より「ランドパワー化」するロシア―海のチョークポイントを考察する―

執筆者:後瀉桂太郎 2024年5月7日
タグ: ロシア 自衛隊
エリア: アジア ヨーロッパ
黒海艦隊司令官、北方艦隊司令官を経て、2024年4月にロシア海軍総司令官に任命されたアレクサンドル・モイセエフ提督(右)は潜水艦乗組員の出身だ[昨年は北方艦隊司令官として対独戦勝記念日のパレードに参加=2023年5月9日、ムルマンスク]出典:Mil.ru, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons
ロシアがクリミア半島を重視する理由のひとつがセヴァストポリにある黒海艦隊基地だが、ウクライナ軍による攻撃を避けるため主力をノヴォロシスクへ撤退させた同艦隊は、戦争が終わるまで積極的な行動は取れない。また、バルト艦隊はフィンランドとスウェーデンのNATO加盟によって北海への出口を抑えられた。残る北方艦隊と太平洋艦隊も、冷戦期から日米欧が監視するチョークポイントで有事の作戦行動を厳しく制約され、それぞれが孤立する状況にある。結果としてロシアは、ウクライナ侵攻によってシーパワーのグローバルな展開の余地を縮小させ、より一層ランドパワー化している。

 ロシア海軍の主力は北方・バルト・黒海・太平洋の4艦隊からなり、主要基地としてムルマンスク(北方艦隊)、カリーニングラード(バルト艦隊)、セヴァストポリ/ノヴォロシスク(黒海艦隊)そしてウラジオストク/ペトロパブロフスク・カムチャツキー/ルイバチー(太平洋艦隊)などがある(そのほかカスピ海にカスピ小艦隊が存在する)。

 いうまでもなくロシアはユーラシア大陸の東西にまたがる広大な領土を有し、太平洋・大西洋の両方に直接アクセスできる。一方で多くの港湾は冬季氷に閉ざされるだけでなく、本稿で論じるように地理的・政治的要因によって各艦隊の行動には大きな制約がある。本来シーパワーの存在価値の大きな部分はグローバルな海洋へ迅速に展開できる、ということにあるが、近年ロシアのシーパワーは有事において戦域を超えた柔軟な運用が非常に困難となりつつある。そのことはロシアが軍事・安全保障の観点から見て、(歴史的にほぼ一貫してそうであったのだが)「よりランドパワー化しつつある」、ということを示している。

封じ込められた黒海艦隊とバルト艦隊

 1936年にスイスのモントルーで締結されたモントルー条約(Montreux Convention)第19条に基づき、交戦国の軍艦はトルコが一元的に管轄するボスポラス・ダーダネルス両海峡を通峡できない。2022年2月24日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は黒海に通じる上記両海峡におけるロシア船舶の通航停止をトルコに要請し1、同年2月28日にトルコはロシアのウクライナ侵略を公式に戦争と認めるとともにメヴリュット・チャブシオール外務大臣は同海峡における軍艦の通航を認めないことを表明した2

 したがってロシア・ウクライナ戦争がなんらかの形で終結し、トルコ政府の方針が変更されない限り、ロシア軍はいかに黒海艦隊が損耗したとしても増援艦艇を送ることはできない。ウクライナの対艦ミサイルやドローンなどの脅威にさらされるセヴァストポリの黒海艦隊主力は、当面の間ノヴォロシスクへ撤退して戦力温存に努める以外の策は少ない(蛇足であるが、トルコ政府はモントルー条約に基づく国家方針として「航空母艦は黒海沿岸国であるか否かに関わらず、トルコが管轄する海峡の通航を認めない」としている3。ロシア空母「アドミラル・クズネツォフ」はロシア軍において空母ではなく「重航空巡洋艦」に分類されているが、これはこのトルコ政府の方針から逃れるためであるとされている)。

 また、ロシア・ウクライナ戦争を契機として長らく中立を維持してきたフィンランドとスウェーデンが2023年4月と2024年3月にそれぞれ北大西洋条約機構(NATO)に加盟したため、バルト海沿岸部はほぼ完全にNATO加盟国によって構成されている。バルト海東方のフィンランド湾最奥に位置するサンクトペテルブルクはロシア第2の都市であるが、有事において海からのアクセスは完全に閉ざされる。そしてバルト艦隊が所在するカリーニングラードの飛び地もNATO加盟国に完全に包囲されており、北海への唯一の出口であるカテガット・スカゲラク両海峡はNATO加盟国にコントロールされる。したがって有事に際し積極的な作戦行動をとることは事実上不可能であろう。

 このようにロシア海軍の主力4艦隊のうち2つ、黒海艦隊はボスポラス・ダーダネルス海峡、バルト艦隊はカテガット・スカゲラク海峡というチョークポイント=要衝によって地理的・政治的に封じ込められている。海洋戦略理論に「現存艦隊」(fleet in being)という言葉があるように、軍事力は存在するだけで一定のパワーと意義を有しており、作戦行動がとれないことが直ちに軍事的意味を失う、というわけではない。また軍事的合理性や戦略的思考とは別の、歴史、文化あるいは政治的な理由からロシアがクリミア半島をはじめとするウクライナ領土略奪への意思を失うとは考えにくい。

 だがウクライナとの敵対関係と被攻撃リスクが続く限り、クリミア半島とそこにとどまる黒海艦隊の一部に軍事戦略上さしたる価値があるとも考えられず、NATOとの関係が改善しない限り、有事のバルト艦隊に作戦行動をとるような海域は存在しないことも明らかであろう。

孤立する北方艦隊と太平洋艦隊

 では残る2つ、北方艦隊と太平洋艦隊はどうだろうか。黒海・バルト両艦隊と異なり、この2艦隊にはロシア海軍の「虎の子」ともいえる戦略原潜(SSBN)・巡航ミサイル原潜(SSGN)ならびに攻撃原潜(SSN)からなる原潜部隊が配備されており、核抑止における第二撃能力(報復能力)を担保するという国家安全保障上きわめて重要な任務を帯びている。北方艦隊はロシア海軍の中では最大の戦力を有し、ムルマンスクにはロシア軍が有する原潜部隊のおよそ7割にあたるSSBN11隻中8隻、SSGN9隻中5隻、SSN10隻中8隻が配備され4、ムルマンスク沖合のバレンツ海は厳重に防備されたSSBNのパトロールエリアであり、「要塞」を意味するバスチョン(Bastion)とも呼ばれる。

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
後瀉桂太郎(うしろがたけいたろう) 海上自衛隊幹部学校 主任研究開発官 1等海佐。 練習艦隊司令部、護衛艦みねゆき航海長、護衛艦あたご航海長、海上自衛隊幹部学校研究部員、防衛省海上幕僚監部防衛課勤務(内閣府 総合海洋政策推進事務局出向)、統合幕僚学校主任研究官などを経て2023年3月より現職。 1997年防衛大学校国際関係学科卒業、2017年政策研究大学院大学 安全保障・国際問題プログラム博士課程修了、博士(国際関係論)。2018年オーストラリア海軍シーパワーセンター/ニューサウスウェールズ大学キャンベラ校客員研究員。著書に『海洋戦略論 大国は海でどのように戦うのか』(勁草書房、2019年)がある。
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