国際人のための日本古代史 (57)

「三輪山」:天皇と伊勢神宮の謎を解くカギ

執筆者:関裕二 2014年12月15日
タグ: 日本
エリア: アジア

 皇室にゆかりの深い神社といえば、伊勢神宮が思い浮かぶが、大神神社も負けてはいない。「ヤマト建国の地=纏向(まきむく)」に隣接する由緒正しい神社だ。

『日本書紀』の捏造

 三輪山はお椀型の典型的な神奈備山(かんなびやま、神の鎮座する山)で、ヤマトを象徴する霊山だ。ヤマト政権は、その三輪山麓で産声を上げ、7世紀に至るまで、天皇家の大切な霊山だった。たとえば天智天皇が近江遷都を敢行した際(667)、額田王は三輪山との別れを惜しみ、「懐かしい三輪山を、どうか隠さないでほしい」と、雲に願う歌を作っている(『万葉集』巻1-18)。また天智天皇も、三輪山の神を近江宮のそばに勧請(かんじょう)している。これが日吉大社(滋賀県大津市)であり、王家と三輪の神は、切っても切れない関係にあったことがわかる。

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カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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