1974年、大統領選に立候補した父ジャン=マリー・ルペンの得票率は、わずか0.74%だった。1981年の大統領選では、立候補に必要な地方議員の署名さえ集められなかった。この頃までは泡沫に過ぎなかった国民戦線が大きく飛躍したのは、1980年代半ばである。主張の軸足を反共から反移民に移し、大衆に広く受け入れられるようになった。1981年に誕生したミッテラン左派政権が行き詰まり、左翼に対する幻滅感が広がったことも後押しした。比例代表制で実施された1986年の総選挙で、国民戦線は一気に35人の当選者を出した。急成長ぶりを見た右派政党からは、国民戦線との連携を目指す動きが顕在化した。
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