雨上がりに虹が見えた昼下がりのこと。夫と急ぎ足で行きつけの譜面屋に向かうと、その前に人だかりができている。カールスルーエの街を走る路面電車が軋んだ音をたてて遠ざかると、人々の背中の隙間から切れ切れにピアノの音が聞こえてくる。ヴァイオリンの辻音楽師はよく見かけるけれどピアノは珍しいなと思ったが、なお驚いたのは、かなり確かな腕前の主が、少年だったことだ。 通りの喧噪をよそに、鳶色の瞳の少年が、やはり鳶色の巻き毛を揺らしながら、一心不乱にショパンを奏でている。足元には「ピアノを買うのにご協力を」と下手なドイツ語で書かれた段ボールの切れ端と、硬貨でずっしりと重そうな籠がある。ピアノはおんぼろだったけれど、少年の弾き方には、どこか人を捕らえて離さないところがあり、普段なら労働許可に口やかましい警察官でさえ、ショパンの調べにうっとり聴き惚れ、十マルク紙幣を籠に入れていた。
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