難民問題とドイツ(3)「安全保障会議」は「反NATO派」に乗っ取られた?

執筆者:佐瀬昌盛 2016年7月26日
ドイツではすこぶる評判が悪かったコンビ(C)EPA=時事

 

 前回に予告しておいた「ミュンヘン国際安全保障会議」(Münchner Sicheheitskonferenz)」について、その歴史と活動の概略をまず眺めることにしよう。

 それは、1963年の誕生当時には「ミュンヘン国防知識会合」(Internationale Wehrkunde-Begegnung)を名乗ったが、当初はさほど国際的に注目されたわけではなかった。それでも当時の出席者の中には、米国のヘンリー・A・キッシンジャー・ハーバード大学教授(当時)やヘルムート・シュミット・ハンブルク市・内相(当時)の名が見出せた。ともに後年、米・西独両国の外交・安全保障政策を担うことになる人物である。

 1980年代中期に東西冷戦が絶頂に登り詰めると、それまで比較的地味な存在だったこの国際会議は、次第に世界主要国の注目を集め始める。当時の西側陣営では米ソ間の戦略核および中距離核交渉の行方をめぐる議論が白熱していたから、ミュンヘンでの会合でもこの問題をめぐり活発な議論が交わされた。

 会議の名称が今日の「国際安全保障会議」へと変更されたのは、1990年2月の第28回会議においてである。1989年には「国防知識会合」は開かれなかった。同年12月にはブッシュ米大統領とゴルバチョフ・ソ連大統領(ともに当時)が地中海・マルタ島で冷戦の終結を確認するという歴史的大転換が待ち受けていたので、そのあおりを食らったものと思われる。しかし、ポスト冷戦期においてはエリツィン露大統領がNATO(北大西洋条約機構)の加盟願望の持ち主であったこともあり、モスクワが「国際安全保障会議」にどのようなアプローチをなすであろうかを西側は強い関心をもって眺めていた。

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執筆者プロフィール
佐瀬昌盛 防衛大学校名誉教授。1934年生れ。東京大学大学院修了。成蹊大学助教授、防衛大学校教授、拓殖大学海外事情研究所所長などを歴任。『NATO―21世紀からの世界戦略』(文春新書)、『集団的自衛権―論争のために』(PHP新書)など著書多数。
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