「対テロ戦争」立ち消えでソマリアに遺った出口なき国際平和支援ミッション

執筆者:篠田英朗 2023年12月31日
タグ: 紛争
エリア: アフリカ
AMISOMの長であるMohamed El-Amine Souef氏、及びAMISOM構成主要国の駐ソマリア大使の方々と筆者(AMISOM提供)
ソマリア内戦に対処するAMISOMは2007年、2万人を擁する巨大な国際平和支援ミッションとして誕生した。介入部隊はアフリカ連合(AU)の周辺国が担ったが、「グローバルな対テロ戦争」の流れを反映してAU側は国連PKOへの引継ぎを期待した。しかし期待は裏切られる。ミッションはAMISOMからATMISに移行、24年末に終了を予定するものの、ソマリア連邦政府が武装勢力を掃討するのは不可能だろう。「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」で最も不安定な地域の一つ「アフリカの角」は、「対テロ戦争」が立ち消えたまま打開策が見つからない。

 アフリカ大陸東海岸がインド洋に鋭く突き出た部分は、「アフリカの角」と呼ばれる。これはどういう場所だろうか。

「英米系地政学理論」の雄と言ってよいハルフォード・マッキンダーは、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の接合に着目し、両者をあわせた広大な大地を「世界島」と呼んだ。マッキンダーにならって「世界島」をイメージすると、「アフリカの角」は、朝鮮半島、インドシナ半島、インド半島、アラビア半島、ヨーロッパの半島と並び、「世界島」の主要な「半島」の一つだと考えることができる地域だ。

 マッキンダーによれば、大陸から突き出た半島は、「橋頭堡(bridgehead)」であり、海洋国家と大陸国家の確執が、最も先鋭化する地域である。実際に、「アフリカの角」に位置するソマリア、そしてその隣国のエチオピアは、冷戦時代に、米ソ間の激しい勢力争いの主戦場の一つだった。もちろん20世紀以前には、欧州帝国主義の列強が、「アフリカの角」をめぐって、しのぎを削っていた。

「アフリカの角」の先端部に位置するソマリアは、外国勢力それぞれと結びついた国内勢力の権力争いが続いたうえで、冷戦終焉後に果てしない内戦に突入した。

「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の視点から見ても、「アフリカの角」は、決してその存在を無視することができない重要地域である。ソマリアは、アフリカで最も長い沿岸部を持つ国としても知られる。ソマリア起源の海賊の取り締まりを目的として、日本をはじめとする諸国は、国連安保理決議を根拠とした多国籍部隊の派遣を10年以上にわたって続けている。

 もっともソマリアに代表される「アフリカの角」の政治情勢は複雑であり、しかも治安情勢が険悪である。遠方でもあるため、無視したい願望に駆られる日本人も多いだろう。しかしそれにもかかわらず、インド洋がアフリカ大陸まで続いている以上、アフリカとの付き合い方を抜きにしてFOIPの視点は完結しない。少なくとも「アフリカの角」の情勢の把握を怠ってしまっては、結局は政策立案の思わぬところで足を取られる。継続して分析対象としておくことが、必要である。

国際平和活動の歴史を変えた「モガデシュの衝撃」

 朝鮮半島では、列強の激しい勢力争いの後、固定化された「休戦」が長く続いている。インドシナ半島では、冷戦後は、ASEAN(東南アジア諸国連合)の枠組みが米中対立の緊張を抑え込んでいる。インド「半島」では、半島全体で超大国化した勢力が、周辺国との関係を何とか維持している。アラビア半島周辺地域では、諸々の紛争と、地域内の諸国の複雑な均衡関係の維持が続いている。ヨーロッパは全域がNATO(北大西洋条約機構)の安全保障政策の地域となったが、残されたヨーロッパ「半島」の付け根にあたる旧ソ連圏東欧のウクライナ周辺地域で紛争が続いている。

「アフリカの角」も、世界有数の紛争地域の一つだ。特にその先端部分にあたるソマリアは、長期にわたる紛争状態にある。冷戦終焉直後に、史上初めて国連が国連憲章第7章の強制措置としての武力行使の権限をもって平和を強制する「平和執行」を試みた地域としても知られる。しかしアメリカ軍の展開をもって「平和執行」を裏付ける目論見は、アメリカ陸軍の特殊部隊員18名がソマリアの首都モガデシュにおける軍閥集団との戦闘で殉職した1993年の時点で、崩壊した。

 このモガデシュの事件の衝撃は甚大なものだった。アメリカがソマリアから撤退し、国連ミッションそれ自体も撤収になっただけではない。国際平和活動の歴史が大きく変わった。アメリカのクリントン政権は、当時の国連事務総長ブトロス・ブトロス=ガリを激しく非難し、拒否権を発動してガリの二期目の事務総長職の継続を阻止した。その後、アメリカは自国が推挙したコフィ・アナン事務総長が主導する国連PKOの発展を支持したが、「平和執行」を掲げる国連PKOの可能性は、アメリカが国連PKOに参加する可能性とともに消滅した。

 その後、アメリカは介入したい地域には、単独介入でなければNATOのような地域的な安全保障組織とともに、介入をするようになった。欧米諸国のアフリカの安全保障問題への関与が「能力構築支援」へと収斂していったのも、モガデシュの衝撃によって、アフリカのPKOはアフリカ人に任せる、という理解が固まったためだ。

 こうした流れの中で期待されたのは、地域の有力諸国の役割だ。「アフリカの角」の具体的な文脈で言えば、ソマリアに隣接するエチオピアとケニア、さらには大湖地域のウガンダやルワンダといったアフリカ諸国が、大きな役割を担う仕組みができあがった。

 ソマリアでは、1990年代の軍閥が群雄割拠する戦国時代のような混乱から、イスラム原理主義勢力の「ICU(イスラム法廷会議)」の勢力が台頭した。ほぼ同時期に軍閥同士の激しい内戦を経験していたアフガニスタンで、イスラム原理主義勢力のタリバンが台頭したのと酷似した流れだ。タリバンの背後にはパキスタンが存在したが、ICUの背後には「アフリカの北朝鮮」と称される特異な独裁国家エリトリアがいたとされる。両方の場合において、イスラム原理主義勢力は、首都を制圧して厳格なイスラムの戒律にしたがった統治を行った後、国際介入部隊によって、首都から追い払われた。ただし地方部を根城にした確固たる武装勢力としては残存し続けた。

 ソマリアとアフガニスタンの歴史の違いは、アフガニスタンではアメリカを中心としたNATO構成諸国の国際介入部隊が展開したのに対して、ソマリアではアフリカの周辺国の国際介入部隊が展開した点だ。2006年6月に首都モガデシュを制圧したICUを半年後に追い払ったのは、エチオピア軍であった。

 その後、モガデシュではソマリア連邦政府が樹立されたが、ICU系の勢力もアル・シャバブと呼ばれる武装勢力へと展開しながら残存し、内戦が続いた。国際介入部隊はアフリカ連合(AU)の国際平和支援ミッションとして位置付けられることになり、2007年にAMISOM(アフリカ連合ソマリア・ミッション)が成立し、エチオピア軍はAMISOMに吸収された。さらにAMISOMの主要構成部隊を提供したのは、ケニアやウガンダ、そしてジブチ、ブルンジ、シエラレオネであった。

 ただしそれでも、アル・シャバブは、ソマリア南部を支配地域に置き、勢力を伸ばした。首都モガデシュもたびたび脅かして、ソマリア連邦政府を支援するAMISOMと交戦を繰り返した。アメリカは、直接的な交戦国とみなされることを避けながらも、ほぼ公然とAMISOMを後方から支援した。

AMISOMの軍事作戦室内でブリーフィングを受ける筆者(AMISOM提供)

AMISOM/ATMISへの支援を整理したいEU

 AMISOMは、「グローバルな対テロ戦争」がアメリカ主導で進められていた時期に合致し、広範な国際社会の支持を得て設立された。国連安全保障理事会は、2007年2月、国連憲章第7章の強制措置の権限をAMISOMに授権する決議を採択した。

 1991年湾岸戦争において国連安保理が多国籍軍に強制措置の権限を付与して以来、国連安保理が、非国連組織の活動に強制措置の権限を付与する事例が、多々生まれた。しかし、AMISOMほど大規模な駐留部隊を伴うミッションに対する授権は稀である。

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
篠田英朗(しのだひであき) 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程、ロンドン大学(LSE)国際関係学部博士課程修了。国際関係学博士(Ph.D.)。国際政治学、平和構築論が専門。学生時代より難民救援活動に従事し、クルド難民(イラン)、ソマリア難民(ジブチ)への緊急援助のための短期ボランティアとして派遣された経験を持つ。日本政府から派遣されて、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)で投票所責任者として勤務。ロンドン大学およびキール大学非常勤講師、広島大学平和科学研究センター助手、助教授、准教授を経て、2013年から現職。2007年より外務省委託「平和構築人材育成事業」/「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」を、実施団体責任者として指揮。著書に『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)、『集団的自衛権の思想史―憲法九条と日米安保』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築入門』、『ほんとうの憲法』(いずれもちくま新書)、『憲法学の病』(新潮新書)など多数。
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