戦争を防ぐにはどうしたらいいか

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トピック作成者
nerilhair
2017年08月15日21時56分
終戦記念日の天皇陛下のお言葉をニュースで聞いて違和感を覚えました。「戦禍を繰り返さない」とお題目を壊れたレコーダーのように繰り返すことに意味があるのでしょうか?1941年12月初旬の追い込まれた状況で、開戦を決意するよりも、しないほうが困難だったと、当時の状況を勉強すればするほど痛感します。現在反戦を叫んでいる方々の大半は、当時の状況に置かれれば「開戦やむなし」と言ったのではないでしょうか?石油がない状況に追い込まれないようにするには、どうすればよかったのか?蘭印からの石油購入交渉を何故しなかったのか?インドシナ侵攻が米国の虎の尾を踏んだというが、何故それを読めなかったのか?そもそも明治時代に何故朝鮮に出ていかなければいけなかったのか?それは間違いだったのか?このような「なぜなぜ分析」を行い、スローガンではなく、戦争に至る道筋を未然に防ぐような政治、教育を行い、マスコミも建設的な議論を展開すべきだと思うのですが、皆さんはどう思われますか?

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    投稿者:AKBN232017年08月22日12時18分
    >今のアメリカは果たして日本の為に核での反撃をしてくれるのだろうか?
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    仮にそうなったら、恐らく通常兵器での反撃になると思います。それで十分です。北朝鮮を占領して韓国に併合する。そのときのためにも核反撃でない方がいい。通常兵器で十分です。(核の犠牲になった日本人の家族などはやり切れないでしょうが)、それが冷静な判断でしょう。

    但し、北朝鮮をそこまで育てた中露に対する懲罰を忘れてはなりません。中国の懲罰は今でもできます。中国製品を買わない。中国に観光に行かない。
    v
    投稿者:volk19692017年08月21日18時02分
    日本が北朝鮮から核攻撃を受けた際に米軍基地を避けるように攻撃されたなら、中国の動向が最も関係するとは思われるが、今のアメリカは果たして日本の為に核での反撃をしてくれるのだろうか?
    仮に実際には反撃してくれるとしても、北朝鮮の指導部が、異なる判断をした場合には抑止力にならないのでは?
    k
    投稿者:kumaso78132017年08月21日17時08分
    非常にシンプルな例えですが、私が小学生の頃のクラスの秩序はケンカが強い者の力の均衡によっていたように思います。強い者同士は殆どケンカはしません。ダメージを恐れるからです。弱い者もケンカをしません。勝てないからです。中間の者がケンカをし、強い者が分けて仲裁することで日々が過ぎていました。
    その結果、秩序が自然にできて、力の均衡が生まれていきました。
    現在の国際社会では、国連や国際法などによる秩序や仲裁が期待できない状況で、結局武力という腕力があるかどうかは大きなポイントになると考えます。アメリカ、ロシヤ、中国に戦争を仕掛ける国はないでしょう。日本もそこそこ強く、アメリカが後ろ盾かもしれないと思うとうかつに手を出しにくいところがあります。
    北朝鮮が核武装したところで、日本もアメリカの核ミサイルを相手に向けておけば、日本には打てないのです。古い「力の均衡理論」ですが、最も基本原理に近いものと考えます。
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    投稿者:ZC2017年08月21日00時53分
    思考停止をせずにあらゆる人・国家・事柄を理詰めで学習し続ける姿勢を執拗に追及することで,何が得られるのか.実際に体験した人を増やすことが必要でしょうか.念仏のように唱える「二度と繰り返しませぬから.」といった言葉はひとつの事実を語り継ぎ,帰納的思考の起点にするという重要な意味はありますが,その後の思考を担保はしていません.例えば,原爆製造研究のドライビングフォースはなんだったのか,投下に至る政治決断についての人間思考の分析,あらゆる人間研究のメッカに現在の広島がなっているようにも見えません.教員でも無意識ではあっても自らの権威にしがみつくために,他人に対して思考停止を行ったり,学習サイクルを増やすことではなく,自分の権力を拡張することに勤しむ輩も居るようですから,学習し続ける姿勢の拡大再生産が順調に進んでいるとは言い難いのではないでしょうか.北朝鮮の考え方というものは内心よくわからないと思っている日本人も多いとは思いますが,我々が接するのはせいぜいふんぞり返った朝鮮中央テレビのアナウンサーであり,ICBMの映像であり,人間集団としての考え方などの分析はあまり深まっていないので,「怖い」ということかもしれません.さらに,帰納的思考だけでなく,演繹的に多面的な総合理解も必要です.
     もちろん,我々の依って立つ政治体制,USAの政治体制の安定性にも目を向ける必要がありますし,北朝鮮から見た我々の姿も知る必要があります.情報伝達が高速化・多量化・日常化した時代に民主主義という体制がどうあるべきかといった話にもつながるのでしょうか.どんな情報とどんな人の組み合わせが疑心暗鬼や被害妄想を生み,どんな情報とどんな人が安心感や信頼につながるのか,この世のトラブルはほとんどは頭の中の一種の妄想が原因なのかもしれません.
    A
    投稿者:AKBN232017年08月20日11時23分
    主題は「第2次大戦のような大きな戦争」のことのようですが、あれは新興国「日独伊」に対する先進国英米仏蘭の戦いでした。第1次大戦後の状況をみれば、自由貿易の原則の下では、いずれは日独伊が経済的に英米側を凌駕する可能性がある。英米側に残された道は、自分が弱くならいうちの戦争、または経済封鎖だけ。
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    満州事変の後、対支要求XX箇条の時点で米が石油禁輸に踏み切れば、恐らく日本はそこで折れたでしょうが、英米は仏印進駐まで待ってパールハーバーに誘導した。うまく乗せられた日本の指導者がいかにバカだったかとも思いますが、相手が1枚上手だったのでしょう。
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    その頃と今では、全く様相が異なります。核兵器とミサイルの時代になって、「暴発」の被害の大きさは、格段に増しています。大きな戦争になる前に、(小さな戦争は覚悟の上で)仮想敵国を経済的に追い詰めるしかない。それおも、経済的に打ち負かされ軍事的にも下位に立たされて、隷属させられるのを受容しますか。
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    「右の頬を打たれたら左を差し出す」程度で済めばこんな楽なことはありませんが。
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    投稿者:imomushi2017年08月20日09時40分
    毎年行われる「終戦記念日」(本当は敗戦)。日本では他にも毎年行われる追悼慰霊行事がある。例えば日航機墜落事故の「御巣鷹尾根」。また、「福知山線列車事故」などを挙げられる。多くの人が一瞬にして命を失った。家族・友人・知人も簡単に忘れられるものではない。あの戦争でははるかに多くの兵士・民間人が命を落とした。残された者に出来ることは死者を慰霊し、忘れないこと。一個人の存在は、その個人の力量のみに依拠するものではなく、背景の存在によって一個人も存在し得ていることを思い起こす。

    このような行事は日本だけでなく、おそらく世界の国々でも様式・風習を異にするかも知れませんが、行われているのではないでしょうか。

    人間の命と関わる事。人の命と言えば:
    「共産主義」の名の下に命を失った人の数はどのくらいでしょうか。20世紀だけで何百万、何千万でしょうか。正確には分からないほど多くの無念の死。ソ連・中国・その他の共産圏。粛正、文化大革命、ポルポト、・・。
    わが日本でも、日本共産党の党首自らリンチ殺人を犯し(宮本顕治)、党員もまた革命の為と称し、警察官を殺害。奪った命の数が少なければ罪は軽いというものではない。
    このようにして命を失った人々に対し、その当事者(組織)は謝罪と慰霊を行っているのだろうか? 

    毎年慰霊行事を行う事に対し《違和感を覚える》人と、人の命を奪っておきながら「慰霊」など考えもしない者(組織)に対し「違和感を覚えない」人がいたとして、《人の命を軽んじて》いるのは、どちらでしょうか。死んでしまった人を「軽んじる方」が「軽んじない方」より進歩した社会(信教の自由の否定)であり、政治的に“高等だ”と認めなければならない社会の住み心地はどんなものでしょう?

    「壊れたレコーダー」のように「憲法9条」を繰り返し唱えれば、自衛隊不要で日本の平和は保証されますか?
    i
    投稿者:imomushi2017年08月19日09時32分
    《壊れたレコーダーのように繰り返す》・・なにやら聞き覚えのあるセリフですね。そう、「イスラム国」が日本人を殺害したときの日本共産党議員のセリフ。《壊れたテープレコーダーの様に(略)命を軽んじ続ける安倍政権。安倍政権の存続こそ、言語道断》。2年半ほど前のことですが覚えていますね。

    本トピックのお題は《戦争を防ぐにはどうしたらいいか》。作成者の意図を読み解くと「太平洋戦争を経験した日本が再び戦争しない国」にするにはどうしたらいいか。つまり「日本の戦争」だけが対象で、世界に戦争をする国はない、とう暗黙の(無意識の)前提が設定されています。

    それなら答えは簡単:

    ・自衛隊の廃止、日米安保条約の破棄、集団的自衛権など自衛隊に関連する法律を全て廃止すれば実現します。

    この目的にぴったりの政党があります。日本共産党。また、同党は「天皇制廃止」が主張ですから、その政権にすれば《壊れたレコーダーのような違和感を覚える“お題目”》を聞かずに済みます。

    ここで少々、気がかりな事態を想定する必要が生じます。中国が「尖閣諸島はオレのものだ」と言って来たとき、「あんな島でよろしければどうぞ」と差し上げたとします。次に「沖縄も返せ。元々オレのものだ」と説得されたのを見て、韓国も負けじと「対馬はオレの戦利品だ」と言いだし、それにも屈します。やがて、中国と朝鮮半島から「日本民族は戦争犯罪人だから征伐する!」と、大儀を掲げ、大挙して軍隊が押し寄せます。阿鼻叫喚の果てに、多くの日本人の生命と財産は失われましたとさ。
    その時、一部の日本人が包丁や竹槍で抵抗しました。さて、この不心得な日本人に向かって「戦争するな」と、どう説得しますか?

    日本人の《命を軽んじ》ているのは、どっちですか? 防衛費を《人殺し予算》と決めつける立場から見て、「包丁や竹槍」も人殺しの道具ですか?
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    投稿者:nerilhair2017年08月18日17時08分
    トピック作成者です。
    少し付け加えさせて頂くと、本件を懸念したのは、我が国が今後同じ過ちを繰り返さないようにしたい、という思いに加え、昨今の政治議論の中で、「戦争は避けるべき→戦力を持ってはいけない」「戦争は避けるべき→集団安全保障などとんでもない」という、短絡的かる情緒的なな言説がまかり通り、野党や左翼系マスコミだけでなく、一定数の国民はそれを信じていることがあります。言い換えると、nekosukiさんの言われるように、日本社会に「踏み込んだ思考が希薄」であることが、(戦争の防止に限らず)国民の安全を守るための正しい意思決定を阻害しているのではないか、と憂慮したものです。陛下の言葉をけなす意図はありませんので、念のため。
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    投稿者:naturalist2017年08月18日08時27分
    もう一つ付け加えさせて下さい。国の指導者の道義的思考の欠如です。「知らしむべからず寄らしむべし」で国民は目隠し状態でした。これは現在の北朝鮮や中国と何ら変わりませんでした。日本に民主主義が導入されたのは戦後のことです。それも国民が自ら勝ち取ったものではなく、アメリカによるものでした。それ故に日本人にとっての民主主義は何か軽薄なところがあるような気がしないでもありません。今後戦争を避けるためには、民主主義の重みをしっかりと受け止めて、権利と義務を国民自ら自覚し、責任を持って行動してゆく必要があります。
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    投稿者:naturalist2017年08月17日22時01分
    このトピックに関係のある記事を日経の電子版に見つけました。ファイナンスの面からのみる太平洋戦争という題目で投稿者は株式会社グッドバッチ 執行役員 村越悟氏です。
     日本が失敗した本質的な原因は「合理的な戦局判断を著しく欠き」、「情を重んじる人事により、適材適所を鑑みず」、「戦局の振り返りと客観的分析を行わなかった」ことに集約される。
     これはnekosukiさんが指摘された日本人の思考形態に通じるのではないかと思いました。
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    投稿者:nekosuki2017年08月17日12時35分
    戦争の惨禍を語り継ぐということは大事なことです。終戦記念日における「戦禍を繰り返さない」という天皇陛下のお言葉は大いに意味のあることです。
    しかし、思考がそこにとどまっている限り、本当に戦争の惨禍を語り継ぐということにはなりません。この時期におけるマスコミの論調は、歳時記のごとく、”戦争の惨禍を繰り返してはいけない”と繰り返すだけで、日本はどうして戦争に巻き込まれてしまったのか、始めた戦争が壊滅的な惨禍を被るまでどうしてやめることができなかったのか。こうしたことにまで踏み込んだ思考が希薄なことです。あえてそのことを避けているという印象さえ受けます。その点、ことしのNHKの特番は新たに発見された資料等を基に太平洋戦争における我が国の対応について振り返るいくつかの番組を提供してくれて大変勉強になりました。
    たとえばインパール作戦の悲劇を取り上げた番組がそうです。最初から兵站を度外視した作戦計画の下に装備や現地把握も不十分なままに気合だけで行動に踏み切った無謀さを、関係者の証言や資料をもとに紹介しています。これなどは当時の日本人の戦争観を描いたものとして興味深いものです。
    と同時に、原発事故の対応でもこれと似たような対応がなされていたなと気づき、私たちは根本的なところで少しも変わっていないのではと気づきました。もちろん太平洋戦争と原発事故とでは背景となる事実や事情は異なるので、一つ一つの事実を突きあわせても類似点は見えてきません。共通するものと言えば、非常に難しい状況の中での「選択」の意思決定にあたって情念的思考が合理的思考より優先されるという日本人に特有の思考の仕方です。起こって欲しくないことは起こらないという前提で対策を考える、ということです。
    過去を振り返ることが情念的思考の範囲内にとどまる限り、戦争の惨禍を語り継ぐことにはならい。そのような感想を抱いた次第です。
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    投稿者:naturalist2017年08月16日19時43分
    つづき:Aurevoir les enfants"などの映画がテレビの画面に出てきますし、様々な討論が行われます。ドイツ人の若者が少々気の毒に思われないでもありません。日本では太平洋戦争の歴史的背景を学校や社会で子供たちに話して聞かせるべきと思います。このようにして
    戦禍を繰り返さないという天皇の言葉が理解されるものと思います。
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    投稿者:naturalist2017年08月16日19時27分
    終戦記念日に戦禍を繰り返さないという言葉の背景には日本の歴史上の由々しき出来事への反省の念があると思います。原爆の被害者として世界に平和を呼びかける時に忘れてならないのは日本の侵略戦争と宣戦布告なしのパールハーバー爆撃です。日本は農民の貧困という国内問題を満州で解決しようとして行った関東軍の暴虐を反省するべきです。何よりも必要なことは何故太平洋戦争に至ったかを毎年終戦記念日にメディア等によって国民に知らせるべきです。欧州では毎年終戦記念の月には”ノルマンデー上陸戦”や”さよなら子供たちよ:
    A
    投稿者:AprilHare2017年08月15日22時21分
    >石油がない状況に追い込まれないようにするには、どうすればよかったのか?蘭印からの石油購入交渉を何故しなかったのか?インドシナ侵攻が米国の虎の尾を踏んだというが、何故それを読めなかったのか?そもそも明治時代に何故朝鮮に出ていかなければいけなかったのか?それは間違いだったのか?

    1941年12月初旬にこだわらない分析に賛成です。
    1941年12月初旬の時点で「万に一つの可能性に賭けるしかない無理ゲー」だったとしても、それは過去の積み重ねが招いた状況ですからね。
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