ユリア・ナワリナヤは「コラソン・アキノ」になれるか?――ロシア女性の反体制運動に注目

執筆者:名越健郎 2024年3月19日
エリア: ヨーロッパ その他
「知性、冷静さ、冷徹な決断力、現実主義、スター性」を兼ね備えた女性とも評されるユリア・ナワリナヤ氏[2024年2月28日、仏ストラスブールの欧州議会にて](C)EPA=時事
ナワリヌイ氏の死後、妻ユリア氏の動向に注目が集まっている。フィリピンでは1980年代、夫を殺害された野党指導者の妻が独裁政権を倒して大統領になったコラソン・アキノ氏の例もある。主要な男性活動家が次々に投獄されているロシアでは、ユリア氏に限らず女性の反体制運動家の影響力が増すかもしれない。

 ロシアの反体制指導者、アレクセイ・ナワリヌイ氏が2月16日に北極圏の刑務所で急死した後、ユリア夫人(47)は「夫の遺志を継ぐ」と反プーチン運動の先頭に立つ意向を表明した。

「普通の主婦」を標榜していたユリア氏は次第に夫の活動を支援するようになり、「ロシア野党のファーストレディー」と呼ばれた。しかし、亡命生活での活動は容易ではなく、5選を決めた鉄壁のプーチン体制は揺るぎそうもない。

 とはいえ、男性活動家が次々投獄される中、今後は女性が反プーチン運動の中核を担う可能性がある。人口比で男性より圧倒的に多いロシアの女性が、独裁体制に風穴を開けられるかが注目点だ。

「普通の主婦」が大統領に

 普通の主婦が夫の弔い合戦に勝利して政権を奪取した例は、1980年代のフィリピンでフェルディナンド・マルコス大統領の独裁体制を倒したコラソン・アキノ元大統領が知られる。

 1983年8月、野党指導者だったベニグノ・アキノ元上院議員が帰国直後、マニラ国際空港の滑走路で軍幹部に銃殺されると、コラソン氏は亡命先の米ボストンから5人の子供を連れて帰国した。

 当時、時事通信のバンコク特派員だった筆者はマニラで取材したが、帰国直後に自宅で深夜の記者会見に臨んだ夫人は「棺の中の夫は微笑んでいた」と述べ、涙を見せず、静かな闘志を燃やした。夫人は頭部の銃弾痕が残る遺体を一般公開した。10日後の葬儀には推定200万人が葬列を見送り、社会に反マルコス機運が充満した。その翌日、ソ連軍戦闘機がサハリン領空を侵犯した大韓航空機を撃墜、269人が死亡する事件が発生し、メディアの関心はソ連に移った。

 夫人は86年2月の大統領選に出馬。マルコス大統領との一騎打ちとなったが、政権の得票不正操作が判明し、数百万の民衆が決起。軍指導部も寝返って野党に加担し、マルコス大統領は米ハワイへ亡命、コラソン氏が大統領に就任した。その背後でレーガン米政権が動き、無血革命をアレンジした。

 日本人が好む浪花節的な政権奪取劇は、「ピープル・パワー革命」と大々的に報道され、コラソン氏は86年、米誌「タイム」の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。

カリスマと魅力を持つ人物

 ウラジーミル・プーチン大統領のスピーチ・ライターから反体制派に転じたアッバス・ガリャモフ氏はブログで、ユリア・ナワリナヤ氏について、「政治家の妻から政治家になり、カリスマと魅力を持ち、夫にとって代わり得る人物」とし、反マルコス運動の先頭に立ったコラソン氏に似ていると指摘した。

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カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
名越健郎(なごしけんろう) 1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長、編集局次長、仙台支社長を歴任。2011年、同社退社。拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学特任教授を経て、2022年から拓殖大学特任教授。著書に、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『ジョークで読む世界ウラ事情』(日経プレミアシリーズ)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
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