フランス国民戦線「父娘戦争」(下)叔母と姪の「微妙な関係」

国末憲人
執筆者:国末憲人 2015年4月27日
エリア: ヨーロッパ

 1974年、大統領選に立候補した父ジャン=マリー・ルペンの得票率は、わずか0.74%だった。1981年の大統領選では、立候補に必要な地方議員の署名さえ集められなかった。この頃までは泡沫に過ぎなかった国民戦線が大きく飛躍したのは、1980年代半ばである。主張の軸足を反共から反移民に移し、大衆に広く受け入れられるようになった。1981年に誕生したミッテラン左派政権が行き詰まり、左翼に対する幻滅感が広がったことも後押しした。比例代表制で実施された1986年の総選挙で、国民戦線は一気に35人の当選者を出した。急成長ぶりを見た右派政党からは、国民戦線との連携を目指す動きが顕在化した。

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執筆者プロフィール
国末憲人 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員を経て、現在はGLOBE編集長、青山学院大学仏文科非常勤講師。著書に『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)など。
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