「東電亡国論」の現実味

執筆者:塩谷喜雄 2011年4月8日
エリア: 日本

 海に大量の放射性物質を意図的に投棄する、ということの持つ意味を、政府は毛筋も理解していなかったのではないか。一過性の事故で流失したのと違い、国内の不始末のつけを、世界につながる海に平然と放流する日本を、国際社会は「汚染源国家」とみなす。もはや「海洋国家」などと口が裂けても言えず、漁業、海運、資源開発、環境など、あらゆる海洋関連の国際交渉で、日本の発言に耳を貸す国はなくなる。核軍縮における被爆国の発言力も著しく低下するだろう。何よりも、責任逃れと補償逃れに走る電力会社をコントロールできない日本政府の当事者能力が疑われてしまう。福島第一原発を「国際管理に」という主張も欧米では出始めた。東電と経済産業省(原子力安全・保安院)という利益共同体の暴走を即刻止めないと、日本が沈んでゆく。

典型的な「原子力ムラ」の意志決定

 福島第一原発の敷地内に貯留されていた低レベルの放射性廃液1万1千トン余を、海に放出することを東電が原子力安全・保安院に伝えたのは4日の午後である。原子力安全委員会に助言を求めたうえで、保安院がそれをOKするまでに要した時間はたった20分だといわれている。即座に東電は放出を開始、翌朝、社会がそれを知った時には、相当量が海に出ていた。なんとも素早い連係プレーではないか。
 これが典型的な「原子力ムラ」の意志決定である。事業者(東電)が求める特例(放出)について、事業者の「自主的な努力」を最大限に引き出すために、保安院は余計なブレーキはかけない。逆に経産官僚とともに、法令上の根拠(原子炉等規制法)などを検討して協力する。後は原子力安全委員会に一声かけ、評価を受けたという形をつくる。御墨付きを得た事業者は「粛々」と実行する。
 手慣れたものだ。世間や政治などの介在する余地のない、自己完結型の「ムラ」の論理である。原発の事故発生からこれまで、衆人環視、政治主導とやらで、しばらく引っ込めていたが、優しく寛大なメディアと無能な政治を見切って、復活したように見える。

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執筆者プロフィール
塩谷喜雄 科学ジャーナリスト。1946年生れ。東北大学理学部卒業後、71年日本経済新聞社入社。科学技術部次長などを経て、97年より論説委員。コラム「春秋」「中外時評」などを担当した。2010年9月退社。
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