取り残される飯館村「長泥地区」(下)「行き違い」の末の袋小路

寺島英弥
執筆者:寺島英弥 2016年12月27日 無料
カテゴリ: 政治 社会
エリア: 日本
11月6日、飯舘村飯野支所で開かれた政府の住民説明会(福島市、筆者撮影)

 11月6日の午後、福島市飯野町にある飯舘村飯野支所(避難中の仮庁舎)に長泥地区の人々が避難先から集まった。来年3月末の飯舘村の避難指示解除を前に、帰還困難区域の扱いをどうするか、政府が住民に説明する会合だった。鴫原さんら住民約50人の前に、後藤収・原子力災害現地対策副本部長と経済産業省、環境省、復興庁、内閣府などの担当者が顔をそろえ、飯舘村の菅野典雄村長と正副議長も出席した。

「復興拠点」の対象外に

 帰還困難区域は、原発事故被災地7市町村の計337平方キロを占め、避難者は約9000世帯、約2万4000人に上る。それ以外の区域では、飯舘村も含めて来年3月末までに避難指示解除が完了する予定だが、政府は今年8月31日、残る帰還困難区域についても「2021年度をめどに一部解除し、居住を可能にする」方針を決めた。ただし、帰還困難区域の全域ではなく、市町村ごとの実情に応じて一定範囲の「復興拠点」を設け、そのインフラ整備と除染を一体的に行う、という。
 そうした報道を知った鴫原さんら長泥住民の関心は、古里にどんな救済の可能性があるかだった。しかし、政府側は冒頭から「復興拠点は、長泥は当てはまるのがなかなか難しい、という意見もある」と微妙な表現で現実の厳しさを伝えた。政府側は「復興拠点」について、「(福島県浜通りを貫く)国道6号をはじめ、広域的なネットワークを構成する(常磐道など)主要道路を安心して通行または利用できるよう、除染などを行う」とも説明。高線量の地域にぽつんと孤立した所でなく、整備後の地域の発展が見込める、利便のいい場所であることを条件として示した。
 阿武隈山中にある長泥地区は国道6号からも常磐道からも遠い。住民の反応を先回りするように、政府側はさらに微妙な言い回しで続けた。「街の中心でない所に帰還困難区域がある時は、古里への帰還を望む住民の心を受け止め、国は柔軟に対応する」「『拠点』にこだわらず、住民の思いを受け止め、支える方針を考える」。

補償は打ち切りへ

 政府の説明を受けて、長泥地区の住民たちから質問の手が挙がった。「『復興拠点』のことは、村の中心部から離れた長泥は該当しない恐れがある、と村からも聞いた。それでは、どういう形の支援を考えているのか」「集落のまわりの里山を除染してほしい。原発事故では、住民が望んで避難したわけでない」「長泥を通る国道399号は中通りと浜通りを結んでおり、ここを除染しないと、将来、国も不便になる」「帰還のメドがまだ立たないのなら、(除染、避難指示解除とともに精神的慰謝料などが打ち切られる)他区域と一線を画す、充実した生活支援を続けてほしい」
 これに対し後藤副本部長は、里山除染の可能性や国道399号の広域交流の上での位置づけ、医療費などの無料化の継続、コミュニティー維持への支援メニューなどを検討したい――と語った。しかし、前述した原発事故の慰謝料750万円(1人当たり)と、帰還困難区域だけを対象にした「故郷喪失」への賠償としての700万円(同)を、長泥地区の住民に支払ってきたことを再確認するように説明し、「国として、これ以上の追加的な補償は考えていない」と打ち切りを明言した。住民に示されたのは、帰還困難区域での復興拠点づくりと除染、5年後の住民帰還可能という政府方針に長泥地区は現時点で該当せず、これ以上の補償も用意されないという見通しだった。
 避難区域住民への農林業の損害賠償は来年以降の3年分まで支給されるが、「その先はどうすればいい」「除染して長泥を返して」「放射能で汚したのは、そちらではないか」と憤る住民の質問は続いた。が、政府側からは「避難先での『なりわい』再開などへの生活支援を考える」「住民が地元で集まれる『ミニ復興拠点』も柔軟に考えていい」といった回答が繰り返されるだけ。「このまま古里が荒廃していくのを見るのがしのびない」と先の取材で語った鴫原さんは、「将来、住民の高齢化とともに維持管理が難しくなる集落の土地を、政府が買い上げてほしい」と訴えた。それならば、先が見えないまま取り残される不安を次代に残さぬ解決策になる、という思いだったか。政府側の回答はやはり「検討する」で終わった。 

忘れられた除染データ

「東京電力福島第1原発事故による避難指示が長泥地区を除き2017年3月末に解除される福島県飯舘村は、全域で避難指示が解かれる可能性もあった」との記事が、9月29日の河北新報に載った。「分断/泡と消えた『全域解除』」の見出しだった。
《村は14年秋、帰還困難区域に指定されていた村南部の長泥地区を居住制限区域に編入することを計画した。
 帰還困難区域は年間被ばく線量50ミリシーベルト以上が対象。長泥は当時、毎時4~5マイクロシーベルトに自然減衰し、局所的なホットスポットを除けば、基準を下回っていた。(中略)帰還困難から居住制限への区域見直しで除染に着手し、村内同時期の避難指示解除を目指すことが可能になる。村民間に生じた精神的「分断」も和らげられる-。村は国と協議をしながら再編を模索した。
 年末まで2度あった長泥の住民懇談会で反対は大きくなかったが、年明けに一変。「住民に十分な説明がないまま国と調整していた」と不信感が広がり、計画は公表前に撤回された。》
 この話は、11月6日の住民説明会でも触れられた。出席した菅野村長は「区域見直し案は、あの当時、国の了解ももらっていたが、最後の詰めで(長泥の住民が自らの選択で)『帰還困難地域(のまま)でいる』ということになった。かえすがえす、あの時にやれたら、という思いがある」と述べた。後藤副本部長もその経緯を認めながら、「再度の区域見直しはなく、避難指示解除の見込みがなければ除染もされない」と語るのみだった。
 これに対し、住民から「そんな説明は聞いていなかった」「村長から『居住制限区域への見直しを国にお願いすればできる』という程度の話はあったが、(国の除染は当然のことで)地元からお願いする話ではなかった」といった声が挙がった。菅野村長は「かなりの人が村の提案を聞いたはず。しかし、帰還困難区域のままでいい、という話もあった」と反論。その当時、住民の間に「一番線量が高いのに、区域が見直しになれば補償金が(他地区と同じに)減るのではないか」と不安の声もあったというが、真相はいまもはっきりしない。
 12月7日、あらためて福島市内の鴫原さんを訪ねた。この話について尋ねると、「村側は『長泥が選択した』というが、内々の話で、住民に選択を求めるような公の説明会があったわけではない。当時はいろんな問題が重なって動いており、住民感情も複雑で、お互いに話が通じる状況ではなかった。われわれは、国に頭を下げてお願いする以前に、原発事故の当初から国が除染してくれると考えていた。どこかで行き違いがあったと思うが、いまはその話を蒸し返しても仕方がない」。
 長泥地区は、農林水産省が12年2月から飯舘村で行った農地除染対策実証事業の実験地の1つだった。水田と畑計11ヘクタールで表土から5センチのはぎ取り除染が試され、報告書では土1キロ当たりの濃度約2万ベクレルの放射性セシウムが91%低減し、8.72マイクロシーベルト/時もあった空間線量も2.29へと74パーセント減った。鴫原さんの水田も含まれ、「いま測ると、空間線量は0.6ほど」という。効果はあったが、同年7月の帰還困難区域指定に続き、12月には時の民主党政権そのものが総選挙で倒れた。東北出身の当時の鹿野道彦農相らは「何年掛かっても復興に取り組む」と積極的だったが、政権交代で、除染・復興の可能性を示した貴重なデータも忘れられた。「それを生かすことができたなら」と鴫原さんは残念がる。
「いまは住民の約5割の世帯が福島市など避難先に家を建て、7割方は『もう帰れない』と諦めている。住民の絆をどう保っていけるか。そのためにも、長泥の除染を国に訴え続けていく」。行政区長としての悩みは深い。

この記事は役に立ちましたか?
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
この記事をSNSにシェアする
執筆者プロフィール
寺島英弥 河北新報編集委員。1957年福島県生れ。早稲田大学法学部卒。東北の人と暮らし、文化、歴史などをテーマに連載や地域キャンペーン企画に長く携わる。「こころの伏流水 北の祈り」(新聞協会賞)、「オリザの環」(同)、「時よ語れ 東北の20世紀」など。フルブライト奨学生として2002-03年、米デューク大に留学。主著に『シビック・ジャーナリズムの挑戦 コミュニティとつながる米国の地方紙』(日本評論社)、『海よ里よ、いつの日に還る』(明石書店)『東日本大震災 何も終わらない福島の5年 飯舘・南相馬から』(同)。3.11以降、被災地における「人間」の記録を綴ったブログ「余震の中で新聞を作る」を更新中。
comment:0
icon
  • 記事の閲覧、コメントの投稿には、会員登録が必要になります。
フォーサイトのお申し込み
注目記事ランキング
  • 24時間
  • 1週間
  • f
最新コメント
最新トピック
  • 新着
  • 高評価
  • コメント数順