どんぶらこ、海を渡る――外国の画家が「桃太郎」を描いてみたら|第1部・プロジェクトのはじまり

執筆者:徳永勇樹 2023年12月13日
タグ: 日本
イランの画家が描いた、鬼ヶ島へ向かう桃太郎一行(C)Amir Hosein Aghamiri
日本で最も有名な昔話のひとつ『桃太郎』を、遠く離れた外国の伝統絵画の画家に描いてもらう。ただし、「絶対にインターネットで桃太郎について調べない」という条件付きで。そうして3カ国の画家による計23枚の「Momotaro」が完成し、12月13日から京都文化博物館にて展覧会が開催中だ。風変わりなプロジェクトはいかにして始まったのか。

「桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけた、きびだんご、一つ私にくださいな」

 日本人の中で、この歌を、この物語を、知らない人はいないであろう。筆者も、どこで習ったかも覚えていないが、なぜかそのストーリー展開は明確に覚えている。

桃太郎の発生』(花部英雄著)によれば、桃太郎の物語の来歴はよくわかっておらず、「各地に歴史的事実として地名や関係物等が保存され顕彰されたりしているが、それは昔話の伝説化に過ぎ」ないという。江戸時代に御伽噺として庶民の間に広く普及し、民俗学者の柳田國男氏が著作(『桃太郎の誕生』)でその起源を詳細に分析したことも知られている。

 2022年から23年にかけて、筆者と仲間数名は、桃太郎に因んだ少し変わったプロジェクトを実施した。日本では誰もが知っている桃太郎を、物語についての背景知識を持たない海外の画家に描いてもらう――題して「Momotaro Project」である。日本の伝統的な桃太郎の物語を、別の国の伝統に則って描くことで、お国柄や地域性が出た多様なMomotaroが仕上がるのではないか。そして、国境を越えた心のやり取りの場を作れるのでは、と考えたのだ。

 果たしてどんな絵ができあがったのか。その前に、なぜ筆者がこのような取り組みを始めたのか、それについて話した方が良いだろう。

文化が伝わらない国際文化交流への疑問

 何年も前のことだが、ある国で行われた日本の伝統文化を発信するイベントに参加する機会があった。日本ではよく知られているある伝統芸能について、日本から出向いた指導者が説明し、現地の人々に実際の体験を通じて知ってもらう、という趣旨の催し物だった。冒頭に主催者が日本とその国の相互交流の場にしたい、と説明していたが、果たして、現地からは100名程度の参加者が集まった。

 筆者は主催者ではなく一参加者だったのだが、指導員の説明も知らない内容ばかりで、自国文化に関する自らの無知を一人嘆いていた。やがて質疑応答の時間になると、筆者の隣に座っていた現地の女性参加者が、特定の所作について「この動きはどういう理由で行うのか」と質問した。ところが、それに対して指導員が明確な理由を示せず、苦し紛れに「これは、こういうものだから」と説明していて、その時の質問者の女性の不満げな表情に、言いようもない寂しさを感じた。

 筆者は、その指導員が知識を持ち合わせていないことに違和感を覚えたのではない。どんなに高名な指導者でも知らないことはあるわけで、それは仕方ないと思う。ただ、折角の質問に対して「そういうものだ」と答えてしまうのは、禅の修行僧相手ならともかく、遠く離れた日本のことを知ろうとしてくれる人との関わりを拒絶しているように思えた。また、あの女性が疑問に思ったのであれば、他の参加者もきっと理解できなかったはずだ。これだけ娯楽や情報が氾濫する世の中である。数日後、いや、数時間後には、その日に習ったことは全て忘れてしまうだろう。そして、こう思うのだ。「日本の文化は、結局よくわからない」と。相互交流の場のはずなのに、少なくない金額をかけて実施したこのイベントは、果たして何のためにやっているのだろうという疑問すら湧いた。

 日本の外務省HPには「国際文化交流の目的は、文化を通じ各国民相互の理解と親善を深め、もって世界の平和と文化の向上に貢献することにある」と記載がある。筆者は日本と世界の文化に関心があるので、伝統文化を伝える催し物には国内外問わず積極的に参加しているが、その多くに共通するのが、自分の国(地域)の文化がいかに独自性を持つかのアピールばかりで、参加者が親近感や共感を抱くのが難しい、ということだ。むしろ、「自分の生活とは違う」「エキゾチックだ」と感じてしまい、世界の平和と文化の向上はおろか、相互の理解と親善を深めるところまで行きつかないのではないか(「まずは知ってもらう」ための広報活動として行う交流行事は否定しないが)。

 あの女性の不満げな表情は強烈な印象を伴って筆者の脳裏に焼き付いた。だが、ではどうすればより深く日本のことを知ってもらえるかについては、その時の筆者にはいいアイディアはなかった。

根拠のない自信でプロジェクト立ち上げ

 そうして時が経ち、2022年夏のある日、筆者と同じように伝統文化に関心を持つ知人と雑談をしていた折に、上述の出来事も紹介した上で、うまく言語化できない違和感について相談した。その時に、何の拍子か、「日本の物語を、何も知らない海外の芸術家に描いてもらったら、どうなるだろう」という問いが生まれた。

 それこそ桃から赤子が飛び出すように唐突に生まれたアイディアだが、考えれば考えるほど面白そうだ。それができたらさぞかし愉快だろう。実は、筆者が先のイベントに違和感を持ったのはもう一つ理由があった。それは、「日本の文化は独自だ」という表現の多用だ。主催者のスピーチでも、指導員の説明でも、「日本は独自に発展」「日本文化は他国にない~」という表現が頻繁に出現したのだ。

 これは一見、文化交流の醍醐味である「違い」を紹介する機会にはなるが、それが強調されすぎてしまうと、聴衆の立場に立ってみれば「私はあなたたちとは違うのです」と言われているように感じる。結果的に参加者が置いてきぼりになってしまい、相互交流になっていなかったのではないか。その点、この「Momotaro Project」は、海外の画家が日本の文化を深く知るのみならず、日本人もまた海外の伝統絵画を知るきっかけにもなる。

 ただ、言うは易く行うは難し、とはこのことである。まず、筆者はプロの学芸員ではない。展覧会は企画する側ではなく観に行く側だし、絵画についての造詣もないから品評もできない。小中学生の頃、美術は大の苦手で評定は2か3しかとったことがない。また、よしんば絵の良しあしが分かったとしても、絵を描ける知り合いは、海外はおろか日本にもいない。仮に画家が見つかっても、コミュニケーションを取るための言語はどうすればいいのか? 絵が完成しても、日本にどう持って帰ってくればいいのか? まっとうな思考回路を持っていたら、「まあ、無理だろう」と判断してやめてしまうだろう。

 だが、筆者には根拠のない自信があった。後押ししてくれたのが、筆者が今も働く総合商社での経験だった。総合商社というのは素人目線を持つプロの集まりだ。数年単位で担当する商材や地域が変わるが、一貫して与えられた職務を確実にこなす。筆者も、アジア、ヨーロッパ、北中米、アフリカ、中東と世界の多様な地域で仕事をした。当然、最初は素人であるが、半年以内にはその業務を1人でこなせるようになり、3年以内にはその商材や地域についてのプロになることが期待されている。今回も、全く畑違いの仕事ではあるが、不可能ではないという思いはあった。

 何よりも、やってみたいという思いが勝った。筆者は中学・高校時代に歴史が最も得意な科目で、暇さえあれば世界史の便覧を見て過ごしていた。大学生になって世界中を旅行する機会に恵まれ、社会人になってからは出張で海外に行く機会も多かった。これまでに訪れた国は計80カ国に上る。行く先々で博物館や美術館を訪れるたびに、高校生の頃に夢中で読んでいた便覧に出てきた絵画や造形物が目と鼻の先にあることに、密かに興奮を覚えていた。ただ、ガラスケースの先に手を伸ばすことは許されない。人類の英知は鑑賞するに限る、と半ば諦めてはいたが、心の中では絵を手に取りたい、何だったら、昔の貴族のように自分の好きな絵をプロの画家に注文して描いてもらいたい。

 謎の自信と歴史への愛が、筆者を駆り立てた。絵のことだって英語で情報が得られなくとも、翻訳機がこれだけ発達した時代において、全く情報がないことの方が珍しいくらいだ。諦める前にまずはやってみよう。そして、プロジェクトを思い立った翌日から早速行動に移った。高校卒業以来、埃を被っていた世界史の教科書と便覧を押し入れから取り出して、10年以上ぶりに広げてみた。久々に胸の奥が熱くなるような思いがした。まさか、その1カ月後には3カ国の伝統絵画の画家が見つかり、1年後には計23枚の絵が完成して、1年半後から日本国内3カ所で展覧会を開催できるなんて、その時には夢にも思わなかった。

あまりに便利なGoogle検索という諸刃の剣

完成した絵は現在、京都文化博物館で展覧中。展覧会は来年から岡山と東京でも開催される(C)Momotaro Project

 もちろん手元の情報(高校の教科書と便覧)だけでは足りないので、インターネットで世界中の伝統絵画を調べまくった。Googleで様々な国の伝統絵画を英語で検索し、出てきた情報をもとに様々な言語に翻訳し、関連しそうな情報を集めに集めた。

 今回のプロジェクトの趣旨は、各国のお国柄を比較するというものだったので、対象となる国を特定の地域に集中させることは避け、できるだけ分散させることだけは決めていた。いくつか自分の琴線に触れる伝統絵画があったので、その絵を描ける人を知っていそうな友人に声をかけたり、インスタグラムのハッシュタグ機能を利用したりして画家を探した。インスタグラムをひたすらにスクロールして、気に入った人に翻訳機を使って訳したメッセージを送り続ける姿は、さながらナンパ師である。

 そうしているうちに、なんと「協力してもいい」という人が出始めた。調べ始めてから2日目のことだった。まさに、求めよさらば与えられん、とはこのことである。しかし、ここで大事なことを忘れているのに気付いた。肝心の物語を決めていなかったのだった。ここで、冒頭の話に遡る。日本で一番有名な昔話でありながら、海外にもその類話がある桃太郎であれば、きっと面白い絵になるだろう。

 候補の画家達とはZoomでパソコン越しに顔を合わせたが、事前に企画概要と桃太郎の物語を自分で翻訳した原稿を送付していたので、言葉のハードルはありながらも打ち合わせは順調に進んだ。ただ、筆者には一つだけ懸念があった。それは、画家達が自分で桃太郎をインターネットで調べて、オリジナルをコピーしてしまうことだった。

 そこで、桃太郎の話を知らない画家を選び、画家の皆さんには、「作業中も絶対にインターネットで桃太郎は調べないこと」という条件に同意してもらった。今の時代、インターネットで手に入らない情報はあまりない。地球の反対側にも、今自分が何をしているかを動画付きで伝えられる。非常に便利な世の中になり、意思疎通も容易になったが、その一方で、未知のものに対する空想力を働かせられなくなっている現状もある。今回のプロジェクトは、昔話をテーマにしており、それこそ数百年前に思いを馳せる取り組みだ。情報が遮断された中で惹き起こされるインスピレーションの面白さを大事にしたかったのである。その思いが画家達に伝わるかどうかがプロジェクトの成否を決める、と思っていた。

 しかし、結論から言えば、杞憂に終わった。画家の皆さんはしっかりと趣旨を理解して下さった。英語でうまく通じていないなと思ったら、手元の翻訳機を使いながらコミュニケーションを取った。特に、細かな指定やお金に関する話は、間にネイティブスピーカーの知人を挟むことで余計なトラブルを防ぐように努めた。そうした工夫を重ねた結果、大きなトラブルなく絵の完成までこぎつけることができた。次回からはいよいよ、国ごとの「Momotaro Project」の成り行きを伝えたいと思う。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
徳永勇樹(とくながゆうき) 総合商社在職中。東京大学先端研創発戦略研究オープンラボ(ROLES)連携研究員。1990年7月生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本語、英語、ロシア語に堪能。ロシア語通訳、ロシア国営ラジオ放送局「スプートニク」アナウンサーを経て総合商社に入社。在職中に担当した中東地域に魅せられ、会社を休職してイスラエル国立ヘブライ大学大学院に留学(中退)。また、G7及びG20首脳会議の公式付属会議であるY7/Y20にも参加。2016年Y7伊勢志摩サミット日本代表、2019年Y20大阪サミット議長(議題: 環境と経済)を務め、現在は運営団体G7/G20 Youth Japan共同代表。さらに、2023年、言語通訳者に留まらず、異文化間の交流を実現する「価値観の通訳者」になるべくNGO団体Culpediaを立ち上げた。
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