兵役を逃れ国境を越えるウクライナ人男性たちの選択――被侵略国が直面する兵士不足の苦悩

執筆者:村山祐介 2024年5月2日
エリア: ヨーロッパ
戦没者の墓地にはウクライナ国旗が掲げられていた=2024年2月21日、ウクライナ北部キーウ、村山祐介撮影
ロシア軍による全面侵攻開始から3年目に入ったウクライナで、兵役をめぐる動揺が続いている。兵員不足で政府が動員を急ぐなか、家にこもったり、密出国したりするなど兵役適齢期の男性に不安が広がっている。

 3月19日朝、ウクライナと国境を接するルーマニア北部シゲトゥ・マルマツィエイは冷たい風が吹いていた。国境を分かつ幅数十メートルのティサ川の流れは速く、川面はところどころ波打っている。この日の最低気温はマイナス1度。手を触れると、雪解け水で濁った川は氷のような冷たさで、指先にピリッとした痛みを感じた。

 ルーマニア国境警察のブラド・マルキシュ巡回班長(24)は言った。

「ウクライナからの密入国者が川を泳いで渡るのはほとんどが夜です。危険ですが、彼らはウクライナ当局に見つかって兵役に送られないよう、なるべく目につかないようにしていますから」

 ルーマニア北部の366キロに及ぶウクライナとの国境は、ティサ川や標高2000メートル近いマラムレス山脈と重なる険しい地形だ。かつて密入国はほとんどなく、たばこの密輸入摘発が主な任務だったという。状況は侵攻後に一変し、総動員令で出国を禁じられた18歳から60歳までのウクライナ人男性の密入国が急増した。国境警察はヘリコプターや高台の暗視装置付き特殊車両から24時間態勢で監視している。

相次ぐ遭難者

 ユリア・スタン報道官(42)によると、2年間で摘発した密入国者は9000人を超えた。2023年にいったん減ったものの、動員への不安が高まった24年に入って再び増え始めたという。英BBCは23年11月、ルーマニアやモルドバなど周辺国に逃れたウクライナ人男性が2万人近くに上る一方、逃れる途中でウクライナ当局に見つかって摘発された男性も2万1000人に達していると報じた。ウクライナ国境警備隊は4月29日、国営通信社ウクルインフォルムに対し、連日約120人の出国を阻んでいることを明らかにした。

 ルーマニアに密入国して拘束されても、EU(欧州連合)がウクライナ避難民に初めて適用した「一時保護措置」で罪には問われず、1日か2日で釈放される。その後は避難民として滞在資格を得て働いたり、医療や教育を受けたり、ドイツやオランダに行って避難先の家族と再会もできる。国境を越えさえすれば自由と安全が手に入る。

 だが、ときに命の代償を伴う。ルーマニア北部では侵攻以来、川で10人、山でも7人の遺体が見つかった。ウクライナ国境警備隊によると、隣国への密出国による死者は計約30人に達しているという。

 スタン氏はスマホの画面を示した。この前日、標高1700メートルの雪山でウクライナ人男性(22)をヘリコプターで救助した際の様子が映っていた。

 捜索に出た地元山岳救助隊のフェイスブックへの投稿によると、男性は午前2時ごろ国境を越え、その1時間後に緊急通報した。雪山用の装備はなく、両手両足とも軽度の凍傷になっており、スマホのバッテリーは2%しか残っていなかったという。

 なぜ危険な雪山にまで足を踏み入れるのか。そう尋ねると、スタン氏は首をすくめた。

「ウクライナ側はなだらかで道路もあってアクセスしやすいのですが、ルーマニア側は標高が高くて険しく、雪が1.5メートルも積もっています。こちら側の状況を知らないのです」

狭まる動員包囲網

 私はこの前日までの約1カ月、ウクライナ北部のキーウやブチャ、スームィ、北東部ハルキウを回りながら、兵役適齢期の男性たちに話を聞いた。ウクライナ取材は侵攻以来5度目で通算6カ月となるが、男性たちの様子は明らかにこれまでと違っていた。

 いつも通訳をしてもらっていたキーウとハルキウの男性はともに、駅で待ち合わせるのを嫌がった。徴兵担当者との遭遇を恐れていたのだ。召集令状を渡されると、指示通りに徴兵事務所に出向かなければ罰金や刑事罰の対象になる。ネット上では、兵士が兵役を拒む男性を強制的に連行する動画が出回っており、男性たちは神経をとがらせていた。

 彼らが外出時に欠かせないという「キーウの天気」というタイトルのSNSテレグラムのチャンネルを見ると、太陽や雨雲のアイコンが並んでいた。地名や道路名のあとに、「快晴」「午前11時現在は雨」などと記されている。検問や徴兵担当者の動向を天気にたとえて情報共有しているのだ。登録者は6万8000人に上っていた。

 テレグラムには国外脱出を請け負う業者の広告もあふれていた。

「国境を問題なく通過して動員を逃れることができます!」

SNSでは天気になぞらえて検問や徴兵担当者の動向が共有されていた=2024年2月24日、ウクライナ北部キーウ、村山祐介撮影

 健康上の理由で兵役が免除されたことを示す「ホワイト・チケット」と呼ばれる証明書の手配をうたう宣伝文句だ。費用は13万フリブナ(約50万円)で、十二指腸潰瘍の名目で7営業日以内に用意するという。国境施設を正規に通って出国できた証拠として、ポーランドの入国スタンプがついたパスポートの画像まで投稿されていた。

 兵役を免除する代わりに賄賂を受け取る汚職も横行し、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領は23年8月、すべての州の徴兵責任者を一斉に解任し、検察が徴兵事務所や健康診断を担う医療機関を捜索した。ウクライナ国境警備隊はこれまでに450の手引き業者を摘発した。

 士気の高いウクライナ軍は当初、各地で領土を奪還した。その後戦線は膠着し、激戦地バフムートやアウジーイウカなどの防衛戦で兵力は消耗し、反転攻勢で死傷者は膨れ上がった。ゼレンスキー氏は23年12月、軍が最大50万人規模の動員を求めていると言及し、24年2月には自軍兵士の死者数を3万1000人と初めて明かした。負傷者も多く、兵員を補充しなければ戦線は維持できない。動員が急務になるなか、ゼレンスキー氏は4月、戦闘任務に動員できる年齢の下限を27歳から25歳に引き下げる 法案と、軍当局への個人データの登録や関連書類の常時携行を義務付ける法案に相次いで署名。国外にいる18歳から60歳までの男性へのパスポート発行などの領事サービスを一時停止するなど、動員対策を矢継ぎ早に打ち出した。

 包囲網を狭めていく政府に対する不信感も高まっていた。

 キーウ中心部の独立広場を訪ねると、来るたびに増えていた戦没者を弔う小旗が、もはや地面が見えないほど芝生をびっしりと埋め尽くしていた。

 自営業アルトゥル・イアスティブリアクさん(24)は「恐怖という感情があったのは昨年までです。いまはただただ疲れ果てています」と漏らすと、政府への憤りをあらわにした。

「政府は間違った方向に進んでいます。あらゆる手で人々を戦場に押し込もうとしていて、私も身の危険を感じています。みんな外国に行く機会に目を向けています」

彼自身はどうかと尋ねると、「考えたことはあります」と苦笑いを浮かべた。

「でも今はチャンスがありません。川で死ぬリスクがあります」

キーウ中心部の独立広場では、戦没した兵士の遺影に口づけする女性の姿もあった=2024年2月22日、ウクライナ北部キーウ、村山祐介撮影

身をひそめる兵役適齢期の男性たち

 北東部ハルキウのベッドタウン、サルティフカを訪ねると、新たな破壊の傷痕があった。

 集合住宅の8階から1階までの二列分の壁がほぼ崩れ、本棚やソファ、衣類など室内がむき出しになっている。1月23日のミサイルによる一斉攻撃で壊された226棟の一つだった。

「もう慣れてしまって、驚くこともなくなりました」

 近くに住むデザイナー、イブゲニー・スニッツアさん(24)は表情を変えずに言った。徴兵年齢が近づいていることを聞くと、銃を持つのではなく、自分にできる形で貢献したいと訴えた。

「私には人を殺せないので兵士にはなれません。でも軍を支えることなら何でもします。自分にとって何が一番大切かは、良心に照らしてそれぞれの人が決めることだと思います」

 ロシアとの国境まで約30キロにある北部スームィは数日おきに着弾があり、死傷者も出ていた。人通りがまばらな繁華街のカフェバーでバーテンダーをしているダニール・バブセンコさん(19)は、「兵士が来ると、通りから男性の姿だけが消えるんです」と言った。

「若い男性の多くは動員を恐れて家に閉じこもったり、田舎に移り住んだりしています」

戦争が長引けば、バブセンコさんもいずれ徴兵年齢を迎える。

「僕は大学生になるつもりです。専門的に学ぶためでもありますが、身の安全も理由です。その後は体育教師になります。教師は徴兵されないので、いま多くの人たちが考えているんですよ」

実際、徴兵が猶予される大学生になる中高年が激増していた。地元調査報道サイトNGL.mediaによると、21年に約3000人しかいなかった30歳以上の男性の入学生は、侵攻が始まった22年に約4万5000人、23年には約7万1000人に達し、侵攻前の23倍になっていた。この年、若者を合わせて約11万人が大学を兵役逃れに利用した可能性があるという。

 侵攻直後の22年3月に私が初めてウクライナに来たとき、男性の多くは自ら徴兵事務所に出向き、軍歴がなくて相手にされなかったと憤っている人もいた。その一人だったキーウの設計士キリル・ダビドフさん(35)は「当時多くの人たちは戦場の現実を知らず、国際社会の支援も大きな励みになっていました」と振り返る。

 だがその後の2年間でほとんどの人たちが出征した身内や知人の戦死を経験し、武器が足りないがゆえに戦死する最前線の惨状を知った。ダビドフさんは言った。

「ウクライナは一人一人が自分で判断する民主主義国家です。独裁国家のロシアなら動員は簡単ですが、米国でも日本でも、民主主義国ならどこでも同じ問題が起こるはずです」

ミサイル攻撃で破壊された集合住宅を自転車の少年たちが通り過ぎた=2024年3月2日、ウクライナ北東部ハルキウ・サルティフカ、村山祐介撮影
カテゴリ: 軍事・防衛 政治
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執筆者プロフィール
村山祐介(むらやまゆうすけ) ジャーナリスト。1971年、東京都生まれ。立教大学法学部卒。1995年、三菱商事株式会社入社。2001年、朝日新聞社入社。2009年からワシントン特派員として米政権の外交・安全保障、2012年からドバイ支局長として中東情勢を取材し、国内では経済産業省や外務省、首相官邸など政権取材を主に担当した。GLOBE編集部員、東京本社経済部次長(国際経済担当デスク)などを経て2020年3月に退社。米国に向かう移民を描いた著書『エクソダス―アメリカ国境の狂気と祈り―』(新潮社)で2021年度の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。2019年度のボーン・上田記念国際記者賞、2018年の第34回ATP賞テレビグランプリのドキュメンタリー部門奨励賞も受賞した。
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