シリーズ:中国「見そこない」の歴史(1)米川正夫の場合

樋泉克夫
執筆者:樋泉克夫 2018年2月27日
自伝も出版されている(1997年)

 

『目覚めた獅子』(米川正夫『世界紀行文学全集』修道社 1971年)

 中国崩壊論が、中国の抱える問題点を正しく抉っているのか。はたまた、中国崩壊論は崩壊した、との指摘が中国の現状を捉えているのか。いずれも不明だが、双方の議論の背景に、我が国における中国との向き合い方という積年の難題が潜んでいるように思える――と、年頭に際して綴っておいたが、改めて日本人の中国認識という問題を考えてみたい。

 本来は幕末から扱うべきだろうが、取りあえず「新中国」と呼ぶようになった中華人民共和国建国以降に訪中した人々の紀行を拾い読みしながら、シリーズとして「中国について見そこないの歴史」(安藤彦太郎『現代中国事典』講談社現代新書 1972年)を振り返ることとする。

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執筆者プロフィール
樋泉克夫 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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