自衛官の職業意識:「殺る、殺られる」覚悟

林吉永
執筆者:林吉永 2016年10月10日
エリア: 日本

 日本古代の徴兵は主として農民が対象であった。日本最古の戸籍『庚午年籍』には、兵士が指定されている。663年、百済国再興の援軍として4万2千人が海外派兵され、朝鮮半島の白村江で戦い敗れた。戦後、唐の軍が朝鮮半島に駐留したため、防人が僻地の前線に置かれ対峙した。『万葉集』に収められている防人の歌八十数首は、遠隔地での命懸けの防衛任務よりも、故郷の家族、恋人を想う歌である。他方、国や天皇への使命感に満ちた歌は、大伴家持の作、編纂とする研究が多い。

希薄だった国家意識

 近代日本において徴兵制が布かれる(1873年)まで、戦闘員は武士であった。明治維新直後の統計では、「武家」の総人口比が約7%、その内、成年男子は総人口比2%弱である。さらに、命懸けで幕末期の時代を動かしたのは、その武士の一部であって、少数の華族やスポンサー役の商人が加わったに過ぎない。しかも、総人口の90%(うち農民80%)は、非戦闘員の「平民」であり、維新の傍観者であった。
 
 明治に入り、平民の成人男子は、徴兵され、天皇を頂く「国軍の兵士」となった。日露戦争では、一個連隊に相当する数の徴兵対象兵士が逃亡するなど、平民の国家意識は希薄であった。このような背景があって行われた「ご真影」の掲額・拝揚、「教育勅語」と「軍人勅諭」の掲額・暗誦は、「立憲君主国家日本の国民意識」発揚と、「国に殉ずる国軍兵士」の使命感高揚を促し、「身命を賭す」ことが無意識化に到る時代精神を作り上げ「大東亜戦争」まで続いた。
 
 戦後、日本国民の国家意識を衰弱させることになった占領政策と敗戦のトラウマは、「一億総玉砕」の呪縛から「反戦・平和・反軍」という時代精神への転換を導いていった。このように、日本の国民には、自ら身命の犠牲を払って国を守る意識が強く現れる歴史を見つけるのは難しい。

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執筆者プロフィール
林吉永
林吉永 はやし・よしなが NPO国際地政学研究所理事、軍事史学者。1942年神奈川県生れ。65年防衛大卒、米国空軍大学留学、航空幕僚監部総務課長などを経て、航空自衛隊北部航空警戒管制団司令、第7航空団司令、幹部候補生学校長を歴任、退官後2007年まで防衛研究所戦史部長。日本戦略研究フォーラム常務理事を経て、2011年9月国際地政学研究所を発起設立。政府調査業務の執筆編集、シンポジウムの企画運営、海外研究所との協同セミナーの企画運営などを行っている。
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