「3.11」から6年の「被災地」「原子力村」「日本社会」

執筆者:吉野源太郎 2017年3月10日
タグ: 日本 原発
カバーパネルが完全に取り外された東京電力福島第1原子力発電所1号機建屋(c)時事

 

 6年前の3月11日、東日本大震災の被災地でも何人もの新しい生命が誕生した。元気に育った当時の赤ちゃんたちは、今春からもう小学生だ。

 真新しいランドセルを背負い、桜の下ではじけるような笑顔を見せるであろう彼ら。だがあの日、親の腕に抱かれ、寒風の下がれきの中をさまよった子供たちのすべてが故郷の小学校に入れるわけではない。

 被災地全体ではなお、2500人余りが行方不明のまま。生き残った人たちも多くが、今も続く過酷な暮らしに耐えている。なかでも東京電力福島第1原子力発電所の放射能汚染が深い傷跡を残す福島県では、県内11市町村に出された避難指示で8万人以上の住民が住んでいた土地を離れ、8市町村約5万6000人が6年たった今も、故郷に帰れないでいる。彼らは何の罪も責任もないこの不条理な運命を引き受け、その2割以上がすでに帰宅をあきらめて避難先に定住しようとしているという。

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執筆者プロフィール
吉野源太郎(よしのげんたろう) ジャーナリスト。1943年生れ。東京大学文学部卒。67年日本経済新聞社入社。日経ビジネス副編集長、日経流通新聞編集長、編集局次長などを経て95年より論説委員。2006年3月から2016年5月まで日本経済研究センター客員研究員。デフレ経済の到来や道路公団改革の不充分さなどを的確に予言・指摘してきた。『西武事件』(日本経済新聞社)など著書多数。
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