国際人のための日本古代史
国際人のための日本古代史(68)

天武天皇ゆかりの「藤原京」に脚光が当たる意義

関裕二
執筆者:関裕二 2015年11月9日
カテゴリ: 文化・歴史
エリア: 日本

 平成27年(2015)10月9日、奈良文化財研究所は発掘中の藤原宮跡大極殿跡(奈良県橿原市)で、階段遺構が発見されたと発表した。「想定外の大発見」だと、騒がれている。
 階段といっても、石組みが出てきたわけではない。宮殿の長方形の敷地正面外側に、階段の跡と思われる出っ張り部分の痕跡が検出されたのだ。
 なぜこれが大発見かというと、まず大極殿は、天皇が政治を執り行う場所で、いわば国家の中心、心臓部にあたっていること。その復元の手がかりが見つかったことが大きい。
 また、平城京(奈良市)の大極殿の建物が、藤原宮から移築されたのではないかと考えられていたが、それを実証する材料にもなった。
 そして、無視できないのは、藤原京(694~710。南北4.8キロ、東西5.3キロ)が、日本の国家造りの基礎であり、設計図だったことだ。
 藤原京は日本初の都城で、飛鳥時代、律令制度の整備のために築かれた。徴税のための「斗(ます)」のような役割も担った。各地の民の戸籍を作り、頭数に応じて農地を分配し、収穫の一部を取り立てようという税制の、基礎となる区割り(条里)の「起点」となったのが、都城だった。すなわち、碁盤の目の「条坊」をともなった都の出現は、画期的だったのだ。
 ただし、藤原京には今なお解けぬ謎が横たわっている。

執筆者プロフィール
関裕二
関裕二 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』(以上、新潮文庫)、『伊勢神宮の暗号』(講談社)、『天皇名の暗号』(芸文社)など著書多数。
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