国際人のための日本古代史
国際人のための日本古代史(75)

その後の「ヤタカラス」と「山城」「丹波」

関裕二
執筆者:関裕二 2016年6月9日
カテゴリ: 文化・歴史
エリア: 日本

 2016年6月初旬、キリンカップサッカーが5年ぶりに開催された。日本サッカー協会(JFA)が開催する国際Aマッチだ。
 サッカー人気はJリーグ勃興期と比べれば下降気味だが、それでも熱心なファンが贔屓のJリーグチームの試合に駆けつけ、応援合戦をくり広げている。サッカーを国民的スポーツに引き上げた日本サッカー協会の手腕は、高く評価されてよいと思う。
 その日本サッカー協会のシンボルマークが3本足のヤタカラス(頭八咫烏)ということは、つとに名高い。紀伊半島(熊野)の山中で道に迷った神武天皇を導いた功労者である。
 ではなぜ、ヤマト建国の時代の霊鳥を選んだのだろう。Jリーグが発足した時、知人の全共闘世代の編集者は「これは国威高揚のための仕掛けにちがいない」と憤慨していたが、大きな勘違いだ。すでに昭和6年(1931)に、漢学者・内野台嶺(たいれい)の発案で、ヤタカラスに決まっていた。日本サッカー育ての親・中村覚之助の故郷が和歌山県那智勝浦町で、渚宮神社(熊野三所大神社=くまのさんしょおおみわしゃ=)の氏子だった。人望厚かった中村覚之助だったが、早逝してしまい、そこで大学の後輩の内野台嶺は、熊野のヤタカラスを協会のシンボルに用いたというのが、本当のところらしい。

この記事は役に立ちましたか?
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
この記事をSNSにシェアする
執筆者プロフィール
関裕二
関裕二 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』(以上、新潮文庫)、『伊勢神宮の暗号』(講談社)、『天皇名の暗号』(芸文社)など著書多数。
comment:6
icon
  • 記事の閲覧、コメントの投稿には、会員登録が必要になります。
フォーサイトのお申し込み
注目記事ランキング
  • 24時間
  • 1週間
  • f
  • 新着
  • 高評価
  • コメント数順