「一雑兵から見た家康」から「限界ニュータウン」まで

2022年 私の読書

執筆者:飯田泰之 2022年12月28日
カテゴリ: カルチャー
 

井原忠政『三河雑兵心得1 足軽仁義』(双葉社、2020)

井原忠政『三河雑兵心得1 足軽仁義』(双葉社、2020)

 2023年の大河ドラマは松本潤主演の「どうする家康」。最近刊行されている歴史解説書や小説は、徳川家康ネタのオンパレードとなっている。

 そのなかでここ数年コアな人気を集め続けているのが、井原忠政氏による「三河雑兵心得シリーズ」だ。同シリーズの特徴は、主人公・植田茂兵衛という一雑兵の視点から家康一代記を書き起こしているところにある(近刊での主人公はすでに「雑兵」ではないが)。各時期の松平・徳川家がおかれた状況や家康の葛藤を、家康以外の一個人の目線からとらえる本作は、大河ドラマに向けての予習に好適な作品といえるだろう。

 そして、同シリーズは典型的な「サラリーマン小説」の形式を備えていることも、ビジネスパーソンにとっての「読みやすさ」の源泉になっている。同僚や部下との葛藤、家族についての悩み、恋愛……そして歴史とエンタメ要素がてんこ盛りの同作。すでに10巻と姉妹編一冊が刊行されているが、一息に読み進めることができる。

今村翔吾『蹴れ、彦五郎』(祥伝社、2022)

今村翔吾『蹴れ、彦五郎』(祥伝社、2022)

 昨年下半期の直木賞受賞作となった『塞王の盾』は、戦国期の城郭防衛戦が題材だったこともあり、氏を歴史小説家と認識している方も多いだろう。また、デビュー作である「羽州ぼろ鳶組」シリーズは熱烈なファンを抱えていることで有名だ。デビューからわずか5年半で30冊以上の作品をものした源流はどこにあるのか。初期短編集である本書であらためて認識してみるのもよいだろう。

 なかでも注目したいのが幕末から明治に注目された生人形(いきにんぎょう)を題材とする「三人目の人形師」である。時代小説・ミステリ・ホラー、それぞれの要素が邪魔しあうことなく調和する本作がデビュー直後に書かれたことには驚きを禁じ得ない。まだまだ世に出していない「引き出し」を多く隠し持っているのではないだろうか。これからの娯楽小説界を長くリードするであろう氏のオリジンを知っておくことで、これからの作品の楽しみ方もさらに深まると感じられる。

池田邦彦『国境のエミーリャ』(小学館、2020~)

池田邦彦『国境のエミーリャ』(小学館、2020~)

 第二次世界大戦の後、米国とソ連に分割統治された日本を舞台に、日本人民共和国(東日本国)からの密出国請負人の少女の活躍を描く……荒唐無稽な空想歴史物語である。

 いうまでもなくモデルは東西に分割されたドイツにあるため、時々、その舞台が日本なのかドイツなのかわからなくなることがあるが、まぁ堅いことは言いっこなしだ。このあたりの「いい加減」さが娯楽作品のよいところ。そして、同作の肝は鉄道・バス、自動車といった交通機関の細かな描写にある。数多くの鉄道漫画を生み出してきた池田邦彦氏が空想する社会主義日本の鉄道事情、古き良き「マンガ的」な展開を楽しんでほしい。

田内学『お金の向こうに人がいる』(ダイヤモンド社、2021)

田内学『お金の向こうに人がいる』(ダイヤモンド社、2021)

 新人著者であることから(出版社の営業上)いたし方ないのかもしれないが……「元ゴールドマン・サックス金利トレーダーが書いた 予備知識のいらない経済新入門」というサブタイトルは全くもってミスリードだろう。

 本書はいかなる意味でもビジネス書ではない。マクロ経済や経済状況を考える上で非常に重要な視点を提示する、確固たる経済思想書である。MMT(現代金融理論)からの影響は少なくないが、労働に注目する氏の思考はそれにとどまるものではない。財政赤字は一体いかなる意味の問題なのだろうか。巨大な国債残高といったストックは問題の本質を外しているとの指摘は鋭い。

 また、社会保障(年金・医療・介護)をめぐる議論は今日の政策論争に欠けている視点が平易に書かれている。将来の社会保障費に備えて一層の年金基金の積立が必要であるという主張は根強いが、果たしてその理解は整合的なものといえるのだろうか。経済政策論への新たな視点を提供する著作である。

吉川祐介『限界ニュータウン―荒廃する超郊外の分譲地』(太郎二郎社エディタス、2022)

吉川祐介『限界ニュータウン―荒廃する超郊外の分譲地』(太郎二郎社エディタス、2022)

 限界集落ならぬ限界ニュータウンとは、1970~80年代にかけて販売された郊外……と呼んでよいのか戸惑う地域の一部分譲地を指す造語である。

 バブル期に極限まで広範囲化した「東京郊外」では、それ以前には考えられないほどの遠方さえもが宅地化された。これらの乱開発のなかで生まれ、将来の値上がり期待のみで購入された宅地やその予定地のなかには現在、事実上の無住地となっているものもある。

 同書では開発当初から入居者が少なく、なかには実際の宅地建設さえ行われなかったエリアが主に取り上げられるが、かつては多くの住民でにぎわったニュータウンもまた、限界ニュータウンになる可能性を秘めているかもしれない。人口減少と大都市中心部への回帰現象のなかで、ニュータウンはどのように活用しうるのか(もしくはし得ないのか)を考えるきっかけになる著作である。

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執筆者プロフィール
飯田泰之(いいだやすゆき) 明治大学政治経済学部教授 1975年東京生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。財務省財務総合政策研究所上席客員研究員、総務省自治体戦略2040構想研究会委員、内閣府規制改革推進会議委員などを歴任。専門は経済政策・マクロ経済学、地域政策。近著は、『日本史に学ぶマネーの論理』(PHP研究所)、『経済学講義』(ちくま新書)、『これからの地域再生』(編著、晶文社)など。
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