「都市鉱山」発掘の価値を高める「小坂の技術」――ものづくりの生命線「非鉄金属」を追う 4

執筆者:船木春仁 2007年12月号
カテゴリ: 経済・ビジネス

 秋田県北部、十和田湖の西岸に接する小坂は、栃木の足尾、愛媛の別子と並ぶ日本三大銅山と謳われた町だ。一九一一年(明治四四年)に農商務省東京鉱山監督署によって編まれた『日本鉱業誌』は、小坂銅山を「本邦無比ノ大鉱山ニシテ」と紹介している。 小坂鉱山(現在のDOWAメタルマイン小坂製錬所)は、明治一七年に政府から大阪の実業家、藤田伝三郎(藤田組)に払い下げられ、近代鉱山としての歩みを始める。当初は銀の採掘と製錬が主で、産出額では日本一を誇り、明治時代のアメリカの小学校の地図には、東北では仙台と小坂しか都市の名前が入っていなかったというエピソードも残る。 しかし明治三〇年ごろになると露天掘りの資源が枯渇し、より深い地中にある「黒鉱」に頼らざるを得なくなる。黒鉱は、銅や亜鉛、鉛だけでなく金や銀、ビスマス、ニッケルなども含む「複雑硫化鉱」で、東北地方に分布する日本独特の鉱石だ。だが、当時はまだ黒鉱の製錬技術は確立されていなかった。 また、金本位制採用による銀価格の暴落も重なり、藤田組と小坂鉱山は消滅の危機に直面する。この苦境のなかで明治三五年、「生鉱吹き法」と呼ばれる製錬技術を確立して小坂鉱山を銀山から銅山へと転換させるのに成功したのが、後に日立鉱山を開く藤田の甥、久原房之助だった。

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