どんぶらこ、海を渡る――外国の画家が「桃太郎」を描いてみたら|第3部・タンザニア「ティンガティンガ」&プロジェクトを終えて

執筆者:徳永勇樹 2023年12月13日
タグ: アート
エリア: アジア アフリカ
ティンガティンガアートでは、桃太郎のお供もタンザニアに生息する動物たちとなった(C)Abdalla Saidi Chilanboni
タンザニアの絵画技法によって色鮮やかに生まれ変わった桃太郎。見た目は大きく変わっても、遠く離れた東アフリカのアーティストによる物語の解釈には、現代の日本人と通じる点もあった。そして一連のプロジェクトをやり遂げた筆者が改めて考える、海を越えた「文化交流」の価値とは――?

 筆者が今回の取り組みを開始した直後、世界各国のアートをTwitter(X)で検索していて、東京・池袋のジュンク堂書店でティンガティンガアート展が開催されているのを知り、実際に絵を見に行って「これだ」と思った。展覧会を主催する株式会社バラカに連絡し、趣旨等を説明の上、協力を仰いだ。代表の島岡夫妻は30年に渡りティンガティンガアートに携わり、特に奥様はタンザニアの民話を基にした絵本も製作しているとのことで、今回のプロジェクトの趣旨をすぐにご理解下さった。

星空の下でマンゴーから生まれる桃太郎

 島岡夫妻が紹介して下さったティンガティンガアーティストが、アブダラ・サイーディ・チランボニさんである。アブダラさんは、桃太郎という未知の物語をキャラクターに落とし込むべく、かなり長い時間をかけたという(下書きの時間とペンキで描いた時間がほぼ同じだったそうだ)。

 1枚目から順に説明しよう。冒頭の山に柴刈り、川で洗濯の場面には、アフリカ最高峰のキリマンジャロが描かれている。また、他の国の画家の皆さんと同様に、様々な種類の動物や熱帯魚が描かれている。おじいさん、おばあさんも非常にエネルギッシュで、髪型もコーンロウというところに地域特性が出ている。

 2枚目は桃が登場するシーンだが、「桃」はタンザニアでは馴染みがないようで、アブダラさんは、現地で良く食されるマンゴーを選び、その中でも一番大きなボリボという品種を描いた。1枚目と同様、おじいさんとおばあさんの服が非常に鮮やかである。実は、これ以降、物語の中の日付が変わるごとに二人の服装も変わる、という細かい表現がなされている。

 3枚目は桃太郎が誕生するシーンで、おじいさんとおばあさんの表情が非常に生き生きとしているのが特徴だ。また、桃太郎もマンゴーの実から乗り出すように出てくるが、日本の桃太郎の「パカッ」と割れる姿とはまた違った様相である。家の横にある木は、バオバブの木とカシューナッツの木で、バオバブは精霊が宿り人々を守ってくれる木、カシューナッツはタンザニアに富をもたらす幸福の木だという。満天の星が描かれており、桃太郎が夜に生まれたというのも興味深い。

 4枚目は、桃太郎が鬼退治に出発するシーン。逞しく育った桃太郎が槍と盾を持ち、装飾品をつけて出かけようとしている。ここでの注目点は、やはりきびだんごであろう。タンザニアにはきびだんごが存在しないため、アブダラさんもどのような団子を描くか迷いに迷ったそうだ。結果、現地でよく食べられているトウモロコシの団子を描いたという。タンザニアでは団子はしっかり火にかけて加熱するようだ。

出発する桃太郎のためにおばあさんがきびだんごを調理している(C)Abdalla Saidi Chilanboni

「鬼を殺してしまうのはよくない」

 5枚目の家来の動物たちが登場するシーンでは、ちょっとした問題が発生した。ティンガティンガアートには一つルールがあって、タンザニアに昔から生息する動物しか描かない、というのだ。ニホンザル、キジ、犬は、いずれもタンザニアに生息しないそうだ(当然飼い犬や野良犬はいるだろうが)。悩んだ挙句、「何か似ている動物はいませんか」と質問したところ、アブダラさんから、ニホンザルはタンザニアの森林に生息するコロブスモンキー、キジはオナガドリ、犬はハイエナに代替するのはどうかとのアイディアが出た。反対する理由もないのでそのままOKを出した。

 6枚目は鬼の登場シーンである。「鬼」は、タンザニアではシャターニ(精霊・悪魔の両方)にあたるということで、アブダラさんの心の中にあるシャターニを描いたそうだ。日本の「鬼」とは異なり、動物の姿に近いどこか愛嬌のある鬼たちだ。アブダラさんによれば、鬼(シャターニ)を懲らしめるだけで十分なので、致命傷を負わせないよう桃太郎は槍を使わず、足蹴りや、角をつかむ場面を描いたそうだ。いくら村に迷惑をかけているからと言っても、鬼にも乱暴を働く事情があるのだから、殺してしまうのはよくない、と思ったという。日本でも2013年に「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」というコピーライティング(題:「めでたし、めでたし?」)が日本新聞協会広告委員会主催のコンテストで最優秀賞を受賞したことが話題になったが、それに通ずるような発想である。

 実は、もともとアブダラさんに依頼していたのは7シーン、合計7枚の絵だったが、アブダラさんの中で思うところがあったようで、1枚足して送って下さった。その追加された場面が7枚目の、鬼たちが桃太郎に降参している絵だ。この場面を描かなければストーリー全体を描き切れない、と判断したからだ、という。ありがたい話だし、アブダラさんの人柄がよくわかるエピソードである。

日本には3回来たことがあるというアブダラさん(Momotaro ProjectのHPより)

 8枚目は、桃太郎が家に帰るシーンだが、持ち帰る宝物には、宝石類に加えてパイナップルやヤシの実などのフルーツ類も描かれている。宝石類は、ルビー、レッドガーネット、グリーントルマリン、イエローサファイアなど、いずれもタンザニアで採れる宝石で、アブダラさんの故郷ナカパニャ村の近くで採れる石もあるそうだ。指輪やブレスレットに加工したものではなく、原石をそのまま運んでいるのがまた特徴的である。

 描き終えたアブダラさんは、以下のように語ってくれた。

「自分の知らない日本の昔話を想像して挿絵を描く作業はとても楽しかった。実はタンザニアには『泥から生まれたどろんこ娘』という物語があり、似たストーリーだなと思いました。とても楽しいプロジェクトだったので、同様の取り組みがあればぜひまた参加したい」

 こうして無事にすべての絵が完成し、日本にやってきたのが2023年の9月。プロジェクトの集大成として、2023年12月から24年3月にかけて京都、岡山、東京で展覧会を実施している。お近くにお住まいの方はぜひ足を延ばして頂きたい。

『文明の衝突』の恐怖を乗り越えるために

 日本文化の海外発信のあり方に違和感を覚え、それならば自分でやってみよう、と始めた本プロジェクトだが、相互理解の醸成にどれほど貢献できたのか、正直わからない。すぐに結果が出るわけでもなく、また、その結果が目に見えづらいのが文化交流事業の難しいところだ。その部分は自己満足で補うしかない。また、企画から管理まで全て自分で実施する苦労を感じることで、冒頭で言及した文化行事のことも、安易に批判できないとも思った。

 しかし、なぜこれほどまでにこのプロジェクトにのめりこんだのか、初めは自分でもよくわからなかった。何かに突き動かされていたのは間違いないのだが、プロジェクトの途中で、ふとした瞬間にその正体が掴めたような気がした。

 打ち合わせに疲労感を覚え、気晴らしに自宅近くの書店に出かけた時のこと、ある一冊の本が目に留まった。サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』だ。学部生の頃に授業の課題図書に指定されていたこともあり、懐かしい気持ちで思わず手に取ってパラパラとページを捲っていると、昔読んだ内容が徐々に思い出されてきた。

 ハンチントン氏によれば、世界の文明は8つ程度に分かれ、日本文明も独立した一つの文明という整理になる。内容の是非はともかく、混迷を極めていた冷戦終結後に新たな世界秩序を予測する本として、世界中で衝撃をもって受け止められた。

 当時、少人数の授業でこの本について議論したのだが、ある同級生が「日本は独特ですごい」という趣旨の発表をした。他の文明が大陸規模の大きさでありながら、日本文明(というものが本当にあるならば)は、小さな規模で他の巨大文明に伍しているように見えるからだ、という。発表者である同級生はある種の「特別意識」を感じているらしかった。

 それを聞いていて、「確かに日本はすごいのかもしれない」と思いながらも、日本だけ小さく別の色で着色された『文明の衝突』の挿絵を見て、まるで世界から「お前たちは自分たちの仲間ではない」と言われたような気もして、怖さを覚えた。文化的な独自性は確かにアイデンティティ形成上の強みになることもあるが、他方で、日本が困った時に「同じ文明のよしみ」で助けてくれる人はいない、とも思えるからだ。「特殊」は「孤独」の呼び水にもなりうる。

 それから時は経ち、実際に色々な国を訪れて、日本の「特殊性」を痛感した。「日本には寿司以外の料理があるのか?」「今も日本には刀を持ったサムライが道を歩いているのか?」という質問から、「日本ではほとんどがロボット化されていると聞いた」という、色々なステレオタイプに根差した日本像に当惑した。勿論、外国人の中でも日本に来たことのある人や、アジアを中心とした近隣諸国の人々は、ある程度正確に日本のことを知っているが、それでもその興味関心の中心はアニメやポップカルチャーであることが多い。

 一方で我々日本人も、海外の情勢を適切に理解できているだろうか。2022年のパスポート保有率17.8%という数値を見ると心許ない(2019年時点ですでに24.4%だったため、コロナ禍だけではその数値の低さを説明できない)。筆者の周りにもいまだに「東南アジアは物価が安い」などと言う人がいるが、例えばインドネシアの首都ジャカルタで暮らそうと思ったら、東京と同じくらいの物価水準を覚悟した方が良いだろう。日本人もまた、海外の国々に対して、昔のイメージを引きずっていたり、何らかの偏見を持っていたりする場合が少なくない。

 世界の人たちに日本のことを知ってもらい、また、日本人も独自性という魔法の言葉の上に胡坐をかかずに、世界とコミュニケーションをとるために、何ができるか。他国との接点が否応なく形成される今の時代に、文化的・歴史的な相違を乗り越え、政治や経済よりも強固な結びつきを作るために筆者が目を付けたのが、伝統文化の交流だった。

 一見、保守の専売特許とも思える伝統文化というものが、実は人類共通の普遍性を帯びた共通言語になりうると筆者は考えている。互いに「自分と相手は違う」という認識に立った上で意思疎通の方法を探るのが人間のコミュニケーションの原点だとすれば、文化交流とは、文化の違いを通じて自分の存在を再認識するとともに、互いを「それでも同じ人間」として是認するプロセスのひとつではないか。そのうえで他者と心を通わせることができるのが、文化交流の醍醐味だと思う。

 筆者は、国境を越えた身内意識を育むことで、ハンチントンの『文明の衝突』を読んで感じた「孤立した日本」という恐怖を埋めようとしていたのかもしれない。だからこそ、「ザ・日本的なもの」をそのまま相手国に伝えるやり方ではなく、相手の文化を踏まえて日本の文化も変わっていき、また新しい縁が生まれていくような方法に拘ったのだろう。

 だとすれば、絵画という成果物の完成を待たずとも、参加して下さった画家の皆さんが桃太郎を一生懸命に研究してそれぞれの「Momotaro」を思い描き、筆者がインドネシア、イラン、タンザニアの文化の豊かさを知って彼らに心の底から共感できる状態が生まれ、一つのチームとしてプロジェクトが進む過程で、すでに「文明の共存」はできあがっていたのかもしれない。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
徳永勇樹(とくながゆうき) 総合商社在職中。東京大学先端研創発戦略研究オープンラボ(ROLES)連携研究員。1990年7月生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本語、英語、ロシア語に堪能。ロシア語通訳、ロシア国営ラジオ放送局「スプートニク」アナウンサーを経て総合商社に入社。在職中に担当した中東地域に魅せられ、会社を休職してイスラエル国立ヘブライ大学大学院に留学(中退)。また、G7及びG20首脳会議の公式付属会議であるY7/Y20にも参加。2016年Y7伊勢志摩サミット日本代表、2019年Y20大阪サミット議長(議題: 環境と経済)を務め、現在は運営団体G7/G20 Youth Japan共同代表。さらに、2023年、言語通訳者に留まらず、異文化間の交流を実現する「価値観の通訳者」になるべくNGO団体Culpediaを立ち上げた。
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