1991年12月25日、辞任表明演説直前のゴルバチョフ・ソ連大統領。この後、ソ連は崩壊した (C)AFP=時事
ソ連が崩壊して今年で30年。これを「ロシアの敗北」ととらえるプーチン大統領は、独立した15カ国との間の「旧ソ連圏の領土保全」合意を破り、着々と「失地回復」を進めている。

 ソ連邦の崩壊は、ミハイル・ゴルバチョフ大統領が国民向けテレビ演説で辞任を表明し、クレムリンのソ連国旗が降ろされた1991年12月25日とされる。これを機に、ソ連を構成した15の民族共和国が一斉に独立し、ユーラシアの地政学が激変した。

 筆者は当時、『時事通信』記者としてモスクワに駐在していたが、人工国家であるソ連崩壊は社会主義の敗退や民族自決に伴う歴史的な流れだったものの、ロシアの知識人の中には、ソ連解体を「ロシアの国土縮小」と嘆く人が少なくなかった。旧ソ連はロシア人が主導し、運営した「ロシア帝国」でもあったからだ。

 ウラジーミル・プーチン大統領もそうした発想の持ち主のようだ。プーチン氏は12月12日に国営テレビで放映されたソ連崩壊30周年の特別番組で、

「ソ連の解体は、大多数の国民にとって悲劇だった。ソ連という名のロシアの歴史が崩壊した」

 と述べ、ソ連崩壊により、ロシアは40%の領土、人口、経済を失ったと語った。

 正確には、ロシアがソ連解体で失ったのは、人口の約50%、経済規模の40%、面積の25%だった。プーチン大統領にとって、ソ連崩壊の喪失感は大きく、「ロシアの敗北」と映ったようだ。

 ソ連邦崩壊に関するプーチン発言では、「20世紀最大の地政学的惨事」という2005年の発言が知られるが、今回は、

「われわれはソ連の崩壊で全く異なる国になった。1000年にわたって構築されたものの多くが失われた」

「他の共和国に住む2500万のロシア人が突然ロシアから引き離された。これは巨大な人道的悲劇だ」

 との表現で、ソ連崩壊への悔恨を語った。

 ソ連崩壊時に締結された「独立国家共同体(CIS)」の設立協定は、旧共和国の境界を国境とし、CISの枠組みの中で領土保全、国境不可侵を尊重し、国境開放や移動の自由を保証すると規定した。1990年代は、アルメニア・アゼルバイジャン紛争などを除いてこの原則が順守された。

 ところが2000年に登場したプーチン政権は、ロシアの国力、軍事力復活を背景に、次第に旧ソ連諸国に干渉し、旧ソ連圏への膨張主義を強めた。本稿では、プーチン政権による「失地回復」の動きを探った。

ジョージア2地域の独立承認・保護領化

 ロシアが「旧ソ連圏の領土保全」という合意を最初に破ったのは、2008年8月のグルジア(ジョージア)戦争後だった。ジョージアの親米派・ミヘイル・サーカシビリ政権が南オセチア自治州駐留ロシア軍を攻撃すると、ロシアは2万人以上の地上軍をジョージアに派遣し、1カ月以上一部地域を制圧。当時のドミトリー・メドベージェフ大統領が、ジョージアからの分離を図る南オセチアとアブハジアの独立を認め、国家承認を行った

ジョージアの情勢(外務省HPより)

 ロシアはその後、両地域と「友好協力条約」を結び、ロシア軍を配備している。南オセチアの人口は7万、アブハジアは23万人で、ロシアは両地域住民にロシア国籍を付与するなど、事実上の保護領とした。

 2011年、ロシアとアブハジアは国境画定交渉を行い、ロシア側はアブハジア領の160平方キロをロシアに移管するよう要求した――とアブハジアの地元紙が報じた。ロシアが割譲を求めたのは、観光地のリッツァ湖やソチ冬季五輪スキー会場の付近で、アブハジア側は抵抗したが、その後の展開は不明だ。

 同様の帰属未定地域には、モルドバからの独立を図る沿ドニエストル地域がある。人口約47万人で、ロシアはエネルギーなど経済支援を行い、ロシア軍が駐留する。モルドバ系住民も多く、ロシアはまだ独立を承認していないが、将来的に併合もあり得るとみられている。

強まるベラルーシへの併合圧力

揺れ動く旧ソ連国家

 反政府運動で揺れるベラルーシへのロシアの併合圧力も強まっている。両国は1999年に名目的な連合国家創設条約を結んでおり、ロシア側は近年、共通の通貨や法制度、単一の税関、統一憲法など統合強化を求めてきた。

 独裁者のアレクサンドル・ルカシェンコ大統領は、独立が脅かされるとしてロシアの圧力をかわしてきたが、2020年8月の大統領選不正をめぐる国民の大規模な反政府運動でプーチン政権に支援を求めたことで、ロシアは統合プロセスを進めつつある。

 両国は2021年11月、連合国家創設条約に沿って経済や軍事面の統合を加速化させる合意文書に調印した。プーチン大統領は調印に際し、

「ロシアとベラルーシは真の兄弟だ。互いに協力して外敵と戦ってきた。この関係を永久に続ける」

 と述べた。

 その際調印された付属文書の一部は公開されておらず、統合の強化で密約があるとの憶測も出た。

 ベラルーシは面積20万平方キロで人口約950万人。民族的、文化的にロシアに近く、軍や治安組織はロシアとの関係が強い。ただし、独立から30年を経て、国家意識も強まっており、若者はロシアより欧州連合(EU)への統合を望んでいる。ロシアが併合に動けば、国民の激しい反発を呼びそうだ。

ウクライナの主権を制限

 ロシアは11月以降、ウクライナ国境地帯に10万人の兵力を展開し、侵攻説が憂慮されているが、ウクライナへの軍事圧力も旧ソ連で失地回復を図る戦略の一環とみられる。

 ロシアは、2014年のウクライナ危機クリミアを併合。本土とクリミアに橋を建設するなど、実効支配を着々と進めた。クリミアの人口は約200万人で、ロシアが公務員給与や年金を賄う。ただし、ロシアのクリミア併合を国際的に認知したのはニカラグアや北朝鮮程度で、旧ソ連諸国や中国も認めていない。(ルカシェンコ大統領が11月にロシア領と認める意向を示唆した)

 ウクライナ危機では、東部の親露派勢力が決起して独立を宣言し、現時点でドネツク州のほぼ半分、ルガンスク州の3分の1を実効支配している。ロシアは国境を挟んで経済・軍事援助を行い、約60万人の住民にロシア国籍のパスポートを発給した。

 東部の紛争は泥沼化し、1万4000人の犠牲者が出たが、ロシアはアブハジア、南オセチアと違って親露派支配地域の独立をまだ認めておらず、「ウクライナの国内問題」とする立場だ。支配地区をさらに拡大して独立承認するとの見方もある。

 プーチン大統領は7月に発表した「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」と題する長大な論文で、同じスラブ族であるロシア、ウクライナ、ベラルーシを「三位一体の国」と形容し、

「ウクライナの真の主権は、ロシアとのパートナーシップによってのみ可能だ」

 と強調した。

 ウクライナの西側陣営入りを許さず、もし加入するなら、その前にウクライナの領地を奪おうとする意思が読み取れる。

「ユーラシア同盟」は不調に

 こうして、プーチン政権がソ連崩壊で失った領域や影響力の回復を狙っているのは間違いない。

 プーチン氏は2012年に大統領に復帰した後、ユーラシアの新しい経済統合に向け、カザフスタン、ベラルーシと「ユーラシア経済同盟」を創設。EUをモデルにし、その後アルメニア、タジキスタン、キルギスが加盟した。

 しかし、ロシアが提案した統一通貨や人とモノの移動自由化は、カザフなどの反対で実現しなかった。中央アジアやベラルーシには中国が「一帯一路」を掲げて進出し、各国はロシアより中国との経済協力を重視し始めた。

 プーチン大統領は「ユーラシア経済同盟」創設について、

「これは何とかしてソ連を復活させようとする試みではない。過去に捨て去られたものを復活させたり、模倣するのは幼稚だ」

 と述べていた。旧ソ連の再興に限界があることもわきまえている。

 同様のプーチン発言では、

「ソ連崩壊を惜しまない者には心がない。ソ連の復活を望む者には頭がない」

 も知られる。

旧ソ連再編の行方

 長期政権のレガシーを意識し始めたプーチン大統領は、旧ソ連の再編を念頭に置いている模様だ。

 30年前のソ連崩壊時、ボリス・エリツィン政権は15の新興独立国の国境を尊重し、ロシアの領土膨張を自制した。1990年代の混乱したロシアには、領域を拡大する意思も能力もなかった。

 これに対し、国力を復活させたプーチン政権は、ソ連崩壊を「地政学的惨事」とし、ロシアの失地回復に乗り出した。これまでにクリミアをロシア領に編入したほか、ジョージア領のアブハジアや南オセチア、モルドバ領の沿ドニエストル、それにウクライナ東部のドネツク、ルガンスク両州の一部は将来、ロシア連邦に編入可能な態勢にある。

 さらには、ロシア・ベラルーシ連合国家創設条約を利用したベラルーシとの統合や、ウクライナでの親露派支配地区拡大を狙うかもしれない。その場合、ロシアの主導で旧ソ連圏を再編し、新連邦国家となる「ミニ・ソ連」の構築につながる。

 昨年の憲法改正は、「領土割譲」を禁止しているが、「領土拡張」には触れず、容認している。

 ただし、現代の世界で領土を拡張することは、膨大な犠牲やコスト、国際的反発に直面し、得策ではない。カーネギー財団モスクワセンターのドミトリー・トレーニン所長は2014年のウクライナ危機の際に書いた論文で、

「21世紀の大国の隊列に残るためには、ロシアは現在持っている以上の領土や人間を必要としない。既に持っているものを十分活用することに力を入れるべきだ」

 と書いていた。

 トレーニン氏は2013年、ロシアの領土が広すぎることから、日本を「アジアのドイツ」にするため、北方4島を50年後に日本に返還するよう求める論文を発表したが、愛国主義全盛の中、近年はそうした主張をしていない。

 ソ連崩壊30年で、プーチン氏が欧米型合理主義と大ロシア主義のどちらに傾斜するかが、今後のウクライナ情勢を左右する。

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