、日本人とインドネシア人の感覚は意外と近いのではないかと感じた。例えば、インドネシア国民の90%はイスラム教徒でありながら、クリスマスも盛大に祝う。そもそも、マハーバーラタやラーマヤナはインドのヒンドゥー教の物語だ。一本筋を通しながらも様々な文化を受け入れる姿は、日本を見ているようである。

「日尼国交樹立65周年」「日本ASEAN友好協力50周年」の記念事業に

 構想が徐々に具体的になる中、協力したいと名乗り出てくれる人が現れた。筆者とは既に10年来の友人だったキンタ・ヘラワン(Kinta Herawan)さんである。彼女はジョグジャカルタ州のZ世代の若者40名を率いてJMBN(Jaringan Masyarakat Budaya Nusantara/列島文化コミュニティネットワーク)という団体を立ち上げ、同地の伝統文化を継承・発信している(https://www.instagram.com/jmbn.indonesia/)。彼らも海外の団体、特にアニメや漫画を通じて触れる機会のある、日本の文化団体と一緒にプロジェクトを進めたいという思いがあったそうだ。こうして、筆者とJMBNが連携した国際プロジェクトが始まった。

 まずは、JMBNの若者たちにこのプロジェクトのコンセプトを伝える必要がある。これまで絵画のプロジェクトを進めてきた相手はベテランのアーティスト達ばかりで、若い世代の人々が当方の意図を理解してくれるか不安ではあったが、筆者の拙い説明をキンタさんが補足してくれた。そして、現地の若者たちが「これは面白そう」「このプロジェクトに関われてよかった」と本当に楽しそうにしている姿を見て胸を打たれた。大人になってしばらく経つが、純粋な気持ちで「それは楽しそう!」と言えたのはいつが最後だろう、文化活動はやっぱり面白くないといけないという原点に立ち返ることができた。

人形を操るエコ氏(中央)(筆者提供)

 続いて、彼らは、地元ジョグジャカルタ州で協力してくれそうな人を探し始めた。ほどなくして、州の元文化局長で、プロの人形遣い(ダラン)でもあるキ・ムブルス・エコ・スリョ(以降エコ氏)にコンタクトを取り、協力を要請した。エコ氏は人形遣いとしての役目を引き受けるだけでなく、人形作家やガムランチームを探してくれることになった。筆者からは、絵画のプロジェクトと同様に、物語の翻訳文と桃太郎の歌の音源を参考に渡した。もちろん、Googleで桃太郎の物語を調べないでほしい、というお願い付きだ。

 思った以上に順調にことが運んだ。在インドネシア日本大使館からは日本インドネシア国交樹立65周年記念事業、日本アセアンセンターからは日本ASEAN友好協力50周年記念事業の肩書を貰い、会場もジョグジャカルタ州の5つ星ホテルで、日本の戦後賠償を財源に建設されたロイヤルアンバルクモホテルを利用することができることになった。

 だが、現地の人々とのコミュニケーションは決して簡単ではなかった。若者たちは皆英語を理解するが、チームのチャットはすべてインドネシア語である。筆者は、インドネシア語は全くできなかったので、当初は翻訳アプリを使って内容を1語1語英語に翻訳し、必要に応じて英語をインドネシア語に翻訳して指示を出すこともあった。ただしばらくするとそれが煩わしくなり、仕事の合間を縫ってインドネシア語を勉強し始めて、イベントの直前にはチャットのやり取りは翻訳アプリを使わずに理解できるようになった。皆も時間がない中でこのプロジェクトに協力してくれている以上、自分もできるだけ彼らに寄り添いたいと思っていた。

謎の「山田さん」登場に困惑

 2023年11月末、パフォーマンスまで1カ月を切ったある日、エコ氏から桃太郎ワヤンの台本が届いた。実は、ワヤンはインドネシアの公用語であるインドネシア語ではなく、現地の民族語であるジャワ語で演じられるため、多少かじったインドネシア語では全く理解ができない。愛用の翻訳アプリDeepLはジャワ語機能を搭載していないため、仕方なく、少し翻訳能力が不安なGoogle翻訳を利用して読み始めた。これまでちゃんとコミュニケーションを取ってきたのだから、台本に大きな問題はないだろうと考えていた。むしろ、どんな桃太郎が出来上がるのか楽しみだった。

 しかし、第一幕の冒頭のナレーションを見て度肝を抜かれた。

「山田さんは、悩んでいた」

 それが冒頭の一言だった。

 思わず頭が真っ白になった。まず、山田さんって誰だ。さすがに何かの間違いだろうと思いつつ、先を読み進める。全12ページの台本の3ページ目まで来ても山田さんと謎のインドネシア人の掛け合いが続く。翻訳アプリの問題もあるだろうが、ジャワ語(Javanese)と日本語(Japanese)は1文字しか違わないのに、とにかく読みづらい。翻訳アプリの限界を感じた。

 筋書きを簡単に説明しよう。舞台は西暦2023年頃のインドネシア・ジャワ島のとある村。稲作を主な生業とする村では、近年の地球環境の変化を受け、水害・干ばつ被害や害虫の被害に悩まされてきた。そこへ日本の農水省の山田さんがやってきて、地元の協力的な農民と有機農法を展開するという話である。

 第二幕で山田さんが、自分の好きな物語である「桃太郎」の世界に入り込み、桃太郎の鬼退治の様子を第三者の視点で見つめる。桃太郎は剣道の師匠に弟子入りして体を鍛え、猿、犬、鳥とともに、欲にまみれた商人が怨霊と化した鬼に決闘を挑み、鬼を撃破する。最後にどこからともなく現れた僧侶が聖水をかけることで人間に戻った鬼は、桃太郎の村づくりを支援する。

 そして、第三幕で再び現実世界に戻り、山田さんと一部の村人が提唱する日本式の有機農法に批判的だった村長や村人たちが徐々に理解を示すようになり、晴れて有機農法が現地の村に普及する。これを1時間かけて演じるというものだ。

 ストーリー読了時の感想は、「え? マジでこれをやるの?」というものだった。多少の脱線は覚悟していたが、第一幕と第三幕で桃太郎の「も」の字も出てこないのだから、1時間のうち桃太郎の登場シーンはわずか20分足らず。しかも、Google翻訳の文によれば、桃太郎は桃ではなくかぼちゃから生まれたことになっている。

 これは非常にやばい。数カ月かけて現地と対話をしながら物語を作ってきて、若者チームが毎週エコ氏のもとを訪れてワヤン作りの様子を記録しているということも聞いていたので、すっかり安心しきっていた。絵の展覧会が大成功だったこともあり、つい現地に任せっきりになっていた自分も悪かったのかもしれない。

 急いで現地のキンタさんに連絡して、エコ氏をはじめインドネシア側がプロジェクトの趣旨を理解できていない可能性があり、残り1カ月以内に再制作の可能性があることを伝えた。数カ月間の打ち合わせは全て無駄だったのかもしれない、自分はどこで間違えてしまったのかと、色々な感情が胸をよぎった。既に様々なところにイベントの告知もしている。日本からわざわざ見に来てくれる人もいるはずなのに。

 現地側は「少し確認する」と言うだけで、「大丈夫だよ~、心配しないで~」と呑気な絵文字付きで送ってくるのを見る限り、あまり焦っていない様子だ。今からストーリー全体の修正はほぼ不可能だろう、だとすれば、少しのマイナーチェンジでいけるだろうか。もしかしたら、ストーリー作りを担当した人は、わずかな変更も受け入れてくれないかもしれない。これまで現地の人々に置いていた全幅の信頼は一瞬で吹っ飛び、心の中が不安な感情で満たされていった。

(後編につづく)

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
徳永勇樹(とくながゆうき) 総合商社在職中。東京大学先端研創発戦略研究オープンラボ(ROLES)連携研究員。1990年7月生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本語、英語、ロシア語に堪能。ロシア語通訳、ロシア国営ラジオ放送局「スプートニク」アナウンサーを経て総合商社に入社。在職中に担当した中東地域に魅せられ、会社を休職してイスラエル国立ヘブライ大学大学院に留学(中退)。また、G7及びG20首脳会議の公式付属会議であるY7/Y20にも参加。2016年Y7伊勢志摩サミット日本代表、2019年Y20大阪サミット議長(議題: 環境と経済)を務め、現在は運営団体G7/G20 Youth Japan共同代表。さらに、2023年、言語通訳者に留まらず、異文化間の交流を実現する「価値観の通訳者」になるべくNGO団体Culpediaを立ち上げた。
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