クリントンの「チャイナ・コネクション」(下)「中国政府」「軍」へのパイプ

執筆者:樋泉克夫 2016年8月26日
エリア: 北米 アジア
1992年、夫が大統領選初チャレンジで当選する直前のクリントン夫妻。この頃すでにチャイナ・コネクションにどっぷり浸かっていた(C)AFP=時事

 

 クリントン夫妻と李文正・李白父子の出会いは1981年のアーカンソー州リトルロックだが、次の舞台は1990年代初頭の福建省莆田県の海上に浮かぶ湄洲島に移る。

 1980年代末、台湾政府は政府高官や軍幹部を除く一般人の大陸への「探親旅行」を解禁した。「探親」は里帰りを意味するが、ことに本省人と呼ばれる台湾の人々の大半の祖先は閩南と呼ばれる福建省南部から明代以降に移住してきた。つまり本省人の先祖の墓の多くは福建南部に在る。「探親旅行」の解禁とは、本省人に先祖の墓参りを認めると同時に、大陸の親類縁者との往来を許すことを意味するわけだ。

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執筆者プロフィール
樋泉克夫(ひいずみかつお) 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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